家の前に落ちていた女の子を拾ったら、懐かれた上に居着かれた〜手料理で餌付けたポンコツわんこの甘えが止まらない〜

あすれい

第1話 家の前で女の子を拾った

 自宅の門の前に──女の子が落ちていた。


 この衝撃をどう言葉にすればいいのか、誰かに尋ねてみたい気分だ。


「どうすんだ、これ……」


 思わずもれた独り言とともに、手に下げていたエコバッグがどさっと音を立てて地面に落ちた。


 スーパーのタイムセールで奥様方との激闘の末に勝ち取った、お一人様一パック限り百五十円の卵の無事が気になる。だが、それすら霞むほどの光景が目の前に広がっていた。


 アスファルトの路面に長い黒髪を散らし、うつ伏せに倒れている女の子。そこはかとなく事件の香りがするような絵面だ。


「……無視はできないよなぁ」


 家の前に倒れ伏している女の子を、大股で跨いでいく勇気は俺にはない。となれば、まずは安否の確認が先決だろう。


 しゃがみ込み、声をかけてみる。


「あの……大丈夫ですか?」


 反応なし。


 え……死んでたりは、しないよな?


 九月中旬というこの時期。日差しは弱まっても残暑はしぶとい。夕方とはいえ、アスファルトもまだかなりの熱を持っている。そこに顔を押し付けている姿を見かね、意を決して彼女を仰向けに転がした。


 その瞬間──頭が真っ白になった。


「えっ……月島さん?!」


 俺と同じ、誠諒高校の二年三組のクラスメイト、月島つきしま沙霧さぎり。うちの学年においてはちょっとした有名人である。


 今はやや苦悶に歪んでいるが、儚げな美貌と柔らかな物腰に加えて、勉強もできて運動音痴という守ってあげたくなるような属性まで兼ね備えている。


 入学当初は男子の告白ラッシュが伝説になったほどで、俺だって人並に見惚れたこともある。


 その月島さんが──今、俺の家の前で気を失って倒れている。


 そんな状況に困惑しつつも、ゆっくりと上下する胸元が視界に入り、ひとまず安堵の息をこぼした。


 よかった……生きてる。


「おーい、月島さん? 大丈夫?」


 問いかけにはやはり返答がないが、代わりに、うっすらと瞼が開いた。ぼんやりとした瞳が俺を映して、また閉じかけたそのとき。


 ぐぅぅ……。


 およそこんな可憐な少女から発せられたとは思えない豪快な腹の音が、静かな住宅街に鳴り響いた。


「……えぇ」


 まさかの行き倒れ。なんとも締まらない現実に、苦笑がこぼれる。


 しかし、放置しておくこともできないわけで。このまま道端に転がしたままにしておいて、車にでも轢かれたら目覚めが悪すぎる。それがクラスメイトともなればなおさらだ。


「はぁ……やむなしかぁ……」


 一度玄関を開けてエコバッグを家の中に放り込み、戻って月島さんを見下ろす。


「……あとで文句言うなよ」


 一応断りを入れて、身体の下に腕を差し込み月島さんを抱き上げた。こんな形で、人生初のお姫様抱っこをすることになろうとは思いもしなかった。


 腕の中でぐったりと脱力する月島さんの身体とても軽い。羽のようとは言わないが、抱えた腕に伝わる柔らかさに心臓が跳ねる。慌てて意識を切り替えて、リビングへと運び、そっとソファに寝かせた。


 邪な気持ちがわきあがる前に、これは緊急事態で仕方なくしているのだと自分に言い聞かせながら。


 地面に倒れていたので砂などがついたままだったのを思い出したが、これはあとで掃除すれば済む話だろう。ソファに沈み込む月島さんの呼吸が少しだけ穏やかになったのを確認して、自室からタオルケットを持ってきて彼女の上に被せておいた。


