第7話 わんわんナイトの攻防戦
床に這いつくばる俺の頭を、月島さんはまるで犬にでもするかのようにわしゃわしゃと撫でてくる。
「……なに、してるの?」
「よくわかりませんが……私のせいでこうなっているみたいでしたので、労って差し上げようかと思いまして」
「そりゃどうも……」
俺は深くため息をついて起き上がった。
……だめだ。このまま月島さんのペースに合わせていたら、身が持たない。
もう寝よう、そうしよう。寝て、全てが悪い夢だったと思うことにしよう。となれば、この天然ポンコツガールである月島さんを早急におねんねさせなければ。
次なる惨劇を引き起こす前に。
「とにかく──月島さんはもう寝なよ。昨夜も寝てないんでしょ。俺のベッド、使ってくれていいから」
「えっ……それでは、相葉くんはどこで寝るのですか?」
「俺はソファで寝るよ。一人の時はたまにするし、気にしなくていいか──」
「いけませんっ!」
月島さんの大声が、俺の言葉を遮った。
「そんなのだめです。私は招かれざる客……家主の相葉くんを差し置いてベッドで寝るなんておこがましいです!」
「いや……そうは言ってもねぇ。招いてなかろうと月島さんがお客さんなことに変わりはないし、女の子をこんなところで寝かせるわけには……」
「お気持ちはありがたいですが……どうぞ私のことは捨て置いてください。廊下でも玄関でも、家の中であれば結構です。それこそ──犬や猫のように扱っていただいて構いませんから」
「俺が構うよっ! というか、まだそれ引っ張るつもり?! 今日日犬猫だって専用のベッドで寝るだろうよ! もしくは飼い主と一緒にとかさぁっ!」
「えっ、あの……それはちょっとハードルが高いと言いますか、私にも心の準備というものがありますので……」
突然、ぎゅっと自分の身体を抱きしめてソワソワもじもじし始める月島さん。どう見ても、またおかしな勘違いをしているのは明白だった。
「えぇっと……いったいなんの話をしてるの?」
「えっ……相葉くんと一緒に寝るということでは……?」
「なにがどうしてそうなった?! 犬猫の話しかしてなかったよね?!」
叫びすぎて、そろそろ声も枯れそうだ。しかしながら、月島さんの暴走は終わらない。いや、本人はいたって真面目そうなんだが。
「つまり……私が相葉くんのわんちゃんになれば問題解決ということですね? 致し方ありません。恥ずかしいですが──頑張りますわんっ」
「あ……猫じゃなくて犬なんだ?」
「そうですね。どちらかと言えばわんちゃんの方が好きかもしれません」
「へぇ、そうなんだ……」
これはすなわち、先ほどの脳内妄想が誤りであったことを意味する。今後は月島さん(犬耳ver)に置き換える必要がありそうだ。
従順で賢く、わんわんと甘えてくる月島さんが可愛くないわけがない。実際はかなりのポンコツだけども。
……いや、ちょっと待て。
俺はさっきからなにを考えてるんだ?
どうやら俺は、月島さんのボケに付き合っているうちにおかしくなりつつあるらしい。
ほら見ろ、目の前に月島わんこが現れたぞ。
月島さんは両手を胸の前で丸めて、小さく首を傾げている。まるで本物の犬になりきっているような、満面の笑みを浮かべて。
「わんわんっ! ご主人様、なでなでしてくださってもいいわんよ?」
「いいわんよってなに?! ちょっと無理あるよね?! てか、しないからね?!」
「そんな……それでは相葉くんのベッドで寝れないじゃないですか……」
しゅんと肩を落とす月島さんは、お尻からへにゃんと力なく垂れる尻尾が見えるようだった。そんな姿にチクリと胸が痛む。わんこは上機嫌に尻尾をフリフリしている方が可愛いに決まっているのだ。
「わかったって……ちょっとだけだぞ」
「本当ですかわんっ?」
「とりあえず、その取ってつけたような『わんっ』てのやめようか。違和感ありすぎて反応に困るから」
「わかったわんっ!」
全く理解していないくせに返事だけは元気な月島さんは、嬉しそうに瞳を輝かせて俺にすり寄ってくる。その躊躇のなさは、完全になりきっている証だった。
「本当に、いいんだね?」
髪といえば、女の子の命だとも言われている。変なノリで触れて、後から文句を言われても困る。
「もちろんだわんっ。早くするですわんっ!」
だめだこりゃ。
これは撫でるまでわんわん言い続けるぞ……。
俺は観念して、そろりと月島さんの頭に手を乗せた。手の平に伝わるヒヤリとした濡髪の感触、指を滑らせるとふわりと甘い香りが立ち昇った。
そういや、髪も乾かしてないじゃん。
ここに来て、まだ寝る支度が整っていなかったことに絶望すら感じる。だが、月島さんは気持ち良さそうに、うっとりと目を細めていた。
……まぁ、もう少しだけならいいか。
「……よしよし」
「きゅーん……♡」
月島さんが可愛らしい鳴き声をもらした瞬間、急に現実が戻ってきた。
──やべ、俺、なにしてんだろ。
慌てて手を引っ込めると、月島さんはぽかんと目を丸くした。
もう終わり?
もっとしてほしいわん……。
そんな声が心に響いてくる。けれど、すでに幻覚の犬耳と尻尾は消え、そこにいるのはただの天然ポンコツな女の子。
「あのさ……今、変な声出てなかった?」
「そうですか? 出ちゃってました? 私の中に眠るわんちゃんの魂が」
「いっそずっと眠ったままでいてほしかったよ」
そうすれば、俺もこんなに心乱されることはなかったのに。
「でしたら、相葉くんが寝かしつけてください」
「はぁ……素直にベッドで寝てくれるならね。でも、その前に髪乾かした方がいいよ」
「もちろん、相葉くんが乾かしてくださるんですよね? しっかりトリミングしてほしいわんっ」
「それ、カットもすることになるんだけど大丈夫?」
「あ、カットは遠慮しておきますわん。大事に育てている途中ですので」
ちょいちょい挟まるわんこモードに、俺の精神はガリガリと削られていく。俺だけが知る可愛らしい一面だと思えば多少は満たされるが、受ける衝撃のマイナス分を打ち消すには程遠い。
「はいはい……じゃあ、とりあえずドライヤーだけね。それが済んだら本当に寝るんだよ?」
「わかりましたわんっ」
深夜のリビングに、ドライヤーの音が鳴り響く。乾くにつれ、ふわふわさらさらになっていく月島さんの髪が指に心地良い。
俺の前に座った月島さんは、リラックスするようにベッタリと背を預けていた。
運良く(悪く?)家の前で拾っただけのはずが、また随分と懐かれたものだ。なにが原因かは、俺にもよくわからなかったが──
「相葉くんはとっても優しいご主人様ですね。ご飯も美味しかったですし、すっかり餌付けされてしまいましたわん」
こういうことらしい。ひとまず、今の俺に言えるのはこれだけだ。
「あのさ……そろそろご主人様呼びとわんわん言うのやめない?」
すでに尽きかけている、俺の理性のためにも。
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