第25話 夢見るわんこと、初めてのお弁当
青々とした芝生がどこまでも広がる丘の上。俺は傍らに沙霧を連れて立っていた。
「いくぞ、沙霧」
「わんっ!」
元気いっぱいの返事を受けて、俺はフリスビーを勢いよく宙に放つ。
「よしっ、取ってこいっ」
掛け声と同時に、沙霧は地面を蹴って駆け出した。風を切って加速し、フリスビーへと一気に距離を詰め、軽やかに跳躍する。
狙いを定めた口が大きく開かれた──次の瞬間。
「きゃんっ……!」
空を切って、派手に地面にダイブした。まるで、地面にキスでもするみたいに。
「沙霧っ?!」
慌てて駆け寄ると、芝生にうつ伏せた沙霧が涙目で俺を見上げた。
「あうぅ……痛いですわん。それに……また失敗しちゃいましたぁ……」
相変わらず、運動は苦手らしい。かれこれ何度もチャレンジをしているのに、まだ一度もキャッチ成功はしていない。
「ほら、立って。大丈夫そう?」
俺は沙霧をそっと抱き起こし、腕の中に引き寄せる。少々ポンコツでも、愛おしいわんこに変わりはない。
起き上がった沙霧のふわふわな髪が、風に吹かれてさらさらと流れた。
「よしよし、泣かないの。上手にできるまで、しっかり練習しようね」
「くぅん……♡ やっぱりご主人様は優しいですわんっ!」
「そりゃ、沙霧は俺の大事なわんこだからね」
「嬉しいわんっ!」
わしゃわしゃと頭を撫で回すと、うっとりと目を細め、すり寄ってくる。
そして──
「ぺろっ♡」
沙霧の舌が、俺の頬を舐めた。
「うわっ、ちょっ、沙霧?! くすぐったいよっ!」
「わふんっ! これも愛情表現ですわんっ♡ もっとするんですわんっ」
「舐めすぎだって!」
「だって私……ご主人様のこと、大好きなんですわん♡」
「まったく……甘えん坊なんだから。でも、俺も沙霧が大好きだよ」
「わふっ♡ 両想いですわんっ♡」
犬耳が嬉しそうにぺたんと寝て、尻尾が千切れそうな勢いで振られる。芝生の上で、俺と沙霧は笑い合って転がった。
とっくに地面に落ちたフリスビーのことなんて、もうすっかり頭から抜け落ちたままで──
***
朝。目を覚ました俺は、ぼんやりと天井を見つめながら、盛大に自己嫌悪していた。
ぐおぉぉぉぉぉっ…………!!!!
好きな女の子を夢に見たのに、内容がこれって……どうなんだ俺っ?!
夢の中の沙霧は、もう完全にわんこそのもの。見た目は犬耳と尻尾が生えただけの女の子だったが、仕草も言葉も、どこからどう見てもわんこだった。
恋を自覚した直後の夢にしては、いくらなんでも酷すぎる。
……まぁ、夢の沙霧がものすごく可愛かったことは認めるけど。
「っとに……全部沙霧のせいだぞ」
隣を見ると、沙霧はまだ眠ったままだった。俺に抱き枕のようにくっついて、すぴすぴとわんこっぽい寝息を立てている。
その姿があまりにも無防備で──つい、ぷにっと頬を突いた。
むにっと柔らかく沈み込む感触。指先に吸い付くような、もちもちの肌。
その感触が心地よくて、もう一度、ちょんっと押してみる。
「ふみゅっ……♡ ご主人しゃまぁ、くすぐったいですわん……♡」
呆れたことに、沙霧は沙霧で、またわんこになっている夢を見ているらしい。
……でも、悪い気はしないかな。
そのご主人様は、たぶん俺だから。
まぁ、できれば普通の男として見てもらいたいけどね……。
こんな奇妙な関係じゃなくてさ。
とはいえ、わんことして接してくれるおかげで助かっている部分も多い。『ご主人様』と呼ばれるのも、『沙霧』と呼び捨てにできるのも、こうして一緒に寝るのも、全て沙霧がわんこモードでいてくれから成立しているのだ。
きっと、今の俺の状況を知ったら、クラス中の男子が羨ましさに卒倒するだろう。
俺はしばらく沙霧のほっぺを堪能した後、小さく息を吐いてベッドから抜け出した。
さて──この可愛いわんこに、朝ごはんと弁当を用意してあげますかね。
「もう少しだけ……いい夢見てなよ」
それだけ言い残して、階下へ向かう。まずは顔を洗って意識をしゃっきりさせ、キッチンへ。寝間着の上にエプロンを装備した。
それだけで、少し背筋が伸びる気がする。
戸棚の中を漁り、ここ最近はめっきり出番のなかった母さんの弁当箱を取り出した。これは今日からしばらく、沙霧専用の弁当箱だ。
自分の弁当箱も一緒に並べ、ちょうど炊き上がったご飯を詰める。冷ましている間に、おかずの準備に取りかかる。
まずは玉子焼き、こいつは絶対に欠かせない。
彩りにもなるし、なにより定番中の定番おかずだ。
卵三つをボールに割り入れ、砂糖と塩を加えて菜箸でよく溶く。さらに茶こしに通して、舌触りを滑らかに。
美味しいって、言ってくれるかなぁ……。
そんなことを考えながら、シトシトとこされていく様子を眺めていると、つい頬が緩んだ。
普段は手間を惜しんでここまではしないところだが、今日は特別だ。なにせ、初めて沙霧に弁当を作る日なのだから。
玉子焼き器を弱火にかけ油を引き、卵液を薄く流し込む。半熟のうちに巻き、空いたスペースにまた卵液を。それを四度ほど繰り返せば、しっとりふわふわな玉子焼きの完成だ。
粗熱を取るために、巻き簾に包んでそっと置いておく。
まだまだ、これでは終われない。
アスパラとベーコンのバターソテーに、鶏の照り焼き、ほうれん草の胡麻和えを次々に作っていった。
冷めた順から弁当箱に詰めていく。もちろん、昨日作っておいた蓮根のきんぴらも。仕上げにミニトマトをちょんと乗せたら、目にも楽しい弁当が完成した。
おっと、ご飯にふりかけも忘れてはならない。白飯もいいけれど、ふりかけがあるとやっぱりテンションが上がる。
静かに蓋を閉め、弁当ポーチに包んだら作業完了。
余った分は、当然朝ごはんになる。二人分に取り分けてダイニングテーブルへ。内容被りは申し訳ないが、捨てるわけにもいかないし、こればっかりは我慢してもらおう。
ふと、窓から差し込む朝陽が目に映った。
柔らかい光が、テーブルの上の二つの弁当を照らしている。
思わず、小さく笑みがこぼれた。
寄り添うように並んだ弁当が、まるで新婚夫婦の朝みたいに見えて──
慌てて頭を振る。
いやいやっ、なに考えてんだ俺は……。
気の早すぎる自分に苦笑して、時計を見る。
そろそろ、起こしてあげなきゃな。
階段をのぼる足音が、トンットンッと響く。それはまるで、沙霧の寝起き第一声の『わんっ♡』を期待する俺の心臓の音のようで──
ここから始まる今日一日に、やけに胸が躍った。
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