社畜だった俺、最弱のダンジョンマスターに転生したので、冒険者を癒やす喫茶店ダンジョンを経営します~出てくる魔物は可愛いし、名物メニューはいつの間にか伝説級の回復アイテムになっていた~
☆ほしい
第1話
気がつくと、俺は真っ暗な空間に立っていた。
立っているのか、浮いているのかも分からない。手足の感覚が曖昧だ。
「……どこだ、ここ」
呟いた声は、やけに響いた気がした。
俺は確か、会社のデスクで……。
連日の徹夜作業で、意識が朦朧としていた。そうだ。
俺は過労で倒れたんだ。ということは、ここは病院か?
いや、それにしては静かすぎる。
機械の作動音も、人の気配も全くない。
俺が混乱していると、目の前にぽうっと淡い光が灯った。
それは、バスケットボールくらいの大きさの、水晶玉のようなものだった。
光はゆっくりと明滅を繰り返している。
『……はじめまして、マスター』
頭の中に、直接声が響いてきた。
それは、まだあどけなさの残る少女の声だった。
「マスター? 誰が?」
俺が聞き返すと、光が少し強く輝いた。
『あなた様です。今日から、私とこのダンジョンのマスターとなられる方です』
「ダンジョン? マスター?」
意味が分からない。
ゲームの話でもしているのだろうか。
俺はファンタジー小説やゲームが好きだったから、言葉の意味は知っているが。
『はい。あなた様は、元の世界でその命を終えられました。そして、新たな世界のダンジョンマスターとして、ここに転生されたのです』
「……死んだ? 俺が?」
その言葉は、不思議なくらいすんなりと受け入れられた。
ああ、やっぱりそうか、と思った。
あのブラックな職場環境だ。
いつかこうなるんじゃないかという予感は、ずっとあった。
享年三十歳。
システムエンジニアとして、文字通り心臓を会社に捧げた人生だった。
『はい。お悔やみ申し上げます。ですが、悲しむことはありません。これからは、あなたが望む世界を、このダンジョンで創造できるのですから』
「俺が望む世界……」
そんな大それたもの、考えたこともなかった。
ただ、毎日眠い目をこすって出社し、終電で帰るだけの日々。
休日は、溜まった疲れを取るために一日中眠っているだけ。
そんな生活に、夢や希望なんてなかった。
『私は、このダンジョンの核たる存在、ダンジョンコアです。マスターの命令に従い、ダンジョンを創造し、管理するのが役目です。以後、お見知りおきを』
「ダンジョンコア……。君に名前は?」
俺が尋ねると、光は嬉しそうに揺らめいた。
『名前、ですか? 私はただのコアですが……マスターがお望みなら、お付けください』
「それじゃあ……コア、でいいか。そのままだが」
『コア……! はい! とても素敵な名前です! ありがとうございます、マスター!』
声が弾んでいる。
なんだか、子犬みたいで可愛いな。
『それでマスター、早速ですが、このダンジョンをどのように創造いたしましょうか?』
「えっと、その前にいくつか質問が。まず、ダンジョンって、冒険者とかを呼び込んで、倒したり罠にかけたりして、魔力を集めるものだよな?」
俺の前世の知識では、そういう認識だった。
『はい、その通りです。冒険者が抱く絶望や恐怖、そして彼らが死ぬ時に放出される魂の輝きは、我々ダンジョンにとって極上の魔力源となります』
「うへぇ……結構えげつないんだな」
『ダンジョンとは、そういうものですから』
コアはあっけらかんと言った。
どうやら、それがこの世界の常識らしい。
「じゃあ、このダンジョンは、どれくらいの強さなんだ? ランクとかあるのか?」
SランクとかAランクとか、そういうのがあれば、運営も楽かもしれない。
しかし、コアの答えは俺の淡い期待を打ち砕いた。
『はい。当ダンジョンは、最低ランクのF級に分類されます。名称は『忘れられた\<ruby\>洞窟\<rp\>(\</rp\>\<rt\>どうくつ\</rt\>\<rp\>)\</rp\>\</ruby\>』です』
「F級……。一番下か」
『はい。魔力の自然産出量は、他のダンジョンと比べても極端に少なく……生み出せる魔物も、スライムやベビーゴブリンといった最弱クラスのものばかりです』
「……マジか」
いきなり、目の前が真っ暗になった気がした。
ただでさえ、俺にはダンジョン経営の経験なんてない。
