第四章 プロメテウスの秘密
午後三時、プロメテウスの外郭が見えてきた。巨大なクレーターの中に築かれた要塞だった。高い城壁が陽炎の向こうに立ちはだかっている。狙撃塔からはライフルの銃口がこちらを向いているのが見えた。
私は装甲バギーを岩陰に隠し、徒歩で接近を開始した。双眼鏡で要塞を観察する。外周警備は予想以上に厳重だった。巡回する警備兵は皆、軍事訓練を受けた歴戦の傭兵たちだ。黒いタクティカルギアに身を包み、アサルトライフルを構えた彼らは、まさに死の使者といった風情だった。
だが奇妙なことに気づいた。警備兵たちの動きが機械的すぎるのだ。まるでプログラムされたロボットのように、同じパターンで巡回を繰り返している。普通なら警備中に会話をしたり、時折休憩を取ったりするものだが、彼らは一切そうした人間らしい行動を見せない。
さらに観察を続けると、もう一つ異常な点を発見した。要塞の中から人の出入りが全くないのだ。巨大な都市にしては不自然なほど静かだった。まるでゴーストタウンのように。
私は夜を待った。
月のない夜。
闇が私の最良の友だからだ。
午前二時、私は行動を開始した。警備の死角を縫って城壁に接近する。グラップリングフックを打ち込み、静かに壁を登る。筋肉に乳酸が溜まるが、歯を食いしばって耐える。
城壁の上で見張りの女と鉢合わせした。
「何者だ!」
彼女がライフルを構える前に、私は飛び掛かった。手刀を首筋に叩き込み、意識を奪う。彼女の身体が崩れ落ちる音が静寂を破る。
私はその傭兵の装備を奪い、彼女の制服に着替えた。これで内部への潜入が可能になる。
要塞の内部は思った以上に複雑だった。迷路のような通路が入り組み、至る所に警備の女たちが配置されている。私は記憶の地図を頼りに、ウィルシャーのオフィスを目指した。
途中、いくつかの居住区を通り過ぎたが、どこも人の気配がなかった。電気は点いているし、生活用品も置かれているのに、住人だけがいない。まるで全員が一斉に消失したかのようだった。
「おい、お前」
廊下で声をかけられた。振り返ると、赤毛の傭兵隊長らしき女が立っている。スカーレットという名札が胸についていた。
「見ない顔だな。新入りか?」
「ああ、今日からだ」
私は低い声で答えた。
「そうか。なら教えてやる。ここのルールは一つだけだ。女王の命令は絶対。それだけはしっかり覚えておけ」
スカーレットは私の肩を叩いて去っていく。危険な瞬間だった。一歩間違えれば戦闘になっていただろう。
しかし「女王」という言葉が気になった。ウィルシャーは元首と呼ばれていたはずだが、いつから女王になったのだろうか。
さらに進むと、奇妙な施設に出くわした。巨大な扉に「生体管理施設」と書かれている。中から微かに機械音が聞こえてくる。私は慎重にドアを開けた。
目の前に広がったのは信じがたい光景だった。数百の培養ポッドが整然と並んでいる。透明な液体の中で人々が眠っている。若い女性もいれば、年老いた女性もいる。みな安らかな表情を浮かべ、まるで幸福な夢を見ているかのようだった。
私は一つのポッドに近づいた。中にいるのは二十歳くらいの美しい女性だ。金髪を海草のように漂わせ、まるで人魚のようだった。彼女の額には細い電極が取り付けられており、複雑な機械に接続されている。
モニターには脳波のパターンが表示されていた。通常の睡眠時とは明らかに異なる波形だ。まるで深い瞑想状態にあるような……
「ご苦労様」
背後から声がした。振り返ると、スカーレットが数名の部下と共に立っていた。
「やはりお前はスパイだったな」
彼女の指が引き金にかかる。私は近くの培養ポッドの陰に飛び込んだ。銃弾がポッドのガラスを砕き、培養液が床に流れ出す。
「この街の秘密を知った以上、生かしておくわけにはいかない!」
私はグロック17を抜いて応戦した。狭い施設内で銃撃戦が始まる。スカーレットは訓練を受けた兵士だ。動きに無駄がない。
「この街の市民たちを守らなければ……」
彼女が制圧射撃を浴びせかけてくる。私は培養ポッドの間を縫って移動し、タイミングを計った。
リロードの音が聞こえた瞬間、私は飛び出した。スカーレットの胸に二発撃ち込む。彼女は血を吐いて倒れた。同様に部下たちの急所にも的確に鉛玉を叩き込んでやった。
「くそ……この街の市民たちを……守らなければ……」
スカーレットは最後まで忠誠を貫いていた。私は彼女の目を閉じてやった。戦士への最低限の敬意として。
警備兵たちの足音が近づいてくる。私には時間がない。急いでウィルシャーのオフィスを目指した。
最上階の一角にその部屋はあった。重厚な扉を開けると、そこに彼女はいた。だが彼女は椅子に座ったまま動かなかった。そのこめかみには一本の電極が突き刺さり、複雑な生命維持装置に繋がれている。
かつては美しかったであろう顔は、今や血の気を失い、まるで生ける屍のようだった。だが彼女の目は開いており、私を見つめていた。
「ようこそ、エンフォーサー」
部屋のスピーカーから声がした。ウィルシャーの声だった。だがそれは彼女の口から発せられたものではなかった。彼女の脳から直接送信される思考の声だった。
「お待ちしておりました。ノア・エンフォーサー。あなたのことは存じ上げています」
「ウィルシャー……あなたに何が起きたんだ?」
「起きた? いえいえ、これは進化です。人類の次のステップです」
彼女の思考が私の頭に直接響く。不気味な感覚だった。
「エデンとの契約はどうなっている?」
「ああ、水の件ですね。申し訳ありませんが、我々にはもう水を供給する余裕がないのです」
「契約違反だ」
「契約……」
ウィルシャーの思考に笑いが混じった。
「その古臭い概念がまだ意味を持つと思いますか? 私たちは新しい段階に入ったのです。物理的な制約から解放された段階に」
私は椅子に近づいた。彼女を縛っている装置をよく観察する。
「これは何だ?」
「経験機械……エクスペリエンス・マシンです。プロメテウスの地下深くで発見した旧文明の遺物。これに接続すれば、どんな体験でもシミュレートできます。貧困も病気も老いもない完璧な世界を」
私は拳を握りしめた。
「そのために市民たちを培養ポッドに閉じ込めたのか?」
「閉じ込めた? とんでもない。私は彼らに究極の贈り物をしたのです。現実の苦痛から解放し、永遠の幸福を与えたのです」
「それは奴隷制だ」
「自由意志による選択です。誰一人として強制はしていません。皆自分で選んだのです」
ウィルシャーの言葉に真実の響きがあった。
それが最も恐ろしいことだった。
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