第4話 香織と裕斗 2


 月の明かりを頼りに、二人は5分ほど歩いて近くの公園に入った。

 遊具の並びを素通りしていくと、並んで置かれていた木製ベンチに腰を下ろす。


「私が手を離した途端、逃げ出すとかなしだからね」

「……はい」


 女性がそっと手を離した。


(もう……終わっちゃうのか)


 傲慢にも、裕斗は物足りなさを感じてしまった。

 もう少し、その優しさに包まれていたかった――裕斗にとって、それは初めての感覚だった。


「迷惑かけてしまって、ごめんなさい」


 申し訳ない。その一心で、裕斗は何度も何度も頭を下げた。


「気にしないで。むしろ、謝らなきゃいけないのは私かもしれないって思ってるの」

「それは……どういう意味ですか?」

「もし君が、自分で命を絶とうとしてたなら……私、それを邪魔しちゃったのかなって」

「そういうのじゃなかったです」

「そっか。でもね、区別つかないくらい辛そうに見えたの」


 裕斗の表情が暗くなったのを見て、結衣は気を遣うように話を振った。

 裕斗はただ一点、地面を寂しそうに眺めている。


「……君、一度マイナスに考え始めたら止まらなくなるタイプでしょ?」


 女性は、そっと裕斗の方へ体を寄せ、肩に手を添えた。

 距離が縮まったことで、風に揺れる髪が時折、裕斗の頬に触れる。


 思わず体を離そうとした裕斗だったが、肩に触れた女性の手に力が入り、逃げられなかった。


「逃げないの。今は全部忘れて。私だけに集中してればいいから」


 至近距離でそんなことを言われて、裕斗の心拍は一気に早まる。手のひらにはじんわり汗。

 あたふたしだした裕斗を見て、女性は少し安心したような表情を見せた。


「命の恩人を名乗ることを許されたんだから、命の恩人からの質問に答えて」


 そのあと、2人はずっと話し込んだ。

 とはいえ、会話をリードするのは女性で、裕斗はただ質問に素直に答えていくだけだった。

 いつもなら嘘で誤魔化してしまうようなことも、この夜ばかりは偽ることができなかった。


 この女性には、どんな嘘も通じない――裕斗にはそんな直感があった。


 それにしても、裕斗は終始視線が定まらない。

 女性のことを5秒以上、まともに見ていられなかったからだ。


 月明かりの角度で浮かび上がる横顔は、夜空よりも鮮やかに輝いていた。

 ため息が出そうになるほど整った顔で、15年の人生で、ここまで整った顔立ちを見たのは初めてだった。


「苦労人なのね」

「どうなんでしょう。自分以上に苦労してる人なんていくらでもいるし、自分はそれなりに恵まれてる部分もあるから、苦労人を名乗れるのかは……」

「へぇ、興味深い答え。今いくつ?」

「15です」

「そっか〜」


 裕斗の答えに、女性は興味深そうに頷いた。

 結衣にしろ、この女性にしろ、裕斗の年齢を聞いた途端に興味を示す。

 そこにはやはり、年齢離れした裕斗の整った容姿と、大人びた雰囲気が関係していることは言うまでもない。


「そう。ねえ、このあと時間ある?」

「……はい」

「なら、少し付き合って」


 女性はすっと立ち上がり、薄暗い街路樹の影で裕斗に手を差し伸べた。

 年齢を聞く前から、こうすることを決めていたのだろう。

 会ってからまだ短い時間しか経っていないのに、彼女はすでに裕斗を気に入っていた。


 その手に引かれるように立ち上がると、女性はじっと裕斗を見つめた。

 瞳が一瞬たりとも離れない。

 不意に伸びた手が頬に触れる。冷たい指先に、裕斗は思わず目を見開いた。


「冷たいのね。どこまでも冷たい」


 小さくつぶやくと、女性は踵を返し、アスファルトにヒールの音を響かせて歩き出す。


(……心の温度を測られなくてよかった)


 裕斗は落ち着いたふりをして、その隣に並んだ。

 夜風が木立を抜け、シャツの裾を揺らす。火照った体を冷やすにはちょうどいい風だった。


「どこに行くんですか。あ、えっと……」


 言いかけて詰まる。名前が出てこない。お姉さんと呼ぶのも違和感があった。


小林香織こばやしかおり。私の名前。あなたは?」

「林田裕斗です」

「裕斗くんね」


 香織は不意に立ち止まり、街灯に照らされながら裕斗を見据えた。


「カフェに付き合ってほしいの。久しぶりに人に興味が湧いたから。裕斗くんのこと、もっと知りたいの」


 その微笑みを前に、裕斗は言葉を失った。

 こんなにも鼓動って速くなるものなのか、と心配になるほど胸が高鳴る。


(……これは一目惚れってやつなのか、どうなんだ??)


 一目惚れなのか、それともただの憧れなのか。裕斗自身にもわからなかった。


 街のネオンが遠くで滲んで、香織が笑いかける。


「ねえ、手、握らないの?」

「……えっ」


 香織は首をかしげて笑った。

 首元のネックレスが小さく揺れ、街灯の光を返す。

 慌てふためく裕斗を楽しそうに見つめながら、香織は自分から裕斗の手を握った。


 裕斗の心がマイナスな世界に落ちかけるたび、香織はこの世界に連れ戻して、代わりに自分の沼へと沈めていく。


「年下をナンパした女、そう見られるのかな」

「どうなんでしょう。男なら香織さんが綺麗だから見とれるだろうし、女の人だって綺麗って見とれるんじゃないですかね」

「んー、それはちょっと違うかな。女はみんな君に見とれるよ。君、顔が整いすぎてるから。男の子は、きっと君に殺意を抱くだろうね」


 もし、2人の前に広がる道が天の川だったら――。

 2人は織姫と彦星だったのかもしれない。

 けれど、現実は違った。

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