◇第19話 去りゆく者〜権力者の孤独

 大公の元を辞去したラファエル・セルダンに、長く七賢会議を支えてきたメンデス侯が歩み寄ってきた。


「セルダン侯、すこし話を……よろしいかな?」


「メンデス侯爵。あの件でしたらすでに……」


「いや、やはりどうしても聞いてもらいたい。


 もう、わしも歳じゃ。

 無理は利かなくなってきた。

 あの大公をお支えするには気力が足りん。

 侯にすべてを押しつけてしまって申し訳ないとは思うておる。

 じゃが、もう限界じゃ……」


「メンデス侯……」


「すこし、のんびりしたいのじゃ。

 わがままを、聞いてはもらえんかの?」


 黙ったままわずかにうなずいたセルダン侯を激励するように、メンデス侯爵アルベルト五世が、セルダン侯の分厚いローブの背中をポンポンとたたいた。


「セルダン侯……いや、ラファエル……

 知っているであろう?

 そなたのお父上と私は、よき友であった。

 親友の息子と一緒に、国を憂い、民を憂い、ともに大公にお仕えできたこと、私はとてもうれしく思っている。


 女神ルラのもとでそなたの父上に会える日が来たら、息子は立派になったぞ、と伝えようと思うておる……」


「なにをおっしゃるのです、アルベルト殿。

 侯には、この若輩者にまだまだ色々と教えていただかねば……」


 老人はさみしそうにふふふと笑った。


「何を言うか。そなたはもう立派な”セルダン侯爵”じゃ。

 お父上も、さぞお喜びだと思うぞ?


 ……そういえば、お嬢様のお加減はいかがかの?」


「いえ……いまだ伏せったままでして……」


「そうか。

 それは心配じゃのぉ。

 そういえば一時、そなたの娘とあの大公を娶せようという話もあったのう……

 病はつらかろうが、あの大公の妻になるのもまた、茨の道であったろうな」


 セルダン侯ラファエルは、黙ったまま深々と頭を下げた。


「それでは、また。

 舞踏会か園遊会で見かけたら、声をかけてくれ。我が友の息子よ……」


 去っていくメンデス侯を、セルダン侯ラファエルは、静かに見守ることしかできなかった。

 この国の事実上の最高権力者は、また一人、彼を見守り導く先達を失った。

 権力者は孤独だ、とよく言う。

 その意味を、身をもって知ることになるとは。

 ラファエルは小さく唇を噛んでしばしその場にたたずんだ。

 しかし、やがてふたたび昂然と顔をあげたラファエルは、いつもの自信たっぷりな力強い歩調で、大公宮殿から歩み去った。 

 

 

 

   ◆

 

 


 夏の休暇を前にして、今年も、恒例の貴族会議がベラ湖のほとりで開かれる。


 大公の離宮や貴族たちの夏の別荘がある避暑地ベラに、毎年多くの貴族たちが集まるその時期に合わせて、政治的な対話を繰り広げられるのが『貴族会議』だ。


 今年はバルデス侯爵とクルス男爵の邸宅に加え、カルデロン伯爵の屋敷も主会場として指定されている。


 特に注目を浴びる、七賢会議による今年の大綱開示はバルデス侯の邸宅で。

 大公フェリペ6世の開会宣言はクルス邸。そして同じくフェリペ6世による閉幕の辞は、カルデロン伯の屋敷で読み上げられることと決まった。


 ◇


 貴族たちは日中、様々な会場を渡り歩きながら最新の政治状況について情報を集め、政治談義に花を咲かせる。

 そして夜になると、夫人や夫を伴って、社交の場へと出かけていくのだ。


 なかでも、14~5歳の少女たちの社交界デビューは、夏のベラ湖の風物詩となっている。

 初々しく着飾って、父親や兄弟、あるいは恋人に導かれ、緊張した面持ちで各所の舞踏会へと出かける少女たち。


 その姿を見て、ラファエル・セルダン侯爵は思わず、3年前に社交界デビューを果たしたときの娘、リリアーナ・アストレイア・セルダンの姿に思いをはせずにいられなかった。


 父セルダン侯爵が、七侯会議のトップであるという理由もあっただろうが、それだけで社交界の注目を集められるほど、ベラ湖の夜は甘くはない。

 リリアーナ本人の美しさ、落ち着いた知性的な話し方、流れるような美しいダンス……そのすべてが、ルラヴィア社交界を虜にしたのだ。

 あの夏、リリアーナは間違いなくルラヴィア社交界の注目を最も多く集めた、ベストデビュタントだった。


 リリアーナが失踪して3年。


 八方手を尽くして探したものの、見つかったのはリリアーナが逃亡に使ったと思われる、バラバラに壊れたカバルタだけだった。


 お転婆娘とは思っていた。

 カバルタをねだられたときも、またこの娘の悪い癖が出ただけだと思った。

 あんな庶民の乗り物、あの石でできた重たいカバルタなど、リリアーナにはどうせ乗りこなせはしないだろう、と、高をくくっていたところもあった。

 あのカバルタを浮かせて、あれほど遠くまで走れる空力を、リリアーナはいつから発揮できたのか……娘のことを何も知らなかったことを、セルダン侯爵はあのとき思い知らされたのだった。


 当時まだ即位したばかりだった大公フェリペ6世も、間違いなく、デビューして瞬く間に社交界の華となっていったリリアーナに興味を寄せていた。

 先代の大公エルネスト3世の死に服喪している時期でなかったなら、あるいは一気にリリアーナの輿入れという話に進んでいたかもしれない。


「今となっては、そうならなくてよかったのかもしれんがな……」


「セルダン侯……何かおっしゃったかな?」


「おお、いえいえこれは失礼いたしました。

 実は、このあとの大綱開示が気になりまして、つい独り言を……」


「ほう!

 セルダン侯ほどの大人物でも、そのように緊張なさることがあるのですな?」


「はっはっはっ!

 私などには責任が重すぎるのですよ……

 しかもこれだけ多くの高貴な方々に囲まれて、それでも自信満々でいられる者がいるとしたら、よほどの大人物でありましょう。」


「何をおっしゃるセルダン侯!

 あなたほどの大人物に並び立つ者が、このルラヴィア公国にいるとでも?」


 虚栄と世辞が飛び交うのは、貴族会議では当たり前のこと。


 そして、権力者同士のつばぜり合いもまた、日常茶飯事だ。

 足音もなく近づいてきた老人がいた。


「これは聞き捨てならないご発言ですな、コスタ伯」


「おお、これはこれはカルデロン大伯爵、お目にかかれて光栄です」


「この国に、セルダン侯と並び立つ者などおらぬ、と……コスタ伯はそうおっしゃるのですか?」




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