畑から始まる魔王討伐~スローライフを望んだ俺、気づけば世界を救う救世主に~

KABU.

第一章:「畑と村と小さな日常」

第1話:目覚めたら畑だった

 土の匂いがした。


 鼻をつく乾いた匂いじゃない。

 雨のあとに漂う、あの湿った匂い。

 懐かしい香りに包まれて、ユウトはゆっくりと目を開けた。


 見上げた空は、青かった。

 それも、どこか作りものめいた透き通る青。雲はゆっくりと流れ、風が頬を撫でる。


 「……ここ、どこだ?」


 体を起こすと、背中に柔らかな感触。

 目の前に広がるのは、どこまでも続く荒れ地。

 遠くに見える森は黒ずみ、木々の葉は枯れかけていた。


 ユウトは立ち上がり、ぐるりと辺りを見渡す。


 「夢、じゃないよな……」


 手を見下ろす。

 細く、白い。前よりも若い気がする。

 体が軽い。息を吸い込むと、肺の奥まで澄んだ空気が広がる。


 その瞬間、頭の中に声が響いた。


 > 《スキルを確認します》


 「……は?」


 > 《固有スキル:《農作業》を付与しました》


 ユウトは数秒、沈黙した。

 そして――。


 「……はあああ!?」


 空に向かって叫んだ声が、どこまでも響いた。



 会社員として働いていた前世の記憶が、ゆっくりと蘇る。

 連日の残業。冷めたコンビニ弁当。休日もメールの通知。

 ある夜、駅の階段で意識が遠のいたのを最後に、記憶は途切れていた。


 気がつけば、この異世界。

 そして《農作業》。


 「……いやいや、せめて戦闘系とか魔法とかあるだろ」


 ユウトは苦笑した。

 だが不思議と、絶望感はなかった。


 (農作業……か。悪くない)


 実家が地方の農家だったことを思い出す。

 土に触れるのは、嫌いじゃなかった。

 むしろ、手を動かしている時が一番落ち着いた。


 そう思って足元を見ると、乾いた土が足の裏にまとわりついた。

 カサついた地面を掘ると、硬くてスコップも通らない。

 それでも、ユウトは無意識にしゃがみ込み、手で土をすくった。


 ……冷たい。けれど、どこか懐かしい温もりがある。


 「よし、まずは畑を作ってみよう」


 そう呟いた自分に、思わず苦笑した。

 目覚めて間もないのに、もう畑を耕そうとしている。



 周囲を見回すと、少し離れた場所に古びた木柵があった。

 その向こうには、崩れかけた家がぽつんと一軒。

 瓦が落ち、扉は壊れ、だが煙突だけは残っている。


 ユウトはそこへ歩いていった。

 家の中は埃だらけだが、鍬と鎌が壁に掛かっていた。


 「……道具があるってことは、誰か住んでたのか」


 外に出ると、丘の下に村のようなものが見えた。

 煙がいくつか上がっている。人の気配がある。


 「助けを求めに行くか……でも、いきなり“転生してきました”って言うのも変だよな」


 少し考えてから、ユウトは笑った。

 「まあ、働き手ってことにしておこう。畑を耕す人手が欲しい村なんて、どこにでもあるはずだ」


 鍬を手に取り、家の裏の土地へ向かう。


 土は乾ききっていて、まるで命がない。

 だが――その荒れ地の奥に、わずかに草が生えている場所があった。


 「……お前、まだ生きてるのか」


 ユウトはしゃがみ込み、枯れかけた草を撫でた。

 その瞬間、手のひらが温かくなり、草の色が少しだけ戻った。


 「……え?」


 土がふわりと息をしたように柔らかくなり、草が光を帯びる。

 小さな花が咲いた。


 「これ……俺のスキルの効果?」


 《農作業》のスキルアイコンが、頭の中で淡く輝いている。


 > 《農作業スキル:発動条件──“土に愛情を込める”》


 「愛情……? なんだそれ」


 試しにもう一度、両手で土を包む。

 すると、地面が少しだけ柔らかくなり、温もりが指先に伝わる。


 土の中から、微かな音がした。

 ――ありがとう。


 気のせいかもしれない。

 でも、ユウトは思わず微笑んだ。



 夕暮れが近づく頃、ユウトは粗末な家の前に腰を下ろした。

 小さな畑には、ほんの少しだけ芽が出ている。

 たった一日でここまで育つなんて、普通じゃない。


 風が吹く。

 遠くで鳥の声がした。


 「……生きてる、って感じがするな」


 スーツ姿で満員電車に押し込まれていた日々が、嘘みたいだ。

 誰にも急かされず、ただ自分のペースで生きられる。

 それが、どんなに幸せなことか。


 「よし、決めた」


 ユウトは立ち上がり、空を見上げた。

 雲の向こうに、どこか懐かしい星が瞬いている。


 「俺、この世界で――畑を耕して生きていく」


 夜風が頬を撫でる。

 畑の芽が、かすかに揺れた。


 その光景を見つめながら、ユウトは静かに微笑んだ。

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