第2話

店の内装と従業員は揃った。

次はいよいよ、メニューの開発だ。

喫茶店の主役は、何と言ってもコーヒーだろう。

俺は厨房に立ち、気合を入れた。

「さて、まずはコーヒー豆からだな。コア、ダンジョンの生成機能で、最高品質のコーヒー豆をお願いできるか?」

『はい、マスター! お任せください!』

コアの元気な声が響くと、厨房の台の上に、麻袋に入ったコーヒー豆がどさりと現れた。

袋を開けると、ふわりと芳醇な香りが広がる。

豆は一粒一粒が大ぶりで、艶があり、形も揃っている。見るからに、高級品だ。

「おお、すごいな。これなら、美味しいコーヒーが淹れられそうだ」

俺は早速、焙煎に取り掛かる。

手回し式の焙煎機も、もちろん創造機能で作ってもらった。

豆を焙煎機に入れ、コンロの火にかける。

ここからは、経験と勘がものを言う世界だ。

パチパチと豆がはぜる音に、耳を澄ます。

色と香りの変化を、注意深く見極める。

社畜時代、唯一の趣味がコーヒーだった。

給料のほとんどを、色々な店の豆や、器具につぎ込んできた。

その知識が、今ここで活きている。

やがて、俺のイメージ通りの焙煎具合になったところで、豆を冷却用の網に取り出す。

部屋中に、香ばしい匂いが満ち満ちていく。うん、最高の出来だ。

次に、焙煎した豆をミルで挽いていく。

ゴリゴリという心地よい音と感触。

粉になった豆は、さらに香りを強く放った。

そして、いよいよドリップだ。

ペーパーフィルターに粉をセットし、ゆっくりと、丁寧にお湯を注ぐ。

最初は蒸らし。

粉全体にお湯を行き渡らせ、成分を抽出しやすくする。

ぷっくりと、ハンバーグのように膨らむ粉。これは、新鮮で良い豆の証拠だ。

蒸らしが終わったら、「の」の字を描くように、中心から円を描きながらお湯を注いでいく。

ぽた、ぽたと、サーバーに琥珀色の液体が落ちていく。

まさに、至福の時間だ。

一杯分のコーヒーを淹れ終えた俺は、カップに注いで、まずは香りを確かめた。

「うん、いい香りだ」

深いコクと、フルーティーな酸味が絶妙に混ざり合った、複雑で豊かな香り。

そして、一口、口に含んだ。

その瞬間、俺は衝撃で目を見開いた。

「な……なんだ、これ……!?」

美味い。

美味すぎる。

俺が前世で飲んだ、どんな高級なコーヒーよりも、遥かに、圧倒的に美味い。

だが、驚いたのは味だけではなかった。

コーヒーを飲んだ瞬間、体の中から、ぶわっと力が湧き上がってくるのを感じたのだ。

数日間のダンジョン創造で溜まっていた疲労が、すーっと消えていく。

頭が冴えわたり、視界がクリアになる。

まるで、最高級の栄養ドリンクを、一気飲みしたかのようだ。

「コア、これって……」

俺が驚いて尋ねると、コアが少し得意げに答えた。

『ふふっ。どうやら、マスターの魔力特性が、生成物に良い影響を与えたみたいですね』

「俺の、魔力特性?」

『はい。ダンジョンマスターの魔力には、それぞれの特性があります。炎のように攻撃的なマスターのダンジョンでは、攻撃力の高いアイテムが生まれやすくなります。マスターの場合、その根底にあるのは、「癒やされたい」「安らぎたい」という、非常に強い想いです』

「俺の……想い」

確かに、そうかもしれない。

前世では、常に癒やしを求めていた。

仕事のストレスから解放されて、心穏やかに過ごしたいと、いつも願っていた。

『その想いが、ダンジョンの生成物に影響を与え、強力な回復効果を付与したのです。そのコーヒーは、ただの飲み物ではありません。伝説級の回復薬に匹敵する、特別なアイテムになったのですよ』

