第13話 8 雪解け
落ち着いてから改めて見ると、豪華客船の横っ腹は
「豪華客船が
鑑識課の仕事を見ていた私に、山田とかいうクアッド・ポールの警備員が話しかけてきた。ゲート班の人たちの応急処置をしていたので、全身血だらけだ。
「これはこれでカッコいいかも」
「船会社はそうは思わねえだろうなあ。海水でさびるから、すぐに塗装しなおしだ」
「じゃあ、クルーズは中止?」
「いいや。現場検証が終われば、甲板部がさっさとやるよ。こんなの朝飯前だ」
「おじさん、詳しいね」
「海保にいたことがあるからね。あと、おじさんはやめてくれ」
山田はそう言ってウィンクし、船尾の方に歩いて行った。
あんなにウィンクが様になる男を初めて見た。というより、男がウィンクするのを見たのは初めてだ。
波止場に停まったOSS社のレスキュー車両からアキが戻ってきた。両手に装備とペットボトルをぶら下げて、裸の上半身に包帯を巻いている。
「あたたた」
「どうだった?」
アキは私に背中を向けて見せた。包帯が盛り上がったところが被弾箇所だろう。
「打撲で済んだ。骨も内蔵も問題ないってさ」
「ホント、バカだよね。私が言わなければ手当受けなかったでしょ」
「言いそびれただけだよ」
私たちが撃ったバンの犯人たちも全員重症だった。
アキが自分も被弾したことをなんとなく言いそびれる気もわからなくはない。
応援にやってきたOSSの特殊班の人に、私が「この人も撃たれてます」ってチクったら、黒系のユニフォームを着たその人はアキに「バカ野郎、早く言え!」とめちゃくちゃ怒鳴っていた。
どうも社内ルールではもっと早く報告しないといけなかったようだ。アキが人からバカ呼ばわりされているのを見て、私はすっきりした。
アキは装備を地面に置いてからTシャツを拾い上げ、顔をしかめながら着た。さらに声を上げながらスウェットも着こんだ。
だいぶ暖かくなってきたとはいえ、三月の潮風は冷たい。
「ダンプは埠頭の北の端で乗り捨てられてたらしいぞ」
「犯人は?」
「いなかった。埠頭につながる橋は全部検問が敷かれてる。泳いで逃げたかもしれない」
「あれだけ撃たれて無事だった?」
「ダンプに血痕はあったらしい。どれくらいの量なのかは知らんけど、助からなかったホトケは海に捨てたのかもな」
「ああ、わけわかんない」
私は心底うんざりして言った。
「ほら」
アキは私に水のペットボトルとチョコレートバーを渡すと、地面に座り込んだ。どこからかせしめてきたようだ。
「ありがと」
アキは水を一口飲んだ。
「今朝言ってたことだけどさ」
「なに?」
「ネットで不穏な動きがあるって話。今日のことがあると、本当のような気がするな。どう考えてもクルーズ船を狙うメリットがない」
「うん。私もそう思う」
「しかも社員が二人死んでる」
アキはため息をついて、襲撃前と同じようなことを言った。
「工場とかスーパーの襲撃なら、確かに増えていた。でも、そんなのと、この前の動物園と今日のは、やっぱり違う」
そこに船尾班にいた中年の男性がやってきた。アキの上司の藤田隊長だ。
アキは立ち上がって両方の踵をつけた。私は違う会社なのでチョコレートバーをかじったままだ。
「そのままでいい。具合はどうだ?」
「ただの打撲でした。大丈夫です」
「プレートアーマー様さまだな。普段は邪魔でしょうがないが。プレートは装備課で交換しろよ。青木警備のお嬢さんは? 大丈夫だったか?」
「はい。この人がかばってくれたんで」
口をもごもごさせながら、余計なことを言ってしまった。
藤田隊長はうなずくと、ヘルメットを外して頭をかいた。
「今日もな、市内の複数個所で襲撃があったようだ。他の会社でも死者が出ている」
「今までにもこんなことがあったんですか?」
アキが素朴な聞き方をした。さっき二十一歳だと言っていたから、十五からやっていたとして六年。まだ知らないことの方が多いみたいだ。
「半グレのガキどもが警備員狩りをゲームにしたことはあった。警備員への嫌がらせは定期的にある。だが、今回みたいなのは初めてだ」
「何なんだと思います?」
「俺はさ、これといった特定の原因はないと思うよ。いろいろな積み重ねだと思うね」
藤田隊長は少し考えた後で言った。
「インフレは進んで、政府の補助金は増えない。仕事は少ない。なのに湯水のように金を使う金持ちやインバウンド客は、目と鼻の先にいる。市は体裁を保つために都心部の優遇をどんどん進めて、郊外部はさらに荒んでいる。何も起こらない方がおかしい。この仕事していると、肌で感じるだろ?」
OSS社員は日ごろからこんな会話ばかりなのだとわかった。隊長の淀みのないしゃべり方からだ。
「そんな
最後はため息と一緒に言った。
「法案が可決した去年の秋ごろから警備員に対するヘイトがネット空間に充満していて、情報部はもはや分析するのも苦行だそうだ。それが今になってアクティングアウトしてるのかもしれん。素人考えだがな」
私とアキは目を合わせた。
「でも、今日のやつら、そんなことで特攻しますかね。何考えてんだろ」
「それはお前の認識が甘いよ。行き詰った人間は、何をしだすかわからない」
私とアキは再び目を合わせていた。
「そう言えば、クアッド・ポールの山田がダンプの運転手に見覚えがあるかもって言ってたな。これから社に照会するそうだ」
「どういうやつです?」
