第二章 渇いた楽園
翌朝、私は装甲バギーを駆って東へ向かった。まずはエデンの現状を自分の目で確認する必要がある。依頼人の言葉だけでは情報として不十分だ。
中央ターミナルから東に三時間。丘陵地帯を抜けると、エデンの外郭が見えてきた。緑豊かな農業コムとして知られていたはずだが、目に映る光景は荒涼としていた。
かつては青々としていたであろう麦畑は茶色く枯れ果て、用水路には一滴の水も流れていない。農民たちが必死に井戸を掘っているのが見えるが、スコップが土を掻くカツカツという音が虚しく響くだけだった。
エデンのゲートで検問を受ける。警備兵は若い女性だったが、その顔には疲労と絶望が刻まれていた。
「執行人ノア。ミリアム長老に呼ばれてきた」
「お待ちしておりました。どうぞお通りください」
市街地に入ると、状況はさらに深刻だった。街の中央広場では給水車から配られるわずかな水を求めて長い列ができている。子どもたちの泣き声が絶えず聞こえてくる。
エデンの行政庁舎は質素な石造りの建物だった。内部も装飾は最小限で、実用性を重視した作りになっている。ミリアムの執務室もまた簡素だった。
「ノアさん、来てくださったのですね」
ミリアムが立ち上がって迎える。
昨日よりもさらに疲れた様子だった。
「現状を見せていただきました。予想以上に深刻ですね」
「ええ。あと一週間も水の供給が再開されなければ、エデンは終わりです」
彼女は窓の外を見つめた。
「二百年かけて築き上げてきたこのコムが、たった一ヶ月で崩壊するのです」
「プロメテウスからの連絡は?」
「一切ありません。通信も遮断されています」
私は腕を組んだ。
どうやら単純な契約不履行ではなさそうだ。
「プロメテウスとエデンの関係はいつから始まったのですか?」
「五十年前です。当時のプロメテウスの元首はウィルシャーの母親でした。非常に聡明な女性で、互恵的な関係を築いてくれました」
「ウィルシャーが元首になったのは?」
「三年前です。母親が病死してから。当初は母親の路線を引き継いでいたのですが……」
ミリアムの表情が曇る。
「一年ほど前から様子がおかしくなりました。会談の申し出も断られ、商人たちの出入りも制限されるようになって」
「何か心当たりは?」
「プロメテウスの地下で何かを発見したという噂があります。新しい鉱脈だとか、古代の遺跡だとか……確証はありませんが」
興味深い情報だった。プロメテウスの変化の原因がそこにあるかもしれない。
「分かりました。近日中にプロメテウスに向かいます」
「本当にお一人で? 私たちも協力できることがあれば……」
「いえ、これは私の仕事です。ただし」
私は立ち上がった。
「エデンの住民の安全は確保しておいてください。最悪の事態も想定して」
ミリアムの顔が青ざめる。
「最悪の事態とは?」
「プロメテウスが意図的に水を止めている可能性もあります。その場合、交渉だけでは解決しないかもしれません」
「まさか……戦争を?」
「可能性の話です。ただし常に備えは必要です」
私は執務室を出た。廊下で若い女性職員とすれ違う。彼女の目は希望と不安が入り混じっていた。
エデンを去る前に、私は街を歩いて回った。住民たちと話し、現状を把握する。どの顔にも絶望が刻まれているが、同時にかすかな希望も見えた。私という外部者の存在が、彼らに最後の望みを与えているのかもしれない。
夕方、私は装甲バギーに戻った。これから西部の荒野を越え、プロメテウスへ向かう。途中いくつかのコムを通過することになるだろう。それぞれ独自の文化と価値観を持つ小さな国家たち。
エンジンをかけながら、私はグロック17の重みを再び確認した。明日からは戦場だ。そして戦場では、誰が敵で誰が味方かは最後まで分からない。
それでも私は進む。契約のために。そしてエデンの子どもたちのために。
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