第2話 紅き夜に

 目を開くとまず血の匂いが鼻についた。凄惨というよりも時間が経ちどんよりとした空気が血を纏っているそんな感じだ。徐々に目が暗闇に慣れていく。机に広げられた魔導書と思われる物や棚に置かれた触媒の入ったガラス瓶目に入った。おそらくここは魔術師もしくは魔法使いのアトリエだろうと思った。


「紅き月か。なるほど」


 部屋の中が真っ赤に染まっている。魔力が振れる日とも言われ、この日を選んで儀式を行う。その結果俺が召喚されたのだろうか。


 ここには魔術を行使した痕跡が多く見られる。日常的にここで魔術を使っているのだろう。状況確認のために足を軽く踏み出し、音に気を配る。すり足で数歩、足元に何かが当たる。木の板を転がる金属音とそれ以外の音。ナイフだろう。そして、足元のぬるりとした気持ち悪さを靴越しに感じた。


 月光を受けて赤く輝くナイフに手を伸ばす。重さ、長さ、鍔どれをとっても儀礼に用いるためのものではなかった。不均等な照り返し、その刃は血に濡れていた。アトリエ内は雑然としていたが荒らされた形跡はない。間違いなく儀礼に使ったのだろう。


「そうか、儀式の触媒になったのか。いや、だとしたらここに落ちているはずは……」


 一人考え込んでいると心臓が穿たれる幻覚に襲われる。だが、魔法による攻撃ではない。これは呪いなのか?


 荒れた息を整えつつ振り返って光源を探す。木枠の窓から赤き月が木々の隙間から俺を見つめるように照らしている。

 息を整えると微かだが呼吸音が聞こえる。耳を澄ますと不規則な呼吸音だと気が付いた。音の方向に目を走らせる。部屋の片隅にそれは居た。おそらくこのアトリエの主だろう。


「やはり居た。しかし、呼吸音が浅い」


 近づき膝をつく。ローブを被っている姿だけだが、俺はこの人影は魔女だと確信している。


「魔女殿? 大丈夫か」


 足元に落ちていたナイフを拾う。が、不意にするりとナイフが転げ落ち床の上を滑る。


「なんだ。いったい何だと言うのだ。こんなナイフが何だってんだ! くそっ」


 気持ち悪さがゆっくりと体の感覚を奪い、背側から冷えていく。

 あの幻覚のような症状の原因はこのナイフだったのか? 何かを考えようと思考を巡らすが、考える傍から抜け落ちていく。やはり、これは呪いだろう。しかし、儀式に用いるナイフが呪われている事などあるのだろうか?


「ま、魔女殿!」


 アトリエの外から魔力が膨れ上がっていくのを感じ、呻くように声を上げた。肺から空気を目いっぱい吐き出すと両膝を力の限り叩く。倒れこむように魔女の上に覆い被さって身を低く衝撃に備えた。

 白い光が赤い月光を覆っていく。そう思った次の瞬間には白く強い魔力光が視界を奪う。魔力に込められたモノを防ぐために瞼を閉じる。木が折れる音が連続し、魔力が背中を薙いだ。かなりの質量を持った魔力の一撃だった。とても、一人の魔法使いが扱える魔力量ではない。


「え?」


 ローブの中から紅い瞳が俺を捉える。その瞳から発せられる力に俺の魂は見るなと告げるように早鐘を打つ。背中には焼ける様な痛みそして指先と足先が固まっていく感覚。後者は間違いなく呪いの類だった。


「ゴルゴーンの瞳だな。そのまま、眼を瞑ってな。直ぐに終わらせる」


 魔女殿を守るために立ち上がり、踏み込んでくるだろう敵に備える。


「え? え?」


 魔女殿は混乱している様だ。それも当然で高威力の魔力砲でアトリエは野ざらしになり、壁も崩壊している。命の危機に見知らぬ人物とくれば混乱して当然である。


 風通しの良くなったアトリエでやってくるだろう敵を待つ。少し離れた所からランタンの明かりが複数見える。アトリエ前にやってくると話し声が聞こえる。


「やったか?」


「今から確認する。誰か着いてこい。他は周囲を見張れ。どうせ、誰も来ないだろうがな」


 鉄の鎧と布が擦れる音、それから金属がぶつかる音もする。先ほどの躊躇いのない攻撃は明確に魔女の命を取りに来たのだろう。しかし、何故紅き月の夜を選んだ? 普通は明かりのない新月の夜にひっそりと殺すだろう。紅き夜を選ぶのには何か理由があるのだろう。ええい、考えるだけ無駄だ。


 周囲を見回して先ほどのナイフを探したが見つからない。音が近づく。ガシャ、ガシャリと何処か懐かしさを覚える音が静かな夜に響き渡る。


「誰かいるぞ」


 二人のローブを被った男がそれぞれ刃を抜き放った。赤い月光を受けて血塗られているようにさえ見える刃はその反射光で魔女殿を照らしている。


「魔女がいたぞッ! 皆は周囲を警戒せよ。使い魔が何処かに潜んでいるか分らんぞ。もしくは弟子がいるかもしれん」


「ここに住む魔女は一人身らしい。他の魔女とも交流はなし。だから、大丈夫ですって」


 兜を通して発せられているだろう声はくぐもっていたが、思っている以上に聞き取れる。


「確かに他に誰も居ませんね」


 一人が魔女殿にゆっくりと近づき、もう一人はランタンで魔方陣を照らしている。


「どうだ? 召喚術を使ったと思うか?」


 魔方陣を確認している男は簡素な鎧を着ており、戦闘をするのではなく魔女が何をしていたのかを確認しに来た魔術師か魔法使いらしい。足運びが素人だった。


 狙うならこっちだな。

 息を潜めゆっくりと素早く近づいた。


「発動したと思われますが、失敗していますね。所々文字が欠けていてとてもじゃないですが、使える魔方陣ではないです。はい」


 魔法使いと思われる男に接近すると後ろから首を締めあげた。一瞬、声を上げようと暴れたが直ぐに無力化した。


「お、おい。どうした? 敵がいるのか」


 ランタンが落ちる音で気が付いたのか、隊長かと思われる男が周囲を見回しながら剣を構える。柄を肩より高く上げて、剣先を左腕で支える。基本とも言える防御の構えだ。

 ふむ。この場は何処かに去ってもらった方が有難いな。数も把握しきれていない上に先ほどの魔力砲を撃ち込んだ魔法使いも居るのだ。向こうも俺の存在に気付いているが姿を把握できないために動けないのだろう。先ほどの出力でもう一度撃てるか確認したいが、生存している仲間を生かしておくのが上策だろう。


「ここで撤退しろと言うのですか? た、確かに負傷者が出ていますが、魔女を捕まえる好機では?」


 剣を構えたまま耳に手を当てて会話している様だが、その相手の声は聞こえない。魔術の類か。


「総員撤退しろ。私は魔術師殿を連れて行く。周囲への警戒は怠るな」


 突入してきた男はじっと魔女殿を見ていたが、口惜しそうに気絶していた魔法使いを抱えて撤退していった。このまま、魔女殿に手を掛けようとしたら攻撃しようと思っていた腕を下げる。


 撤退していく敵を見送るもまだ嫌な気配を感じる。見られているわけではなかったが、向こうはこちらを警戒している様でこれ以上の攻撃は無かった。

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