「警備員襲撃の常連。何度か臭い飯も食ってる。全く、そんなに恨まれる覚えはないんだがなあ」
マジでそれだよ。
私とアキはOSSの大型バンでベイブリッジを渡った。みなとみらいに近いOSS本社まで行って、そこで解散だ。
隊長からあんな話を聞いたばかりだからせめて防弾車にしてほしい。私は切にそう思った。
バンには私たちしか乗っていなかった。藤田隊長と、ゲート班に近かった姫野という男はまだ現場に残っている。クアッド・ポール社は自前の車ですでに帰っていた。
長い一日だった。春分の日に近い今日、太陽は西の山脈に沈もうとしているところだった。きらびやかなみなとみらいの夜景の向こうに、富士山がシルエットになってよく見える。
クルーズ船と同じだ。きれいな世界に追い詰められる人間は、確実にいる。
この町は、制度と警察力によって、中心部に行くほど富裕層しか立ち入れなくなる。
私の地元にいるような、タトゥーだらけの金髪青年がうろうろしていたら、百メートルごとに職務質問されるだろう。そんな場所にいられるもんじゃない。
なまじ、壁がないだけに、格差の痛みがわかりやすすぎる。
波止場でのアキと隊長の会話が、何げに私にも浸透しているみたいだった。
私はポーチからカメラを出して、車窓越しにみなとみらいを撮った。私みたいな生活をしている人間がベイブリッジから港を眺める機会なんて、そうそうない。
逆光気味だったが、味のある写真になったと思う。
「写真?」
最後部座席に少し間を開けて並んで座ったアキが聞いてきた。
「うん。気になった景色を撮ってる」
「きれいに撮れた?」
疲れているのか、優しく聞こえる言い方だった。
「きれいだよ。多分、あの街はどう撮っても」
「そうか」
アキは顔に西日を受けながら、目を細めて同じ景色を見ていた。
「俺はドローイングをしてた」
「ドロー?」
「素描。お絵描きだよ。中学の時は美術部だったんだ。仕事を始めてからも、ときどき思いついて描いてたけど、今はやってないな」
「やればいいじゃん」
「生活に追われてんだよ」
つまらんことを言うな、こいつは。
ただ、彼の目を見れば、その言葉が嘘ではないのはわかる。私も同じになっていくのだろうか。
「この前の動物園のあと、大丈夫だったか?」
アキは突然聞いてきた。
「あんたに怒鳴られて、しばらくへこんでたよ」
「それだけじゃなくてさ。人を射殺したあと、大丈夫だったか?」
「ああ」
私は目を伏せた。
AKの反動、音、硝煙の臭い、そして、石畳に広がる犯人の血の色。すべて合わさって、人を撃ったという生々しい手ごたえとして、私の身の内にまだ残っていた。
「どうだろう。大丈夫だとは言えない」
アキはみなとみらいを見ながら話した。
「俺は十七で初めて犯人を射殺した。その時勤めていた警備会社の社長が撃たれて死んだときだ。反撃したら、敵の一人の頭が吹っ飛んだ。あれはね、今でも忘れられないよ。反社の連中だったけど、たぶん、俺と同い年くらいだった」
私はカメラを下ろしてアキを見た。
「俺だって、境遇はあいつらと一緒だよ。いた場所がたまたま違っただけ。あいつらにしてみれば、俺たちみたいな委託警備員は裏切り者なのかもしれないな」
友里衣と同じだ。言っても仕方のないことを言う。
でも、彼の気持ちは痛いほどわかった。誰もが、口にしないことを選んでるだけだ。
「このカメラさ、もともとジャンク品だったんだ」
アキは振り向いて、私の手の中にあるカメラを見た。
「私の中学の同級生が、直して屋台で売ってるわけ。あいつは、すごく理性的で、機械にはめちゃくちゃ詳しいし、人を殴ったりすることもない。そのかわり、細かいこだわりが強すぎて、人とはうまくやっていけないようなやつ」
「優しいんだな」
「あれは優しさとは違うと思うよ。でもね、このカメラを買うときに彼が言ってくれた。警備員無しでは生きていけない市民だっているって。何げに、そいつの言葉は私にとっては救いになっている」
やばい。なにをぺらぺらとしゃべっているのか。私は自分のとても柔らかい部分をこいつに見せているような気がする。
アキは特に表情を変えることなく、また車窓の方に向いた。
「うらやましいよ。そういう言葉は大切にした方がいい。これからも、どんどんすれていくから」
そのとおりかもしれない。
アキは思いついたように私の方を向くと、ぼそっと言った。
「飯でも食いに行くか」
「なに?」
「腹は減ってないけどさ。飯、食いに行かないか?」
私は二秒ほど彼の顔を見てから聞いた。
「ふうん。おごり?」
「いいぜ。おごる」
「冗談だよ。あんた、今日大変だったから。私がおごる」
考えてももいなかったことを口にして、なんだか恥ずかしくなってきた。
「いいよ、無理しなくて」
「無理はしてない。でもさ、こんな格好でご飯なんて、行くとこないよ。着替えなんて持ってないし」
「うーん、社食? それくらいしか……」
「いいね! OSSの社食、行ってみたい。安いだろうし」
「ああ、安いは安いね」
私はわざとらしい笑みを浮かべてアキに顔を向けた。
「ちゃんとしたご飯は、また今度行こうよ」
「ああ、そうするか」
アキは微妙に嬉しそうに言った。
同業者だけど、なかなかいい顔しているし、中学生よりはましだろう。
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