魔眼の魔女と半神で英雄の相棒
森尾友彬
第1話 太陽神の息子
「さて、これで君も冥界の門番の一人として仕事を任せられるようになったな。おめでとう」
冥界中央部に作られた玉座の間、その壇上から抑揚のない声で告げられる。
吸い込まれるほどの漆黒の玉座。その背には槍と大鎌の柄が交差し、威厳と威圧が混在していた。玉座の間といってもここで冥界にやって来た人間を断罪するのでなく、冥界神にとって他の神々と連絡を取ったりこうして新たな門番を指名したりする儀礼的な場所として機能している。
壇上の玉座の主はローブを被り、その素顔はこちらから伺う事ができない。顔のあるはずの虚ろな空洞から視線を少し下げて抱えられた大鎌に目を移す。その鈍く光る刃からは冷たく暗い感情が包み込む。俺が知っている範囲内では冥界神様はそれを武器として使う事はなく、儀礼で使われる象徴的な存在として扱っていた。その気になれば因果すら絶つ。三界の危機にのみ振るわれる神宝・神器であった。
これを与えられるという事は冥界神様から認められたという事であり同時に三界で何かが起こる前兆と考えられた。そして、俺は半神と聞いていたので神に属しながら人界に干渉できる存在のために貸与されるのだろう。そう思うと身が引き締まる思いだった。
この事実は半神半人の俺がようやく他の神に認められるだけの存在になったと考えるとやや複雑な気持ちであった。
天界については神か英雄の話しか聞かない。英雄ではない人間も居るようだが、話題に上がるのは英雄のみで神は普通の人間に興味を示さない。神は多くの人間に対して同じ試練を与えるが、それを乗り越えた人間に殊の外興味を持ち、愛するのだ。つまり英雄とは人間の手に余るだろう試練を乗り越え、神が認める功績をあげた人間である。片や俺の様な半神では神の試練を乗り越えたとしても神の血が入っているからと言われ、その功績が無かったことと同じに扱われる。
俺は神から英雄に向けられる視線と紙から半神に向けられる視線の違いでもそれを感じていた。なぜ俺がそう感じていたのかと言えば、冥界には時折神お気に入りの英雄が試練を受けるためにやって来ていた。その時に俺の存在は空気と同じなのだと理解した。しかし、視線を感じることもあった。
「君の父上は自分で作った戒めを守れなかったが、これが幸いとなるとは中々に因果なものだな。神は地上に干渉するべからず。これは君も知っている事と思うが、あの男は過去に起こった惨劇を知りながら人間の女に手を出すとはな……」
聖典における終末戦争。天界の争いはやがて人界に至った。神は己が消えるのを恐れて自身の代理を用意し人間同士での大規模な戦争が起こった。更に神は自身の権能を人々に与えた。結果として一つの大陸を海の底へ沈めた。
「終末戦争、天界側にはほぼ被害はない。冥界は直接的な被害こそなかった。が、多くの人間が死に結果として冥界には死人が溢れて機能は麻痺した。この戦争が他と違ったのは英雄同士の激突だけはなく、多くの半神が生まれ魔物が生まれ魔物は死に絶えた。半神は神の部分に権能を持っている事が多かったので、これが厄介だった。あぁ、すまない。君はその力のせいで迷惑を被ったといういのに、無神経だった。それにこんな話をするつもりは無かったのだ。許せ」
今にして思えば俺の半神としての権能は悪くなかった。ただ、当時の俺は権能とは思っていなかった。何故ならデメリットも有しており、それを使いすぎれば死に至るそんなモノだったからだ。仮に世界を揺るがすほどの力を持っていたとしたら今の俺はなかっただろう。
「君の父上から頼まれた時は驚いたものだが、これを君に与えられて私は嬉しく思うよ、シュヴァイン。いや、アッシュと呼ぶべきかな?」
玉座から響く声がいつもより柔らかく感じる。思い返せばいつもは厳格でローブから届く声には抑揚はなく、正に冥界神という言葉ぴったりな御方であった。それが今日はいやに柔らかい。
「どちらでも構いません。どちらも私にとって大事な名前ですし。それに冥界神様から名を呼んでもらえる。これ以上に光栄なことなどありません」
シュヴァインとアッシュ、どちらも俺の名前で前者は与えられていた名で、後者は友から貰った名である。
「ただ、耳馴染みがあるのは、そうですね……。冥界神様の呼びやすい名で」
冥界神様は返答に窮したのか玉座の間には沈黙が流れ、直ぐに冥界にそぐわぬ空気を感じる。
「分かった。アッシュ。今後はこちらの名で君を呼ぼう。まぁ、君の父上はいい顔をしないだろうがね」
冥界神様から喉を鳴らすような音が聞こえた。表情こそ見えないが私が知っている冥界の主とは思えぬ顔をしているのだろうと思うのは不敬だろうか。いや、俺は冥界神様の顔を知らないのだ。どんな顔だろうと考える事すら不敬だろう。
「アッシュ、これを。君はこの時を以って冥界の番人と三界の裁定者として存分に励め」
