第42話 洗濯わんこと、吊るされた羞恥

 沙霧は満足そうにお腹をさすりながら、俺の左腕にちょこんともたれかかっている。その動きに合わせて揺れた髪が、さらりと頬をくすぐった。


「ご主人様ぁ……今日のごはんも最高でしたわん♡」


「そっか。沙霧はいつも美味しそうに食べてくれるから、俺も作りがいがあるよ」


「だって、本当に美味しいんですものっ♡ あっ、ごちそうさまでしたを忘れてましたわんっ!」


 沙霧はぴんと姿勢を正して手を合わせ、それから食器をまとめて立ち上がる。俺もそれに倣って、しっかりと手を合わせた。


「ごちそうさまでした」


「わんっ♡ 洗い物は私にお任せください!」


「そう? なら俺は風呂掃除でもしてこようかな」


「はぁいっ、いってらっしゃいですわん!」


 スポンジを持ったまま手を振る沙霧に見送られ、リビングを後にした。廊下を歩きながら、じんわりと胸のあたりが温かい。


 こういうの──すごくいいなぁ。


 実態は全くの別物だけれど、まるで同棲カップルみたいで。つい、浮かれるような足取りで風呂場へと向かってしまった。


 浴槽を磨き、泡を流し、栓をする。これで、給湯ボタンを押せば、すぐに入れるようになる。


 ついでに、洗濯機も回しておくかな。

 昨日はサボっちゃったし……。


 一人の時は三日分まとめて洗ったりもするが、今は二人。沙霧の服のストックがどれくらいあるのかわからないし、溜めると面倒だ。


 脱衣カゴに手を突っ込もうとして、思わず固まった。


 いや、待てよ……?


 この中にはたぶん、沙霧の下着が混ざっている。しかも、使用済みのものが。そんなものに不用意に触れたら──


 確実に俺の理性が爆発する……!


 今や脱衣カゴは、地雷原と化していた。俺は慌てて脱衣所から一時撤退し、リビングに引き返した。地雷を設置した張本人である沙霧は、鼻歌交じりにお皿をすすいでいるところだった。


「あ、あのさ、沙霧?」


「あっ♡ おかえりなさいませ、ご主人様ぁっ♡」


 声をかけると、嬉しそうに迎えてくれる沙霧。その無邪気な表情が、これから確認する内容の恥ずかしさを倍増させる。


 けれど、聞かないわけにもいかない。沙霧の──愛犬のお世話は俺の使命でもある。


「えっと、洗濯機回そうと思ったんだけどさ……昨日着てた沙霧の服って、どうしてある?」


「わふん? 最初にご主人様に言われた通り、洗濯機に入れてありますわん。あ、でも……またぺしゃんこになると困るので……」


「わ、わかってるって! ちゃんと脱水までで止めるから!」


「ありがとうございます! 助かりますわん♡」


「じゃあ、もう一回行ってくる!」


 必要な情報を手に入れ、踵を返す俺。


 ブラぺしゃんこ事件──

 せっかく忘れようとしていたのに、思い出しちゃったじゃん……。


 とはいえ、何度も同じ轍を踏む俺ではない。カゴの中身を、次々に洗濯機へと放り込んでいく。脱衣カゴに沙霧の服がないのなら、むしろイージーミッションだ──


 と思いきや、ふと指先に滑らかな布地が触れた。


「……なんだこれ?」


 広げて見てみると、それは淡いピンク色の沙霧の寝間着──


 ベビードールである。


「……なんでこっちに入ってんだよ」


 準危険物なそれ。けれど、下着よりも危険度は低い。なにせ、昨夜の俺は、これを身に着けた沙霧を抱きしめて眠ったのだから。


「っとに……油断も隙もないな」


 たぶん急いで着替えた後、深く考えずに突っ込んだのだろう。その後は危険物を発掘することはなく、無事に任務は完了した。


「……ふぅ。これでよし、っと」


 スタートボタンを押し、洗濯機が注水を始めるのを見届けて、ため息をつく。脱水が終わるまで待てば、あとは干すだけだ。


 まぁ……そこが問題なんだよなぁ。

 いっそ、沙霧に任せるか?


