第11話



 およそ一カ月前、西日本高等教育支援機構の真新しいオフィスで末松邸の買収指示を下す際に上司は浅子を持ち上げ、最適の人材だと言った。


 そうかもしれない。


 いじめられっ子だった幼き日、生き残る為に学んできた様々な対処法……


 虐待する側の同級生へシンクロ、他の弱者へ巧みに攻撃の矛先を逸らす狡猾さと、一切の同情を消し去る怜悧な感性が功を奏し、今回も彼に勝利をもたらせたと言えよう。


 だが、さして意味の無いリスクまで自ら招いてしまった。その苦い自覚が胸中で揺らめいている。






 例えば、病室へ末松敬一を訪ねた日の成り行きだ。


 今思うと、あそこまで……後に死を選ばねばならない程、敬一を追いつめる必要は無かった。


 むしろ適当に甘やかしたまま、操り続ける方がずっと好都合だった筈。


 それなのに彼と話す内、自分でも説明不能な苛立ちが募り、最終的に過剰な心の痛手を与えてしまった。


 或いは、己と似た暗い記憶を持つ者への苛立ち、近親憎悪に近い感情の為せる業かもしれない。


 でも、それの何処が悪い、とも思う。


 所詮、人の弱さは自己責任。


 末松敬一には昔の浅子自身と同様、利口に立ち回る機会も、手段も、それなりにあった筈なのだ。


 喰われるのが嫌なら、喰う側に回れ。騙されるのが嫌なら、騙す側に回ってしまえば良い。


 テレビアニメじゃあるまいし、弱者が都合良く強くなれはしないのだから、貧乏くじを他の奴へ押し付ける以外、逃れる術なんて無いじゃないか?


 あの骸骨オヤジにせよ、今の体たらくは自業自得だが……






「ん~、彼があんまり泣き言を言うモンですから、ボク、便利な自殺の豆知識、レクチャーしてあげましたけど」






 ボクはあの時、何故、末松家の居間で、あの爺ィへあんな言葉を吐いてしまったのだろう?


 無駄なセリフだと思う。


 幾ら考えても、言うべき必然性は欠片もない。


 末松を挑発しているつもりが、何時の間にか逆に挑発され、本音を引き出された気もする。


 あの発言は、世間へ露呈すれば命取りになりかねない。


 もし警備機器のマイクにでも録音され、末松サイドの証拠にされた場合、少なくとも買収工作は水の泡。仕事はクビだろうし、最悪の場合、浅子は刑務所行きだ。






 まだまだ、甘いなぁ、ボク。

 幸い近所の出しゃばり共を巻き込んで、何もかもウヤムヤにできたから良いようなもんだけど……






 更に数分、縁石で佇んだ後、浅子は大きく背伸びをし、立ち上がって辺りを見回してみた。


 末松が振り回した金属バットは、彼と家族の思い出もろとも庭中の木や草花をひしゃぎ、もう見る影もない。


「あ~あ、折角、お手入れしたのに勿体ないですねぇ」


 騒ぎが治まった所をみると、末松自身はようやく取り押さえられたようだ。


 耳を澄ます内、家屋内の何処かから三好のおばちゃんとご近所の皆さんの勇ましい勝鬨が響く。


「エイエイオ~って、アホですか、今時……」


 そして、少し間をおいて「なぁ、見てみぃ、みんな。変な所に変な機械が置いてあンで」と、甲高い声が聞こえた。


 あの居間の奥、床の間に山と積まれた大層な警備機器へ、好奇心の強い三好さんが目を止めたのだろう。ついでに思い存分、弄り回しているに違いない。


 ま、お好きにど~ぞ。


 愛想と毒気をたっぷり含む会心の笑みを口元に浮かべ、浅子は小太りの体を揺らして、荒れ果てた末松家の庭からそっと抜け出そうとした。


 だが玄関まで来て、「キュン」と耳障りな音に気付く。


「……ん?」


 怪訝に振り向くと、あの玄関の門上、鬼瓦の傍らに設置された監視用ビデオカメラが、訪問した時と全く同じ反応、全く同じ軋み音で、鎌首をこちらへ向けている。


「何~だ、おんぼろカメラかい。ふん、脅かさないでよ。馬鹿馬鹿しい」


 浅子は一笑に付して通りの方へと歩き出したが、次の瞬間、薄い目が驚愕で大きく見開かれた。


「あ……アレが動くって事は……つまり、まだ生きてるの、警備用のシステムが!?」


 振り返り、駆け戻る浅子の動きへ正確にカメラは追随し、焦点を合わせてくる。


「あり得ない。ボク、とっくに電源を切った筈なのに」


 すぐ側へ近づいて浅子が顔を近づけると、こわばる表情がレンズへ映り込む。

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