「伝説級の……回復薬」

マジか。ただ普通にコーヒーを淹れただけなのに。

俺は自分の手の中にあるコーヒーカップを、改めて見つめた。

これが、そんなとんでもない代物だとは。

「ということは、他の食材も……?」

『はい。マスターがこのダンジョンで作り出す飲食物には、すべて同様の効果が付与されるでしょう』

とんでもないことになったな。

俺は喫茶店をやりたいだけだったのに、いつの間にか、伝説級のポーションを製造する錬金術師みたいになってしまった。

まあ、悪い話ではない。

これなら、お客さんも喜んでくれるだろう。値段は、ちょっと考えないといけないが。

「よし、次はケーキだ!」

俺は気を取り直して、もう一つの看板メニュー、ケーキ作りに取り掛かった。

まずは、シンプルなショートケーキからだ。

小麦粉、砂糖、卵、牛乳。

それらの材料も、全てダンジョンの生成機能で作り出す。もちろん、どれも最高品質だ。

卵は黄身が濃厚で、牛乳は信じられないくらいクリーミーだった。

俺は手際よくスポンジ生地を作り、オーブンで焼き上げる。

焼きあがったスポンジは、ふわっふわの仕上がりだ。

それを三枚にスライスし、生クリームとイチゴをサンドしていく。

イチゴも、もちろん生成したものだ。

宝石のように赤く輝き、甘酸っぱい香りを放っている。

最後に、全体を綺麗にナッペして、デコレーションを施す。

我ながら、完璧な出来栄えのショートケーキが完成した。

俺は早速、一切れ試食してみる。

「……うまっ」

口に入れた瞬間、スポンジが溶けた。

生クリームは、濃厚なのに後味はさっぱりしている。

イチゴの酸味が、絶妙なアクセントになっていた。

そして、やはりと言うべきか。

ケーキを食べた瞬間、今度は体が軽くなったような感覚に包まれた。

力がみなぎり、何でもできそうな気分になる。

『こちらのケーキには、一時的な身体能力向上効果が付与されていますね。おそらく、STR(筋力)やAGI(俊敏性)が、数時間の間、上昇するはずです』

コアが冷静に分析する。

コーヒーが回復薬なら、ケーキはバフアイテムか。

俺の店、もはやただの喫茶店じゃないな。

まあ、いい。

美味しくて、お客さんの役に立つなら、それに越したことはない。

メニューの試作を終えた俺は、店員たちの教育に取り掛かることにした。

厨房からホールに出ると、スライムとベビーゴブリンが、手持ち無沙汰に待っていた。

「よし、じゃあ仕事を教えるぞ。まず、スライム君」

俺が呼びかけると、青いスライムがぷるんと揺れた。

「君の名前は、今日から『ぷるん』だ」

「ぷるん?」

スライムが、そんな風に呟いたように聞こえた。いや、気のせいか。

「君の仕事は、この店の床を常に綺麗に保つことだ。ほら、こんな風に」

俺は布巾で床を拭いてみせる。

ぷるんはそれをじっと見ていたが、やがて何かを理解したように、ゆっくりと移動を始めた。

そして、自分の体で、床の汚れを吸着していく。

ぷるんが通った後の床は、ちり一つなく、ピカピカに輝いていた。

「おお、すごいな! 才能あるじゃないか、ぷるん!」

俺が褒めると、ぷるんは嬉しそうに、体をぷるぷると震わせた。

これなら、掃除は任せても安心だ。

「さて、次は君だ」

俺はベビーゴブリンに向き直った。

「君の名前は……そうだな、『ゴブきち』にしよう」

「グギ!?」

ゴブきちは、自分の名前が気に入らなかったのか、不満そうな声を上げた。

「なんだ、文句あるのか?」

「グギギ……」

ゴブきちは何か言いたげに、俺を見上げてくる。

「まあ、いいだろ、ゴブきちで。君の仕事はウェイターだ。まずはお辞儀から。『いらっしゃいませ』」

俺は手本を見せるように、深々と頭を下げた。

ゴブきちも、それを見て、ぎこちなく頭を下げる。

