第7話 命の天秤ふたたび
森の小魔物退治から半月ほどが過ぎた。
私の心には、まだあの血の匂いが残っていた。
倒したときの手応えも、幼馴染ユウの怯えた目も、夜ごと夢に出てくる。
村の人々の態度も変わった。
感謝する者もいれば、避ける者もいる。
「死神の眼を持つ子」として噂され、子供たちは私と距離をとるようになった。
けれどスミレだけは、以前と同じように隣にいてくれた。
そんなある日。
村に再び病が流行り始めた。
咳と熱。前よりも強く、広がりは早かった。
病に伏した者の枕元には、あの黒い靄が漂っていた。
私は目を逸らせなかった。
老人から幼子まで、数多くの砂時計が一斉に音もなく落ち始める。
それはまるで、村全体に死の鐘が鳴り響いているようだった。
母が私にすがるように言った。
「ナギ……お前には見えるんだろう? 誰を先に助ければいいのか」
私は喉が詰まった。
選ばなければならない。
けれど選ぶということは、救える命と救えない命を分けるということだ。
父は黙って私を見ていた。
その瞳は、厳しさと信頼が入り混じっていた。
「お前に任せる」と言われたようで、胸が苦しくなる。
私は一軒ずつ家を回った。
靄の濃さを見極める。
残りの日数が短い者から優先的に水や薬草を与える。
火の近くに寝かせ、汗を拭き、歌を聞かせる。
そのたびに、家族が泣きながら私に縋った。
「どうか、うちの子を……」
「この人だけは……」
私は首を振ることもあった。
その度に、胸が裂けそうになった。
三日目の夜、幼馴染ユウが倒れた。
彼の靄は、もう薄い灰色に変わりかけていた。
あと二日、と数字が浮かんでいた。
「ナギ、助けてくれよ……」
熱にうなされながら、ユウが手を伸ばした。
私はその手を握った。
心臓が跳ねる。
——あの日、怯えた目で私を見た彼が、今は私を信じている。
「絶対に助ける」
私はそう誓った。
夜明け前、私は竹林に立った。
靄が風に混じり、村全体を覆っている。
私は目を閉じ、死神だった頃の記憶を探った。
——死は冷たい。
けれど、生は温かい。
その温かさに手を伸ばすのが、人間の役目だ。
私は再び眼を開いた。
死期の数字が揺らめいている。
それは絶対ではない。
選び方次第で、延ばせる命がある。
私は再び走り回った。
薬草を煮詰め、汗を拭い、冷たい布を取り替える。
眠る暇もなく、倒れそうになりながらも、私は続けた。
五日後。
ユウは熱を下げ、目を覚ました。
その瞬間、私は膝から崩れ落ちた。
「ナギ……ありがとう」
ユウの声はかすれていたが、確かな生の響きだった。
私は涙が止まらなかった。
だが、全員を救えたわけではない。
数人の老人が、静かに息を引き取った。
私はその枕元に座り、手を握り続けた。
彼らは微笑んで「ありがとう」と言って旅立った。
——命の天秤。
私はまた、その重さを両手に抱えてしまった。
けれど、今回は前よりも強く思えた。
死を見つめるだけでなく、生を選び取ることができる。
そのために、この眼はあるのだと。
夜、スミレが私の隣に座った。
「ナギ……辛い?」
「辛いさ。でも……」
私は空を見上げた。
星々が震えるように瞬いている。
「俺はもう、死神じゃない。人間だ。だから悩んで、苦しんで、それでも守る」
スミレはそっと笑った。
そして、私の肩に寄り添った。
竹林の風が、かすかにやさしく鳴った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます