第8話 ご主人様と愛犬の寝床問題
髪を乾かし終わる頃には、月島さんはこっくりこっくりと船を漕いでいた。こうなってしまえば、騒がしわんこも静かなものだ。
「月島さん、乾いたよ」
「くぅ〜ん……」
わんわんを禁じたせいか、弱々しくも甘えるように喉を鳴らす。ゆっくりと振り返った月島さんは、ぼんやりとした瞳に俺を映し出した。ほんのりとした微笑みを浮かべて。
微睡みと微笑みの合わせ技に打ちのめされそうになるが、ようやくゴールが見えてきた。あとは俺のベッドに転がすだけ。それで今日のミッションは完遂となる。
俺は月島さんより一足先に立ち上がった。
「ほら、もう限界みたいじゃん。俺の部屋案内するから早く寝ちゃいなよ」
「わふっ……」
短く返事をしつつも、月島さんは床にへたり込んだままだった。おすわりの姿勢で、じっと俺を見上げてくる。
「どうかしたの?」
「……眠すぎて立てません」
なんてこった……ゴールは目前なのに、まだ壁が残ってやがるのか。しょうがないなぁ……。
俺は苦笑して、月島さんに手を差し伸べる。二度目のお姫様抱っこをする勇気はなかった。あの時は緊急事態だからできたのだ。
月島さんは俺の顔と手を交互に見つめ、小首を傾げる。
「……えっと?」
「立てないんでしょ? 掴まっていいから」
「……はい、ありがとうございます」
きゅっと、手を握られた。
小さい手だった。指は細くしなやかで、すべすべで。眠気のせいか、じんわりと熱が伝わってきた。
初めて、女の子と手を繋いだな……。
握られたのは手のはずなのに、心臓を掴まれているような気分になる。俺はやけにうるさい心臓をなだめながら、その手をぐっと引いた。
どうにか立ち上がった月島さんはふらふらで、俺の手を支えにしながら、よろよろと後をついてくる。階段は転んだりしないように、引っ張り上げるように一段ずつ慎重に上っていく。
どうにか部屋にたどり着いた時には、俺はぐったりと疲弊しきっていた。
「そのベッド、今日は好きに使ってくれていいから。ゆっくり休んで」
そう言って手を離そうとするも、月島さんは引き留めるように、さらに強く握ってくる。
「相葉くんは……寝ないんですか?」
「……だから俺はソファで──」
「それはだめだって言ったじゃないですか……ソファなんかで寝たら、身体が痛くなっちゃいますよ」
「いや、でも……」
さすがに本当に一緒のベッドで寝るわけにもいかないだろうに。恋人同士ならいざ知らず、俺達はただのクラスメイトなのだから。
しかし、依然として手は握られたまま。月島さんは、目をしばしばさせながら、つんと唇を尖らせた。
「別に、気にすることないじゃないですか。今の私は、相葉くんのペットのようなものです。そう思えば平気なのでしょう?」
「全然平気じゃないけど?!」
思わず、また大声をあげてしまった。
女の子をペット扱いするなんて、いくらなんでも外道がすぎる。いったい月島さんは俺のことをなんだと思っているんだ。
「もし、相葉くんがソファで寝るのでしたら、私も床で寝ます。でも、それでは相葉くんは困るんですよね?」
「えっ、そりゃ、まぁ……」
「なら、こうするしかないじゃないですか。なんのために、私が恥ずかしいのを我慢してわんちゃんになりきっていたと思っているのですか?」
「……というと?」
ノリノリでわんわん言っていたような気がするが、それはどうも間違いだったらしい。なんにせよ、俺には恥ずかしがっているようには全く見えなかった。
「泊めてほしいとお願いしたのは私ですが……さすがに相葉くんをソファに追いやって、自分だけベッドで伸び伸び寝るなんてことできませんよ。そこまで図太くはないつもりです」
「……だから、妥協案で一緒に寝るってこと?」
「そういうことです。私だって無茶なことを言っているとは思います。でも、これしか思い付きませんでしたから」
ベッドにころんと寝転がった月島さんは、空いているスペースをポンポンと叩く。つべこべ言わずにお前も寝ろと言うように。
「犬や猫なら、飼い主と一緒に寝ても普通だと言ったのは相葉くんですよ。ねぇご主人様……一人で寝るのは寂しいわん。一緒に……寝てほしいわん」
月島さんの唇が、微かに震えている。今まで蓄積されてきた羞恥が一気に解放されたかのように、顔も耳まで真っ赤に染まっていた。
そこまでされているのに、俺はなにをしているんだ……。
自分が、とてつもなく情けないやつに思えてきた。俺は乱暴に頭をかきながら、深くため息をついた。
「……わかったよ。今回だけ特別──今の月島さんは……俺の愛犬だ」
その言葉に、月島さんは少しだけ目を丸くして、それからほっとしたように微笑む。けれど、すぐに誤魔化すように犬の真似を始める。仰向けになって、本物の犬のような服従のポーズで。
「わんっ……特別、嬉しいわんっ」
そのぎこちなさに、俺は吹き出してしまう。
「もうわんはいいって。というか、妥協案なのになんで喜んでんの……」
「だって……愛犬って、言われましたし? 愛犬なら、喜ぶところですわん」
「さようですか……」
俺は呆れ半分、照れ半分で呟いた。
月島さんはわんこだ。そう言い聞かせて、俺もベッドに潜り込んだ。二人で寝るには少しばかり狭いベッド、ちょんと肩が触れ合った。
その温もりも柔らかさも、どちらも犬のそれなんかではなく、紛れもない女の子のもの。これから寝ようというのに、緊張で身体が強張る。バクバクと心臓も暴れ始めた。
この状況で、本当に眠れるのか……?
疑問に思い横を向くと、ほぼ閉じかけの瞳が俺を見つめていた。
「私……もう、限界みたい、です……ご主人様、おやすみなさ、い……わんっ……」
「……おやすみ、月島さん」
返事はもうない。完全に目を閉じた月島さんは、まるで仔犬のように身体を丸めて、静かに寝息を立てていた。
こんなすぐに眠ってしまうほどだったのに、俺を説得するために無理をしていたのかと思うと申し訳なさが募る。
無意識に、手が月島さんの頭に伸びた。さらさらふわふわの髪が、指の間をすり抜けていく。そうしていると、全身を支配していた緊張もゆっくりと解けていくようで。
「……まったく、手のかかるわんこだよ」
やむなく拾っただけなのに、こんなことになるなんてなぁ。しかも結局言いくるめられてるじゃん。
自分自身にツッコミを入れつつも、肩に伝わる体温を感じながらそっと目を閉じる。
──まぁでも、悪くはないのかも。
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