それなのに、与えられたのは最低ランクのダンジョン。
これでは、冒険者を呼び込むどころか、返り討ちにされて終わりじゃないか。
「罠とかは作れるのか?」
『はい。ですが、F級ダンジョンで作れるのは、落とし穴や、つまずきやすい石ころを配置する程度です』
「……それは、罠とは言わないんじゃないか?」
『ごめんなさい……』
コアがしゅんとして、光が弱くなった。
俺は慌ててフォローする。
「いや、君が謝ることじゃない! 分かった、状況は理解した」
つまり、俺は初期装備が「ひのきのぼう」どころか、「こんぼう」すら与えられなかったような状態らしい。
戦闘系のダンジョン運営は、どう考えても無理だ。
俺は腕を組んで、必死に考えた。
過労死するほど働いた社畜の脳みそを、フル回転させる。
何か、何か方法はないのか。
このままでは、魔力不足でダンジョンごと消滅してしまうかもしれない。
『マスター……?』
コアが心配そうに声をかけてくる。
「なあ、コア。このダンジョン、創造機能で内装とかは自由にデザインできるのか?」
俺は一つの可能性に思い至った。
『はい、もちろんです! マスターが思い描いた通りに、壁や床、天井をデザインできます。家具や小物を配置することも可能です』
「……そうか」
俺の口元に、自然と笑みが浮かんだ。
戦闘がダメなら、別の方法で客を、いや、お客さんを呼び込めばいい。
絶望や恐怖を与えるのではなく、別の価値を提供するんだ。
「よし、決めた」
俺は宣言した。
「コア。俺は、このダンジョンで喫茶店を開く」
『……きっさてん?』
コアが不思議そうな声を出す。
この世界には、ない概念なのだろうか。
「ああ。冒険者が戦いで疲れた心と体を癒やせるような、憩いの場を作るんだ。美味しいコーヒーと、手作りのケーキを出す店だ」
それは、俺が前世で叶えられなかった夢だった。
いつか自分のカフェを開いて、お客さんの「美味しい」という笑顔を見たい。
そんなささやかな夢も、ブラック企業の過酷な労働環境の中ですり減って、忘れてしまっていた。
でも、今ならできるかもしれない。このダンジョンでなら。
『コーヒー……ケーキ……。マスター、それは、冒険者から魔力を奪えるのですか?』
「いや、魔力は奪えない。むしろ、与えることになるだろうな。癒やしとか、安らぎとか」
『それでは、ダンジョンが成長できません!』
コアが慌てたように言った。
「大丈夫だ。ちゃんと、対価は貰う。この世界の通貨でな。そのお金で、市場から魔石でも買ってくればいい」
魔石。魔力が結晶化した石だ。
高価だが、ダンジョンの栄養源にもなるらしい。
俺は、そんな基本的な知識を、なぜか知っていた。
転生した時の特典、というやつかもしれない。
『なるほど……。ですが、そんなダンジョン、前代未聞です』
「だからいいんじゃないか。他と同じことをしても、このF級ダンジョンじゃ勝ち目はない。誰もやっていないことで、一番を目指すんだ」
俺の言葉に、コアはしばらく沈黙していた。
光が、考え込むように揺らめいている。
やがて、コアは決心したように、強く輝いた。
『……分かりました。マスターの計画、私、全力で応援します! なんだか、とっても楽しそうです!』
「ありがとう、コア。頼りにしてる」
『はい! それでは早速、創造を始めましょう! どんなお店にしますか?』
俺は目を閉じ、前世で通ったお気に入りのカフェを思い浮かべた。
木材をふんだんに使った、温かみのある内装。
窓から柔らかい光が差し込む、落ち着いた空間。
「まず、第一階層全体を一つの大きな空間にしてくれ。壁は、温かみのある木目調で。床は、少し濃い色のフローリングがいいな」
俺がイメージを伝えると、目の前の暗闇が、さあっと晴れていく。
そして、俺の言葉通りの空間が、目の前に構築されていった。
壁が現れ、床が張られ、天井が生まれる。まさに、神の御業だ。
「すごいな……」
俺は思わず感嘆の声を漏らした。
『ふふん、これくらいお安い御用です。マスターのイメージが明確なので、創造もスムーズです』
コアは少し得意げだ。
俺の足元が、しっかりとした木の床の感触を捉える。
どうやら、俺の体も実体化したらしい。
自分の手を見ると、少し若返っているような気がした。二十代半ばくらいだろうか。
