第2話:村外れの荒れ地

 翌朝。


 鶏の鳴き声で目を覚ます。

 ……いや、正確には“どこかで鳴いているような気がする”音だった。

 寝床は昨日見つけた廃屋の床。板は軋み、埃は舞い上がる。

 それでも、ユウトは妙に清々しい気分だった。


 「おはよう、世界」


 呟いて立ち上がる。

 昨日植えた小さな芽が、夜の間に少し大きくなっていた。

 朝日に透ける黄緑色の葉は、見ているだけで胸が温かくなる。


 「……やっぱり、育ってるんだな」


 風が頬を撫で、草の香りが流れた。

 ほんのわずかに湿った土の匂いが混じっている。

 生きている土地の匂いだ。


 だが、ユウトがこのまま一人で畑をやるわけにはいかない。

 この地に住む人々がいる。

 挨拶をし、できれば協力を得る必要がある。


 鍬を肩にかけ、ユウトは丘を下った。



 見えてきた村は、十数軒ほどの小さな集落だった。

 家々の屋根は古び、柵は折れている。

 人の姿もまばらで、通りを歩く老人がユウトを見るなり怪訝な顔をした。


 「おい、見かけねぇ顔だな。どこのもんだ?」


 腰に鎌を下げた壮年の男が声をかけてくる。

 日焼けした顔には、疲れと警戒の色があった。


 「旅の途中でして。仕事を探してたら、この辺りに畑があると聞いたんです。

  もし手伝えることがあればと思って」


 ユウトができるだけ柔らかく笑うと、男は少し目を細めた。


 「畑を……? この辺りじゃ無理だ。土が死んでる」


 「死んでる?」


 「ああ。何を植えても芽が出ねぇ。

  昔は肥えた土地だったんだが、魔物のせいで瘴気が回っちまった。

  もう何年も、ろくに収穫がねぇ」


 男の視線の先、村の外れに広がるのは茶色い荒地だった。

 昨日ユウトが倒れていた場所と同じように、ひび割れた土が続いている。


 「誰も近寄らねぇさ。畑をやりたいって奴がいても、みんな三日で逃げた」


 「三日?」


 「土が腐ってるんだ。あんたも近づかねぇほうがいい」


 男はそう言い残して去っていった。


 けれど――ユウトの胸には、奇妙な確信があった。

 (昨日の草が、あれだけ育った。あの土地は……まだ生きてる)



 村の中心にある広場では、数人の農夫が集まっていた。

 畑の相談をしているようだが、話し声には悲壮感があった。


 「今年もダメか……」

 「雨は降ってるのに、芽が出ねぇ」

 「魔物の呪いだって言うけど、どうにもなんねぇ」


 ユウトは意を決して声をかけた。


 「もしよければ、その畑、俺にやらせてくれませんか?」


 農夫たちは一斉に振り向いた。

 誰もが驚いた顔をしている。


 「おい兄ちゃん、冗談言うなよ。あそこは“死の畑”だぞ」

 「この辺りの者は誰も近づかねぇ。命が惜しけりゃやめとけ」


 ユウトはそれでも下がらなかった。


 「畑が死んでるなら、なおさら。……俺のスキル、農作業なんです」


 その言葉に、一瞬だけ静寂が落ちた。

 だが次の瞬間、笑い声が起こった。


 「農作業? あはは、なんだそりゃ!」

 「勇者でも魔法使いでもねぇのかよ!」

 「冗談は顔だけにしとけ、若造!」


 ユウトは笑われても、頭を下げた。


 「でも、やらせてください。失敗しても誰も損しません。

  せめて、土に触らせてください」


 その真っ直ぐな目に、老人の一人がため息をついた。

 「……どうせ誰もやらねぇ。勝手にしな」


 そう言って、荒地の方を指差した。


 ユウトは深く頭を下げた。

 「ありがとうございます」



 荒れ地は、思っていた以上に広かった。

 風が吹くたびに、砂埃が舞い上がる。

 鍬を握る手に汗が滲む。


 「さて……やるか」


 最初の一鍬を振り下ろす。

 ――ガツン。


 硬い。石のように固まった土に、鍬の刃が弾かれた。

 手のひらに衝撃が走る。


 それでも、ユウトは諦めなかった。

 もう一度、力を込めて鍬を振り下ろす。

 何度も、何度も。


 汗が流れ、呼吸が荒くなっていく。

 けれど不思議と、心は折れなかった。

 むしろ、少しずつ“土の声”が聞こえる気がした。


 ――痛い。――重い。――でも、まだ、いける。


 「そうか……まだ、頑張れるんだな」


 ユウトは笑って、もう一度鍬を振った。


 日が傾く頃、わずかに掘り返した土の中に、

 黒い湿り気が覗いた。


 「……水気がある」


 確かに、生きている。

 あの男の言葉とは裏腹に、この土はまだ呼吸していた。


 手のひらでそっと撫でる。

 その瞬間、ほんの少しだけ土が柔らかくなった。


 (やっぱり、俺の力が通じる)


 ユウトは空を見上げた。

 西の空が茜色に染まり、風が涼しくなっていく。


 「よし、今日のところはここまでだな」


 鍬を地面に突き刺し、空を見上げた。

 ――そのとき。


 遠くで誰かの声がした。

 「おーい! 兄ちゃん、まだ生きてるか!」


 顔を上げると、昼間の壮年の男が立っていた。

 腕には籠を抱えている。


 「お前、本当に一日中耕してたのか……。

  まったく、物好きな奴だな」


 男は呆れたように笑い、籠を差し出した。

 中には黒パンと干し肉が入っていた。


 「食っとけ。どうせ誰も近寄らねぇ土地だ。

  死なれちゃ後味が悪い」


 「ありがとうございます」


 ユウトは深く頭を下げた。

 風が吹き、二人の間を土の匂いが通り抜けた。


 男はしばらく黙っていたが、やがて呟く。

 「……あの土地を耕そうって奴、十年ぶりだ。

  あんた、本気でやる気か?」


 ユウトは笑った。


 「はい。

  ここに、もう一度“畑”を作ります」


 男は目を丸くしたあと、

 静かに頷いた。


 「なら……明日も来るわ。ちょっとは手伝ってやる」


 その言葉に、ユウトは胸が熱くなった。


 夕陽が沈み、畑の端に立つユウトの影が長く伸びる。

 手にした鍬が、赤く光った。


 荒れ果てた土地の真ん中で、確かに――

 一つの“命の灯”が、芽吹こうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る