第11話 見送りわんこと、預けられた鍵
「うっ、やっぱり苦いな……」
サックリ狐色のトーストに薄くマーガリンを塗り、その上にハムエッグを乗せて齧ると、口の中に焦げの匂いと味が広がった。
バリバリに焼けた白身、カッチカチに固まった黄身、少しばかり黒くなってしまったハム。どう見ても失敗だった。
「ごめん、月島さん。無理しなくていいから、無事なパンだけ食べてよ……」
そう言って、向かい側に視線を投げる。そこに座っている月島さんは、両手でハムエッグトーストを持ち、ちびちびはむはむと食べ進めていた。
小動物のような可愛らしい食べ方なのに、どことなく上品に見える。食べこぼしたりは、絶対にしなかった。
月島さんはこくりと喉を鳴らし、小首を傾げた。
「せっかく用意していただいたんですから食べますよ? 焦げたと言っても食べられないほどじゃないですし、私、目玉焼きもこれくらいの堅焼きが好みなんです。ちゃんと、美味しいですから安心してください」
ふわりと微笑む月島さんは、さっきまでわんわん言っていたとは思えないほどに可憐だった。
「そう……? なら、いいけど……」
その二面性に戸惑ってしまう。俺の失敗をフォローしてくれる気遣いもこそばゆい。俺は月島さんに目を奪われながら、またハムエッグトーストに噛み付く。やっぱり、少しだけ苦かった。
朝食を終えたら、俺は登校準備に取りかかる。顔を洗って歯を磨き、ざっと髪を整えたら自室で制服に着替える。その間、月島さんは洗い物を買って出てくれた。
ポンコツわんこっぷりを見すぎて不安だったが、どうしてもやると言って聞かなかったのだ。
『ご主人様のお役に立ちたいわんっ!』
なんて言われたら断れるわけがないだろう。あまりにも健気なわんこに、つい嬉し泣きしてしまいそうだ。
「お皿洗い完了しましたわん!」
支度を済ませてリビングに戻ると、月島さんはドヤ顔で待っていた。尻尾をふりふりして、キラッキラな瞳が褒めろと申しておりますわ。
……って、まーたわんこモードに戻ってるし。
そんなほいほい女の子の頭に触れていいものかと今更ながらに思いつつも、俺はつい手を伸ばしてしまう。我ながら、わんこに甘い飼い主だと思う。
「ありがと、助かったよ」
「……えへへ」
ぐぅっ……!
デレデレわんこ、可愛すぎるっ!
あざとわんこに手玉に取られ、わしわしと撫で回していると、しばらくして月島さんがハッと顔を上げた。
「ところでご主人様──なでなでのお点前は大変結構なのですが……そろそろ出なくていいわん?」
「……あっ」
月島さんに言われて時計を見ると、針はすでに登校ギリギリの時刻を指していた。
「やっべ……完全に出遅れた!」
「慌てて走って転ばないようにしてくださいわん」
「わかった、気を付けるよ。それじゃ、いってくる!」
「わんっ、いってらっしゃいです」
バタバタと玄関に向かい、靴を履く直前──ふと気付く。
待て待て待てっ!
おかしいだろ!
なんで普通に見送られる形になってんの?!
振り返ると、月島さんはリビングのドアから身体半分だけ覗かせて、にこやかに手を振っていた。
「あの……月島さん?」
「わん?」
「家に戻るって、言ってなかったっけ……?」
「そのつもりですが……この時間に向かっても、きっとまだ両親がいますし。もう少しだけ、ここにいさせてもらえたらなぁ……なんて。だめですわん?」
きゅーんと鳴き声が聞こえてきそうなくらい申し訳なさそうな顔をする月島さん。そういうことは、もっと早くに言ってほしかった。
「しょうがないなぁ……ちょっと待ってて」
俺はリビングに戻って戸棚を漁り、予備の鍵を取り出す。銀色の小さなそれをしばし見つめた後──月島さんの手の平に乗せた。
「これ、うちの鍵。預けておくよ」
「えっ……いいんですか?」
「いいもなにも、出る時に戸締まりしてもらわないと防犯的にまずいじゃん」
「それは、そうですが……」
「月島さんなら悪用することもないでしょ。帰った後で、学校ででも返してくれたらいいから」
月島さんは驚いたように目を瞬かせ、大事そうに胸の前で鍵を握りしめる。頬を赤く染めるその仕草は、慎ましくていじらしい。
「……ありがとうございます。大切に、お預かりしますわん」
「うん。でも、最後のわんはいらなかったかな」
「くぅん……減点ですか?」
「減点ではないけど……まぁ可愛いからいいか」
「わふんっ♡」
嬉しそうに鳴いた月島さんに苦笑して、靴を履く。母さんも不在のこの時期に、まさかクラスの女の子に見送られることになろうとは。どこか歪で、でも、心がほわっと温かくなる。
「じゃあ、今度こそ行ってくるよ」
「いってらっしゃいませ、ご主人様っ」
ぶんぶんと、尻尾と一緒に手を振る月島さんに、照れ隠しのように手を振り返して家を出る。ドアが閉まると、背後でカチャリと鍵がかかる音がした。
この奇妙な関係もこれで終わり──そう思うと、なぜか少しだけ寂しさを感じる。その気持ちを誤魔化すように、俺は靴音を響かせて、学校へ向けて駆け出した。
◆side沙霧◆
ご主人様──相葉くんが出ていった玄関のドアに鍵をかけ、大きく息を吐きました。胸の奥底からわき上がってくるのは、羞恥心です。
「まさか、この歳でわんちゃんごっこをすることになるなんて──はうぅ……」
私はその場に、ぺたんとへたり込みました。
やむにやまれずでしたが、恥ずかしすぎます。
おまけにあんなに何度もよしよしされて……。
でも、不思議と悪くなかったと思うのです。相葉くんの手は優しくて、いつも不躾にじろじろと見てくる他の男子達とはなにかが違う気がします。
少なくとも、怖さや嫌悪感というものは一度も思いませんでした。
「はぁ……本当に、私の中のわんちゃんが目覚めてしまったんでしょうか……」
恨みますよ、相葉くん。
でも、これで十分です。
あの人がどんな人なのか、少しだけわかった気がするので。
「さて。もう少ししたら私も──行かなきゃ、ですね」
手を平の上で光る鍵を見つめ、私はひとり呟きました。
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