 うん、それがいい。


 沙霧だって、自分の下着を俺に触られるのは気まずいだろうし。


 再びリビングに戻ると、沙霧はすでに洗い物を終え、ソファでくつろいでいた。すっかり、当たり前の風景みたいに馴染んでいる。


「ねぇ沙霧。洗濯機回してきたから、干すのはお願いしてもいいかな?」


「お仕事ですわんっ! ご主人様の頼みなら、頑張りますわん♡」


「……普通でいいからね?」


「わんっ♡」


 妙にやる気に満ちた返事に、なんか逆に不安が増すが──


 俺が干すよりは安全……だと思いたい。


「それよりもご主人様ぁっ♡ 洗濯機が終わるまでは暇なのですよね? ねっ?!」


「え、うん……暇と言えば、暇かな?」


「では、こちらにどうぞっ!」


 沙霧はひょいと立ち上がり、今まで自分がくつろいでいたソファを指さした。


「……座れってこと?」


「わんっ♡」


「まぁいいけど……」


 促されるまま座った瞬間──


「それじゃ、失礼しますわん♡」


 膝の上に沙霧がぴょんと飛び乗ってきた。あまりにも自然すぎる動作で、反射的に抱きとめてしまう。


「ちょっ……な、なに急にっ?!」


「えへへ……ご主人様とのスキンシップタイムですわん♡ 続きはごはんの後って、言ってくれたじゃないですか!」


「そういえば……そんなこと言ったような?」


「言いましたわんっ! だからご主人様ぁ、よしよししてほしいですわん♡」


「……はいはい、わかったよ」


 まったく……このわんこは。

 ポンコツなくせに、俺がついポロッと口走ったことまで全部覚えてるんだから……。


 膝の上で身を預けてくる沙霧は軽くて、温かくて、いい匂いがして。


 やばいなぁ……。

 幸せすぎる。


 俺は、洗濯機が仕事終えるまで、ひたすらよしよしさせられることになった。こんなのを知ってしまったら、もう一人の生活には戻れないかもしれない。


 ──ピーッ、ピーッ!


 しばらくして、洗濯の終了を告げる電子音がリビングまで響いてきた。


「……終わったみたいだね」


「わふっ♡ ついに私の出番ですわん! いっぱいよしよししていただいた分、しっかり働きますわんっ!」


 沙霧は俺の膝からひょいと飛び降り、尻尾をふりふり、弾むように脱衣所へ向かっていった。


「……大丈夫かな?」


 不安は拭えないが、任せると決めた以上は信じるしかない。俺も沙霧に続いて脱衣所に向かう。


「ハンガーとピンチハンガー、これ使って」


「はぁいっ♡ ありがとうございますわんっ!」


 俺はあくまで平静を保ちながら、目に毒なブツを視界に入れないように配慮して、必要な道具を沙霧に渡す。


 これで心の平穏は保たれた──


 そう思って油断した瞬間だった。


「ご主人様ぁっ、見てくださいっ!」


「ん?」


 不意の呼びかけに振り返ってしまった俺は、瞬時にフリーズした。沙霧が両手でブラを広げ、俺の目の前に突きつけていたのだ。


「どうですわん?」


「なんでまた見せたのっ?!」


「今日は無事でしたっ! さすがご主人様ですわん♡」


「そのためだけにっ?!」


「他になにかありますわん?」


「いや……」


 勘弁してよ……。

 せっかく色々と気を使ってたのに、全部台無しじゃんか……。


「あっ、ご主人様っ!」


「今度はなにっ?!」


「これ、上下セットなんですわん!」


 今度は、三角の小さな布がペロンとぶら下がっていた。


 どう見てもおパンツです。本当にありがとうございます──


 じゃなくてっ!!


「見せなくていいからぁっ!!」


「えっ……でも、可愛くないですわん? これもお気に入りなんですわん♡」


 あれ……。


 俺がおかしいのかな?

 そんなことないよね?


 もしかして──わんこになって、羞恥心までなくしちゃったんじゃ……?


 俺の好きな女の子、もう人としてだめかもしれない。なんだかちょっと泣けてきた。


「あっ、今度はご主人様のパンツさん発見ですわん!」


「しまっ──ちょっと待って?!」


「なにをですわん? わぁっ、大きいですわん♡ 私のと全然違います!」


「やめてええぇっ!!」


 全力で叫ぶ俺をよそに、パンツを両手でひらひらさせながら観察を始める。


「なるほどなるほど──ご主人様のはご立派ですから、ですわんね♡」


「んなわけあるかいっ! もう許して……」


 恥ずかしさで、俺はその場に崩れ落ちた。


 そこは関係ないの……。

 サイズはウエストで決まるんだよ……。


 悪気ゼロ、羞恥心ゼロ、そのくせ好奇心は無限大。誰もこの暴走わんこを止められやしない。


 こうして、リビングのカーテンレールに、俺と沙霧の下着が仲良く並んで吊るされるという、地獄のような光景が完成した。


 そして、俺はまたひとつ賢くなった。


 たぶん──いや、絶対に俺が干したほうが良かった。


 そんな教訓を得て。

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