「よし、うまいぞ。次はお水の提供だ。このコップを、両手で丁寧に持って、お客さんの前に置く」

俺はコップに水を注ぎ、ゴブきちに渡した。

ゴブきちは、小さな手で、一生懸命コップを支えている。

そして、おそるおそる、テーブルの上に置いた。

少し水がこぼれたが、初めてにしては上出来だ。

「いいぞ、ゴブきち! その調子だ!」

俺が褒めると、ゴブきちは少し照れたように、そっぽを向いた。

その後も、注文の取り方、料理の運び方、お見送りの挨拶まで、一通りの仕事を教え込んだ。

ゴブきちは、ぶつぶつ文句を言っているようだったが、教えたことはきちんとこなした。

意外と、真面目な性格なのかもしれない。

こうして、店の準備は全て整った。

完璧な内装、伝説級のメニュー、そして可愛らしい(?)店員たち。

いつお客さんが来ても、最高のおもてなしができる状態だ。

俺はカウンターに立ち、入り口の扉を見つめた。

「さあ、どんと来いだ」

しかし、俺の期待とは裏腹に、お客さんは一向に現れなかった。

一日経っても、二日経っても、店の扉が開くことはない。

それもそのはずだ。

このダンジョンは、どの国にも属さない中立地帯の、森の奥深くにある。

普通に生活していて、人が迷い込んでくるような場所ではないのだ。

「うーん、これは困ったな……」

俺は腕を組んで唸った。

せっかく最高の店を作ったのに、お客さんが来なければ意味がない。

コアも、心配そうにしている。

『マスター、どうしましょう……。このままでは、DPが尽きてしまいます』

開店準備で、初期DPはかなり消費してしまっていた。

収入がなければ、いずれダンジョンを維持できなくなる。

「何か、宣伝する方法はないものか……」

俺が本気で看板でも持って、近くの街まで営業に行こうかと考え始めた、その時だった。

カラン、コロン。

入り口のドアベルが、軽やかな音を立てた。

俺とコアは、同時に息をのむ。

ゆっくりと、扉が開かれる。

そこに立っていたのは、一人の女性だった。

銀色の鎧を身につけ、腰には立派な長剣を吊っている。

長い金髪を一つに束ねた、美しい人だ。

だが、その姿は満身創痍、といった様子だった。

鎧はあちこちがへこみ、泥に汚れている。腕からは、だらだらと血が流れていた。

肩でぜえぜえと息をしており、今にも倒れそうだ。

女剣士は、店の中の光景を見て、呆然としていた。

森の奥深くに、こんなお洒落な店があるとは、信じられない、という顔だ。

「……ここは、一体……?」

か細い声で、彼女が呟く。

俺は慌ててカウンターから飛び出した。

ウェイターのゴブきちは、初めてのお客さんに緊張したのか、固まってしまっている。

「い、いらっしゃいませ! どうぞ、こちらへ!」

俺は女剣士に駆け寄り、空いている席へと案内した。

彼女はふらつく足取りで椅子に座ると、ぐったりとテーブルに突っ伏してしまう。

「おい、大丈夫か!? すごい怪我じゃないか!」

「……魔物に、やられた……。ポーションも、もう尽きて……」

女剣士は、途切れ途切れに言った。

このままでは、命に関わるかもしれない。

俺はすぐに厨房に戻ると、淹れたてのコーヒーをカップに注いだ。

そして、彼女の前に、そっと置く。

「これを。薬の代わりになるかもしれない」

女剣士は、弱々しく顔を上げた。

そして、目の前のコーヒーカップと、俺の顔を、不思議そうに見比べる。

「……コーヒー? これが、薬に……?」

「まあ、飲んでみれば分かりますよ」

俺が促すと、女剣士は疑いながらも、カップを手に取った。

そして、立ち上る豊かな香りに、少しだけ目を見開く。

彼女は意を決したように、こくりと一口、コーヒーを口に含んだ。

その瞬間、彼女の青い瞳が、驚きに大きく見開かれた。

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