片膝を突き、両腕を頭より高く掲げて頭を垂れる。
一瞬の間が遠く、長く、重く、冷たい。
ぎゅっと心臓を掴まれる感覚。これが死という概念なのだろう。
「そう恐れるな」
不意に冥界神様の声が届いてはっとした。顔を上げれば伸びた手が震えている。その震えを抑えるため左手で右腕を掴み、抑える。体が寒く。全身に震えは伝播した。
「こいつは主を選ぶが主たろうとする者がそれでは力も引き出せまい。おそれること自体が不敬にあたる。そう考えるべきだな」
冥界神様が俺の手に大鎌を渡すと受け取った両腕を包み込む様に掴んだ。
「この大鎌は特別だ。死の概念が形を成しているわけだが、最初の持ち主は豊穣の神だった。何故だと思う?」
本来豊穣の神は生に近い印象を持つ。しかし、それと死がどう結びつく。ただ、農具である大鎌の形をしているという事は草を刈るという事に死を感じるからだろうか。
「収穫は人間にとって生きることに結びつく。しかし、植物からみればどうだろう。そこで終わるわけだから死だろうな。武器や人に害を与える物だけが死ではないという事だ」
柄を掴むと見た目以上に軽い? いや、重さ自体を認識できない。見た目よりずっと軽いとかそんなものではない。ただ、重圧はしっかりと感じる。
大鎌自体はさして珍しい物ではない。人界に居る時も時期が来れば民達がそいつで草を淀みなく刈っている姿を目にしたものだ。
だが、目の前に差し出されたそれは道具ではなく、概念としての死を内包していると感じさせる圧を確かに放っている。
「これは私が昔使っていた物だ。本当はこいつを象徴として持っていた方が良いのだがな。だからと言って実戦で使えないわけではないぞ。それに君には頼みたいことがあるのだ。神たる我々では出来ず、半神たるアッシュだから出来ることだ。それに君達が為そうとして成しえなかった事だ」
俺達が為そうとした事か。友と共に戦場を駆け回った記憶。そして、死んだときの記憶。覚えているだけで、それが繋がる気はしなかった。
「無理に思い出す必要はないさ。君にやってもらうのは我々の後始末だからな。先ほど言っただろう三界の裁定者と。つまり人界でやって欲しい事があるのだ」
腕の力を抜く。だらりと垂れ下がる腕、鈍く光る刃が手に持っている物を思い出させた。
「まぁ重さは感じないだろう。そいつは概念だからな。ただ、振ってみれば分かるが軽いとは違う。それに重さがないわけでもない。そいつの重さを感じるのはそいつを自分の物にした時だな。同時に君の前には大きな問いが顕れるだろう」
冥界神様の元に白い翼をもった鳥が舞い降り、耳打ちした。
受け取った大鎌を軽く振ってみる。確かに振ったという手応えはある。しかし、不思議と腕には負荷がかかっているようには思えない。
上から敵の肩口を狙う様に振り下ろした。肩に触れたと想定し、止めて、左腕を引き込む。
恐らく大鎌の扱いとしては間違っているだろう。リーチを生かし、足元を刈取る。まずは機動力を奪い、首を狙う。これも実は違うのかもしれないが、どうだろう。
しかし、あまり使わない道具を武器として使うのはちょっと楽しい。剣や槍を中心に近接武器の大半を振り回した。時には敵から奪って戦う事もあった。馬上から短弓を用いて戦場を駆け回った事もあった。ここに来てからも百年以上は武器の鍛錬に費やした。だが、大鎌を使った戦闘はなかった。そもそも、こいつは死の概念だと先ほど聞いた。だとしたら、大鎌ではなければならない理由はない。
頭の中で俺にとっての死の概念について考えた。それは何だ。何処だ。どうだった。
「その大鎌、ずいぶんと気に入ってくれた様だな。アッシュ」
冥界神様は玉座から降りていた。鳥もどうやら飛び去ったようだが、どこか空気が重い。
「これほど見事な武器は見たことがありません。しかし、どうして私などに下賜してくださるのですか? 門番の中には私以上に優れた者も居るでしょうし」
冥界の門番には半神などではない本物の神も居るのに、何故私にこれを下賜されたのか、不安しかなかった。それは後ろ向きという単純なものではない。先ほど俺にやってもらいたいことがあると言っていた。それが俺に務まるのだろうかと。
「人界における我々の後始末と言うか君の馬鹿親父の後始末というか。まぁ、どうせ忘れる。今は気にせずともよい」
少しの間を置いて冥界神様が立ち上がる。
「さて、時が来たようだ。アッシュ、君には人界に行ってもらう。此度の召喚術は不完全らしく、記憶と肉体にずれがあるらしい。ま、君ならば大丈夫だろう。それでは健闘を祈る」
突然足元が光り出す。光は徐々に円を描き、やがて魔方陣になっていく。
急に圧迫感を感じるようになると全身が光に包まれ、目が眩む。同時に意識が保てなくなった。
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