第6話 森の小魔物退治
膝の傷が癒える頃には、夏の盛りを越えていた。
畑にはひまわりの背丈が伸び、森は深緑の濃さを増していた。
村の子供たちは相変わらず川や草原で遊び、私と姉のスミレもよく森の入り口まで出かけた。
けれど、その日だけは空気が違っていた。
森の奥から漂う気配。
死神だった頃の記憶がざわめき、肌を冷やした。
——小さな影がうごめいている。
それは人間ではなく、獣でもない。
死神の眼には、命の砂時計が数多く点滅していた。けれど、その落ち方は不自然に速い。
あれは“魔”の類だ。
その日の午後、村の子らの一人、幼馴染のユウが「木の実を探しに行く」と言って森へ走っていった。
スミレが慌てて追いかけ、私も遅れて後を追った。
森の奥は湿り気を帯び、光が少なかった。
鳥の声がやみ、代わりに不気味な鳴き声が響く。
草むらが揺れた。
次の瞬間、背丈ほどの灰色の小魔物が飛び出した。
牙が白く光り、瞳は赤かった。
ユウが悲鳴を上げて尻もちをつく。
スミレが彼を庇うように前に立った。
私は叫んだ。
「スミレ、下がれ!」
手にしていたのは、ただの木の棒。
けれど、足が勝手に前に出た。
恐怖より先に、守らねばという思いが胸を突き動かしていた。
小魔物が飛びかかる。
私は木の棒を振るった。
鈍い衝撃が腕に走り、獣の体が横へ弾かれた。
けれど倒れない。唸り声を上げて再び突進してくる。
その瞬間、視界が変わった。
靄が濃く渦巻き、小魔物の命の線が赤く光って見えた。
死神の眼が告げていた。
——急所は左肩から胸へ抜ける線。
私は棒を構え直し、狙いを定めた。
小魔物が飛びかかる。
木の棒を突き出す。
手応え。骨を打ち、獣が悲鳴を上げて地面に崩れた。
呼吸が荒い。手が震える。
けれど、私は倒れることはなかった。
「ナギ……」
スミレがか細い声で私を呼んだ。
彼女の腕の中で、ユウが泣いている。
私の手は血で汚れていた。小魔物の赤黒い液が棒を伝い、地面に落ちていく。
私は振り返り、言った。
「大丈夫。もう来ない」
だが本当は、胸の奥で別の感覚が渦巻いていた。
——刈ったのだ、また。
死神だった頃の自分と、今の自分が重なる。
けれど違う。あの時は命を奪うだけだった。
今は、守るために奪った。
村に戻ると、大人たちは目を見張った。
「子供が小魔物を倒しただと?」
「ナギ、お前……」
感謝と畏れ、その両方が入り混じった視線を浴びる。
父は黙って私の肩を叩いた。
母は泣きながら抱きしめた。
スミレは「ナギは強い」と笑った。
けれどユウは、怯えた目で私を見ていた。
その夜、村の集会で、長老が口を開いた。
「ナギには人ならざる眼と力がある。それをどう見るか——」
人々はざわめいた。
「頼もしい」
「恐ろしい」
「死神の子だ」
「いや、村を救った英雄だ」
私はただ、俯いていた。
死神の力を人前で使ってしまった。
だが、守るためだった。
それをどう説明すればいいのか、まだわからなかった。
夜更け、竹林に立った。
月明かりに棒をかざすと、血は乾いて黒くなっていた。
風が吹き、竹がさざめく。
その音は、かつて聞いた死神の鐘に似ていた。
「俺は……」
独り言が漏れる。
「俺はもう、刈るための死神じゃない。守るための、人間なんだ」
胸の奥で、誰かが笑った気がした。
帳方の声かもしれない。
それでも私は背を向けた。
生きる者の側に立つ。
たとえ“死神の眼”と呼ばれ、恐れられても。
その決意だけは揺るがない。
翌朝、村の子供たちは私を避けて通った。
だが、スミレは隣に座り、手を握った。
「ナギ、私は怖くないよ」
彼女の笑顔が光を差し込む。
その手の温もりが、私を人間へと繋ぎとめてくれた。
そして私は知った。
これからもっと多くの“死”に直面するだろう。
けれど、その度に守れる命もある。
死神の力を使いながら、人として生きる。
それが、私に課せられた罰であり、救いだった。
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