第二歩

 「忠敬様ぁ!御隠居されるというのは本当ですか!?」

 土が舞い、一人の役人が叫ぶ。

「あぁ。天文学というものをしたくなってな。」

 その役人は桜が散りきった時のような少し寂しそうな顔をした。

「まだまだ忠敬先生には現役で村の勤めを!」足元に一人の男がすがる。

「忠敬様が居なきゃ、またこの伊能家も経営不安になってしまいます!」

「村のみんなも忠敬先生が居なきゃ!」

 農作業をしていた男達もくわを投げ捨てやってくる。

「そうだよ!先生のおかげで飢饉ききんでも死人が出なかった!」

 一人、もう一人と忠敬の下に増えていく。

 畦道あぜみちを埋め尽くさんばかりの人々が訴えかける。

「子供達だって先生のそろばんを楽しみにしてるよ!」

 風も何かを訴えかけるように吹く。

「肥料だって先生が作ったのが無きゃ!」

 一人、もう一人。

 一枚の落ちた葉がちょうど忠敬と彼らの間に落ちる。

 澄み切った青い空。汚れなき白い雲。

太陽が眩しく輝いても、夜あったその星の輝きは残り続ける。

 村人は延焼をする山火事のように止まるところを知らない。

「いや、もう十分だ。年老いた木は朽ちて若木達にその場所を譲るべきだ。」

 忠敬は冬の朝、水たまりに張った一枚の薄氷のようにそう答えた。

 庭の老木があった場所に、植えてあった新しい木。

時期が来れば散る花。

枝の間から顔を出す脇芽。

葉桜が濃くなる。

季節は移ろい、命は注ぎ継がれていく。

次は…。

そうだ。

「江戸からいくつか天文の本を何冊か取り寄せてくれ。」

 忠敬の目は時間をも超えた無数の光を見ていた。

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