第31話 20 山下橋2130(2)

 遠くない場所で銃撃戦の音が聞こえる。

 人形の家の向こうの方から空に拡散した発砲音が絶え間なく響いていた。

 重厚な首都高高架が頭上を横切る山下橋の方へ走った。直香がついてくる。

 銃声は止まらない。

 道路灯で明るい交差点には車一台通っていない。中華街方面は灯火が続く広い道路がすっきりとした見通しで伸びていた。

 まだ集団の気配はない。


 交差点を左に曲がり、首都高と並行するように新山下方面へ向かった。

 ここから先は港湾業務地区になる。暴徒には魅力が薄いだろうと思った。

 車道の真ん中は標的になりやすいので、歩道を使った。

 大きくカーブしながら中村川の河口を渡る橋が見える。橋のすぐ手前が山下埠頭の入り口だ。大型車が通行できるよう、広い三叉路になっていた。


 ボン!

 爆発に近い音がした。山下埠頭への入り口の真ん中で、車から火が上がっていた。ガソリンに引火したようだ。

 その周りに数名の男が立ち、燃えている車、クアッド・ポールの軽バンに銃弾を執拗に浴びせている。

 なんてことだ。最悪の展開があまりにもあっけない。

「直香、あれ」

「あの車だね」

 どちらの声にも戸惑いしかない。


 何が起こっていても、ここで引くわけにはいかない。後ろには、目的も定かではない暴徒の塊が迫っているのだ。

 僕はその場で膝をついて、問答無用で男たちを撃った。直香もサブマシンガンを連射した。

 一人、二人と倒れる。

 三人目、四人目はやみくもに銃を撃ちながら、埠頭の方へ身を引いていった。


「行くぞ!」

 僕は叫ぶと、走った。

 三叉路先のゲートが閉められていた。

 交差点の真ん中では軽バンが燃えている。

 ちょうど周囲を照らすかがり火になっていた。あそこを通り過ぎるとき、丸見えだということだ。

 僕は簡単に周囲を確認しただけで交差点に足を踏み入れた。

 一気に走りぬける。


 燃える車のそばには、Tシャツにタクティカルベストを着た男二人と、軽バンに箱乗りしたクアッド・ポールの警備員が倒れていた。

 そのうちの一人がまだ握っていた銃を蹴とばして、また走った。


 車の中には人影が確かにあった。

 駐車場で乗り込んだ全員分。炎に包まれてもピクリとも動いていない。全員死んでいるのは明らかだった。


 タタタタ。

 かがり火に照らされた僕たちに対して、埠頭から銃撃が始まった。

 また近くを弾が通り過ぎる鋭い音が聞こえて、僕は無意識のうちに頭を下げた。

「直香!」

「行って行って行って!」

 狙いをつけずに銃を撃ちながら、交差点を突っ切る。

 無事だ。

 

