第3話 腹ペコ少女は家出少女

「あ……美味しい」


 ラタトゥイユを口に運んだ月島さんがぽつりと呟いた。さっきよりも心なしか頬が緩んでいる。どうやら口に合ったらしい。


「そりゃよかった」


 彼女の反応にソワソワしていた俺も、ようやくほっと胸を撫でおろしながら手を合わせた。


「いただきます」


 まずは俺も一口。パクリと口に含んだ瞬間、思わず心の中でガッツポーズを決める。


「うん、美味い」


 具材にした野菜達はとろりと柔らかく煮え、持ち味の甘味が舌の上に広がる。出来立てならではの味わいだ。もちろん一晩寝かせて全てが一体となったものもいいけれど、これはこれで別格だ。


 ──とはいえ、黙々と食べてばかりでは味気ない。


 食卓とは、ただ食事をする場じゃなく、会話を交わす場でもある──少なくとも、俺は小さい頃からそう教えられて育ったし、家族で囲む食卓はいつも賑やかだった。


 その積み重ねがあるからこそ、今も一人の留守番を寂しいと思わずにいられるのだろう。


 そんな習慣のせいか、無意識に口を開いてしまう。


「ところで月島さん」


「──はい、なんでしょう?」


 こくりと喉を鳴らし、丁寧に返事をしてくれる。その仕草に、感嘆が漏れた。


 あぁ……いいな。


 綺麗に食べる人と一緒だと、料理まで一段と美味しく感じる。作り手としても、そういう人に食べてもらえると嬉しいものだ。


 ただ──いざ話題を振ろうとすると悩む。月島さんとはクラスメイトというだけで、特別親しいわけでもない。共通の話題なんて、すぐには思い浮かばなかった。


 なら、あまり楽しい話ではないかもしれないが……これしかない。


「えっと……なんで倒れてたのかって、聞いても大丈夫?」


「そ、それは……」


「あ、ごめん。言いたくないなら無理には──」


「い、いえっ……助けてもらったんですから、それくらいは話します」


 そう言ったものの、月島さんは唇をきゅっと横に結んで俯いたまま。地雷を踏んだかと後悔し始めたところで、ようやく小さく口を開いた。


「あの……食べ終わってからでも、いいですか? お料理、すごく美味しいので……つまらない話で台無しにしたくなくって」


 ……なんてことを言ってくれるんだろう。こんなの、もう頷くしかない。


「そ、そっか。確かに食事中にする話じゃないかもね。なら、うーんと……あっ、そうだ。月島さんの好きな食べ物ってなに?」


「好きな食べ物、ですか。そうですね……あまり好き嫌いはないのですけど──相葉くんの作ってくれたこれは好きかもしれません」


 言いながら、月島さんはラタトゥイユをスプーンですくってみせた。料理のことを言っているだけ、頭ではわかっているはずなのに、好きという言葉にやけに胸が騒ぐ。


「……あはは、お世辞でも嬉しいよ。でも、空腹は最高のスパイスっていうし……よっぽどお腹空いてたんだろうね」


「うっ……それは言わないでくださいよ。あんなはしたない音を聞かれたなんて……うぅ、恥ずかしすぎます……」


 耳まで真っ赤に染め上げた月島さんは、両手で顔を覆い隠して小さくなってしまった。


 さっきから俺、地雷踏みすぎじゃないか?


 ……いや、腹の音よりも道端で倒れている方がよっぽど大事件だと思うんだけど。


 どうにも乙女心というものは、かなり複雑なようだ。


 また余計な一言で追い詰めてしまうのは危険だと悟り、慌てて食事の続きを促す。


「やっ、ごめんっ! もう忘れよ? 俺も忘れるからっ! それよりほら、食べて食べてっ!」


「……はい。取り乱してすいません」


 またちびちびと食べ始めたのを確認して、俺はこっそりとため息をついた。


 月島さんとの会話……難易度高すぎる。


 俺だって、自宅で月島さんと食事をしているというこの状況に緊張しきりなんだ。


 まぁ……こんなのは今回きりだろうし、無理に盛り上げようとする必要もないか。


 食べ進めるたびに、少しずつ表情が綻んでいく月島さん。その柔らかな笑みを眺めながらの食事は──会話がなくとも、不思議と心地よかった。


 ***


「……ごちそうさまでした」


 食事を終えた月島さんは、食べ始める前と同じようにきちんと手を合わせた。


「お粗末様でした。飲み物持ってくるから、そのままで待ってて」


「すいません……色々とお手を煩わせて」


「いいって。さっきは手伝わせちゃったけど、月島さんはお客さんだからね」


「招かれたわけではないですが……」


「俺がいいって言ってるんだからいいんだよ。なんならもう少しくつろいでくれてても大丈夫だしさ」


 食事が終わっても恐縮しっぱなしの月島さんを横目に、テーブルの上の食器をまとめてキッチンへと向かう。シンクに洗い物を置き、水に浸してから冷蔵庫を開けて、作り置きのお茶を取り出した。


「月島さん、お茶でいいかな?」


「あ、はい。ありがとうございます」


「はーい」


 グラスに注いで戻ると、月島さんはお茶を一口飲み、ほぅと息を吐いた。そして、俺が腰を下ろしたタイミングを見計らったように、静かに切り出す。


「では……さっきのお話の件なんですが──」


「あぁ、うん。なんで倒れてたかって話ね」


「はい。実は私、今家出の真っ最中なんです。昨日のお昼に両親と大喧嘩をしまして、その勢いで家を飛び出してきちゃったんです」


 なるほど、家出か。俺達の年頃では、そう珍しいことでもないだろう。幸いにして、俺は家出をしようと思ったことはないが。


 ただ──あの優等生然とした月島さんが家出だなんて、どうにもイメージができない。


 ……ん? 待てよ。

 今、『昨日から』って言ってたような?


「もしかしてなんだけど……それからなにも食べてなかったの……?」


 恐る恐る尋ねると、月島さんは恥ずかしそうにこくんと頷いた。


「お恥ずかしながら……スマホも財布も置いてきてしまって。なのでずっと飲まず食わずで彷徨っていましたね。倒れてしまうとは思いませんでしたが」


「え、それって……夜通し、ってこと……?」


「そうですが?」


 なにを当たり前のことを聞いているの、そんなふうに見つめ返される。


 ……なんてこった。危なすぎるだろ、月島さんよ。


 深夜に女の子が出歩く危険性をもっと知ってほしい。しかも飲まず食わずでなんて、倒れるのも当然だ。まだまだ暑いし、熱中症になっていた可能性だってある。


 最悪、命に関わるぞ……。


「助けを求める友達とかはいなかったの……?」


「……家に泊めてもらえるようなお友達なんていませんよ」


 ……まじかよ。


 今日何度目かもわからない衝撃が襲う。いつも色んな人に囲まれている月島さんは、もっと交友関係が広いものだと思っていたのに。


 理解が追いつかない。胸の奥が妙にざわつく。


 そんな俺をよそに、月島さんは少し間を置いてから、躊躇いがちに口を開いた。


「……そこで相葉くんにご相談なのですが──」

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