服装は、白いシャツに黒いスラックスという、ごく普通の格好だった。
「よし、次は家具だ。店の奥に、カウンターと厨房を作ってくれ。カウンターは、一枚板の立派なやつがいいな」
俺の指示に従って、次々と家具が配置されていく。
客席用のテーブルと椅子。
壁際には、本棚も設置しよう。お客さんが、自由に読めるように。
厨房には、コーヒーを淹れるための器具や、ケーキを焼くためのオーブンも必要だ。
俺の頭の中にある知識を総動員して、必要なものを伝えていく。
それらが、魔法のように目の前に現れる。
数時間後には、そこには立派な喫茶店の内装が完成していた。
「完璧だ……」
俺は自分の創造した空間を見渡し、満足げに頷いた。
前世では、夢のまた夢だった自分だけの店。それが今、目の前にある。
『とても素敵な空間ですね、マスター!』
コアの声も、心なしか弾んでいるようだ。
「ああ。店の名前は、『やすらぎの隠れ家』にしよう」
俺はそう言うと、店の入り口になるであろう扉を創造した。
そして、その扉の上に、木製の看板を掲げる。
看板には、俺の拙い字で、店名が彫られていた。
『やすらぎの隠れ家……いい名前です!』
「そうだろう? さて、次は店員を確保しないとな」
『店員、ですか? 私では、ダメでしょうか?』
「コアはダンジョンの核だから、ここから動けないだろう? それに、お客さんの前に姿を現すのは、まだ早い」
『むぅ……残念です』
コアが拗ねたように言った。
「大丈夫。コアには、全体の管理と、俺のサポートをお願いするよ。一番重要な役目だ」
『! はい、分かりました! お任せください!』
単純で可愛いな、ほんと。
「それで、店員なんだが……コア、魔物を生み出せるか? スライムと、ベビーゴブリン」
『はい、もちろんです! DPを消費して、召喚しますね!』
DP、ダンジョンポイント。
ダンジョンを創造したり、魔物を生み出したりする時に消費するポイントのことらしい。
俺は初期ポイントとして、それなりの量を与えられていた。
コアが言うと、床に二つの魔法陣が浮かび上がった。
そして、光と共に、二体の魔物が姿を現す。
一体は、ぷるぷるとした青いゼリー状の生物、スライム。
もう一体は、身長五十センチほどの、緑色の肌をした小さな子供のような魔物、ベビーゴブリンだ。
スライムは、きょとんとした様子でその場で揺れている。
ベビーゴブリンは、俺の姿を見ると、びくっと体を震わせ、小さな棍棒を構えた。
「グギィ!」
威嚇しているつもりらしいが、全く怖くない。
むしろ、小動物のようで可愛らしい。
「よしよし、怖くないぞ」
俺はしゃがみ込んで、ベビーゴブリンと視線を合わせた。
『マスター、危険です! ベビーゴブリンは凶暴な魔物で……』
コアが慌てて警告する。
だが、俺は気にせず、ベビーゴブリンに手を差し伸べた。
「お前たちには、今日からこの店で働いてもらう。戦うんじゃない。お客さんをもてなす仕事だ」
俺がそう言うと、ベビーゴブリンは不思議そうな顔で俺を見た。
棍棒を構えたまま、首をこてんと傾げる。
俺は微笑みかけると、隣のスライムにも視線を向けた。
「君には、店の掃除をお願いしたい。この綺麗な床を、ピカピカに保つのが仕事だ。できるか?」
スライムは、俺の言葉を理解したのか、ぷるんと一度、大きく跳ねた。
肯定の意思表示、と受け取っていいのだろうか。
「よし、いい子だ。じゃあ、君には……」
俺はベビーゴブリンに向き直る。
「君には、ウェイターをお願いしたい。お客さんを席に案内して、注文を取って、料理を運ぶ仕事だ。とても大事な役割だぞ」
ベビーゴブリンは、まだ戸惑っているようだった。
俺と、自分の持っている棍棒を、交互に見比べている。
俺はゆっくりと立ち上がると、厨房から一枚の布巾を持ってきた。
そして、ベビーゴブリンの棍棒をそっと取り上げ、代わりに布巾を手に握らせる。
「武器はもういらない。これからは、これがお前の商売道具だ」
ベビーゴブリンは、手の中の白い布巾を、じっと見つめていた。
やがて、何かを理解したように、こくりと頷いた。
こうして、俺の喫茶店ダンジョン『やすらぎの隠れ家』は、記念すべき最初の従業員を迎え入れたのだった。
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