 ……これでひとまずは安心かな。

 さて、月島さんが目覚めるまでの間に──


「って、やっべ。まだ玄関に置きっぱなしだった」


 バタバタしていたせいで、買ってきたものは玄関に放置してきたままだ。食材は鮮度が命、早く冷蔵庫にしまわなければ。あのエコバッグの中には、俺の一週間分の食料が詰まっている。


 結局、卵が一つ割れてしまっていたが、被害はそれだけ。必要なものを残して冷蔵庫に突っ込み、俺は作業に取りかかった。


 キッチンに立つのは、もはや慣れたものだ。包丁さばきなんて、そこらの主婦には勝るとも劣らないと自負している。赤と黄色のパプリカを乱切りに、ズッキーニとナスはイチョウ切り、玉ねぎは角切りにしておく。


 フライパンにオリーブオイルとニンニクを放り込み、弱火で香りを出したら玉ねぎを投入。しんなりしてきたら、ズッキーニとナスも加えてさらに炒めていく。全体に油が回ったところでパプリカも入れてしまおう。


 あとはトマト缶と一緒にコンソメとローリエを一枚をぶち込めば、しばらくは弱火にかけたまま放置できる。


 その間に米を研いで炊飯器にセット。


 我ながら完璧な手際の良さだ。こんなものは慣れでしかないが、全てがうまく噛み合うと気持ちがいい。


 ……っと、まだ満足している場合じゃなかった。


 さすがに野菜だけでは、食べ盛りの高校生の胃袋を満たすことはできないだろう。ここでメインディッシュの鶏もも肉の登場だ。


 買ってきたばかりの鶏もも肉はもちろんそのまま使っても問題はないのだが、一手間を加えるだけで味や食感がより良くなるものだ。こういうところが料理の醍醐味、というのが俺の持論である。


 筋や軟骨が残っていることが多いし、身の厚い部分には血管も通っている。これらを丁寧に取り除いたら、食べやすくなるように皮目から何箇所もフォークを突き刺し、身にも切れ込みを入れて、余計な水分はキッチンペーパーで拭き取る。


 ここまでしてから、塩コショウで下味だ。今日は香草焼きにしようと思っていたので、ドライのローズマリーとオレガノ、ついでにタイムも振りかけておいた。


 そうこうしていると、火にかけていたフライパンからは美味しそうな匂いが漂ってきた。野菜達は柔らかく煮え、真っ赤なトマトの煮汁の中でくつくつと色鮮やかに艶めいている。一旦味見をしてから塩コショウで整えれば、ラタトゥイユの完成。


 米が炊けるまではまだ少し時間があるようなので、一度リビングを覗いてみたが、まだ月島さんが目覚める気配はない。


 どこかあどけなさが残る寝顔はあまりにも可愛らしく、ついいつまでも見ていたい誘惑にかられる。しかし相手は女の子、俺なんかにまじまじと見られたくはないだろう。


 断腸の思いでキッチンに戻ると、炊飯器があと十分だとデジタル表示で教えてくれていた。もう鶏肉を焼き始めてもいい頃合いだ。


 もう一つフライパンをコンロに置き、またオリーブオイルの出番。しっかりと熱して、皮目から焼いていく。


 油の弾ける音とハーブの香りが一気に立ち込めて空腹感を刺激してくるが、焦りは禁物。全体をフライパンに押し付けながら、じっくりパリッとするまで皮を焼くのがポイントなのだ。


 皮目が焼けたら裏返して、中まで火を通せばできあがり。おっと、添える用のレモンを忘れていた。


 タイミングよく炊飯器が炊きあがりをメロディで告げてくれたところで、リビングから物音と声がした。


 たぶん、この匂いが届いたのだろう──


「あれ……ここ、は……どこ?」


 ようやく、腹ペコな眠り姫がお目覚めのようだ。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


お立ち寄りくださった皆様、ありがとうございます!


最初の3話は前振りでして、第4話からがらっと雰囲気が変わっていきます。


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本作、すでに完結まで書き上げておりますので、安心してお楽しみくださいませ!

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