 そのまま河口をまたぐ橋を走った。

 河口の先、山下埠頭と新山下に挟まれた暗い海面に、多くの艀(はしけ)が浮かんでいる。背景には点滅する光をまとわせたベイブリッジが海上にそびえていた。


 橋を渡り切ると、歩道が階段で下がっていく。

 一段高くなっている車道とフェンス越しのコンテナに囲まれた歩道だった。敵が追ってくる気配はない。

 彼らは山下埠頭を占拠しているようだ。あの男たちはゲートを守るだけで追撃はしないのだろう。

 大槻社の船着き場を目指していたら、無事ではすまなかった。


 僕は膝に手をついて息を整えている直香に目をやった。

「無事か?」

「まあ、たぶん」

 そう言って体を起こした直香の右腕の袖が破れ、肘から下が赤黒く染まっていた。

「怪我してる!」

 僕があわてて言うと、直香は怪訝な顔をした。

「え?」


 僕はトラウマシアーズで彼女の服を袖口から切り裂いた。

 直香はその作業を呆然と眺めていた。

 ペットボトルの水を傷口にかけて、ライトで確認する。上腕部の皮膚がひどくえぐれ、血が次々とあふれてきた。

「大丈夫だ、死ぬような傷じゃない」

「全然気が付かなった。グロいね……」

 直香は細い声で言った。夜なので分からないが、おそらく顔は青ざめていただろう。


 止血ガーゼと圧迫包帯で処置をした。

「痛むか?」

「傷を見たら急に痛くなってきた。っていうか、今、超痛い」

「銃を撃つのは無理そうだな」

「撃たなきゃやられるよ」

 僕は直香のMP5の細長いマガジンを交換して左手に渡した。ケチな六課は予備マガジンを二本しか残していなかった。


 それから、自分の小銃のマガジンを換えながら周囲を見渡した。

 気づけば、僕も最後のマガジンだった。しかも、タクティカルリロードで半端な数しか残っていないものだ。

 遠い銃声が山下町方面から響いてくる。それが、このあたりの静けさを逆に際立たせた。


 どこかで休みたい。

 それに、直香に無理をさせたくなかった。直香は痛みに顔をしかめていた。

 付近に強奪されるような施設はないが、どの暗がり、どの曲がり角も安心できなかった。今までの道中がそうだった。


「アキも血が出てる」

 そう言って、直香が僕の頬を手袋を外した指でこすった。チクリと傷んだ。

「小さな傷」

「破片か何かかな」

「痛い?」

「大丈夫」

 僕は頬にある直香の手を握った。


 その時、視線の先で首都高高架に赤い光が反射しているのに気づいた。

 回転灯?

 新山下入り口か。

 僕は握っていた直香の手を引いて歩き出した。



 とぼとぼ、と言うのがぴったりな気分だった。

 僕は直香の手を引いてゆっくりと歩いた。

 小学校のころ、ランドセルを背負って泣いている僕を、栞菜がひっぱって歩いた細切れの記憶がよみがえった。

 あの時はどうして泣いていた? 転んだのか、誰かにいたずらされたのか。

 今、直香は泣いていない。時折くっと顔をしかめる以外は、表情もしっかりしている。


 首都高の高架が頭上を重々しく走る。僕たちが向かう先には、上下線の隙間に無理やりねじ込まれるような細い導入路があった。

 新山下入り口だ。

 パトカーが一台、道をふさぐように停まっている。

 その後ろ、入り口のスロープが始まるところには、迷彩色のごつい車があった。

 自衛隊の軽装甲機動車だった。


 直香から手を放して、僕は両手を挙げた。パトカーの脇に立っていた警官が銃でこちらを狙っていたからだ。

「委託警備員だ!」

「こっちに来い!」

 僕たちが近づいていくと、警官は銃を下ろした。


「ひどい格好だな。怪我しているのか」

 重アーマー姿の中年警官は、直香の腕を見た。

「どこかで治療は受けられますか?」

「近隣の病院は、歩ける人間は後回しだぞ」

 まあ、想像していた通りだ。僕が振り向くと、直香は肩をすくめて見せた。


「あっちの戦闘は激しいのか?」

「連絡は受けてませんか。ひどい状態です」

「大雑把な状況だけは知らされている。今のところ、暴徒の群れはみなとみらい方面に向かっているらしいから、こっちには来ない」

「県警本部も攻撃を受けてた」

「そうなんだろうな。指揮系統が混乱の極みだよ」

 切迫した状況がそうさせるのだろう。この警官は僕たち警備員に対してよくしゃべった。


「行く当てはあるか?」

「いいえ。もう弾もありません」

「上に行け」

「え?」

 警官は親指で自分の後ろを差した。


「首都高は避難経路に指定されている。今のところ封鎖は破られていない」

「みなとみらいでは首都高からRPGを撃たれましたよ」

「横羽線だろ? 湾岸線は今のところ大丈夫だ」

 本当かよ。頼りないが、他に選択肢がなかった。


 警官は後ろで控えていた自衛隊員に合図した。それを受けて、自衛隊員は無線で何かをやり取りした。

「どうぞ!」

 自衛隊員から声をかけられて、僕たちは軽装甲機動車の脇を通り抜けた。

「ベイブリッジに行ってください。そちらの方が安全です」

 警察と違って、自衛隊員は物腰が親切だった。よく見れば、その隊員は僕たちと同年代だ。

「ありがとう」

 僕は礼を言うと、スロープを登って行った。


 本社と話す。

「本部、シエラ・ツー。応答願います。どうぞ」

『本部です。無事でしたね』

「何とか。青木警備の警備員が負傷しましたが、動けます」

『ああ、あの子。以前、野木さんと食堂にいた子でしょ?』

 リンコの様子が違う。僕は不安になってきた。


「本部の状況は?」

『よくありません。今から司令センターは閉鎖し、係員は退避します。指示は出せなくなります。ごめんなさい』

「センター閉鎖って、そんなに悪いんですか」

『みなとみらいには第一普通科連隊と空挺部隊が展開しているから、ここもすぐに解放されるとは思います。私たちはそれまで抗戦します』

 リンコの後ろで怒鳴り声が聞こえた。あろうことか、銃声まで聞こえる。


『野木さん、交信はとりあえず最後です。どうぞご無事で』

「そちらこそ」

『ありがとう。おわり』

 それで終わりだった。

 僕は言葉もなく直香の顔を見た。直香は不思議そうな表情を返してきた。

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