女神《ルラ》戦記〜リィナ・セルディアが翔け抜けた、戦いの空

マツモトコウスケ

第1話 822年3月〜最後の作戦

 ラ・オサスナ丘陵上空。

 高度9,000。

 空気は薄く、操縦席は凍えるほど寒い。


 座席の左右に備えられた、空力くうりょくを機体に流し込むための装置──導輪どうりんを握る手が、ちぎれそうに痛む。


 最強部隊と言われる『ルラの牙』隊長、エステラ・フエンテス飛空上佐は、曇り始めたキャノピーに舌打ちをした。


「これじゃあ、リィナにハンドサインが伝わらない……」


 敵地奥深くに侵入し、すでに無線封鎖に入っている。

 僚機バディとぴったり息を合わせなければならないこの作戦で、ハンドサインが使えなくなるのは致命的だ。


 エステラは、左を見た。

 すぐ隣を飛ぶ機体のキャノピーの中に、リィナの姿がかろうじて見える。

 

 少し高度を落とした方がいいかもしれない……

 でも、この高さが、私たちを守ってくれている。

 高度を下げて敵に発見されてしまっては意味がない。

 この高度を維持するとエステラは決断した。

 

「あと少し……

 リィナ……あなた、フエルサのもとへ、生きて帰ると言ったわよね?」


 そのとき、遠く向こうに、目標が見えた。

 敵の一次補給基地、オサスナの集積地だ。


 左右の翼に、左右それぞれの導輪から空力を流し込んでいたものを、右手一本に持ち替える。


 空いた左手の拳を小さく掲げて、エステラは前方を人差し指で指し示した。

 《目標を、前方に視認した》


 リィナが、右手の拳をエステラに示した。

 《了解》


 この戦争を終わらせるための、最初で最後の賭け。

 国力で劣り、戦力で劣るルラヴィア公国が放つ乾坤一擲けんこんいってきの一撃。

 それは、たった2機の戦闘飛空機による、常識外れの爆撃作戦だった。



 ◇



 オサスナ集積地の直上に着いた。


 ここから、エステラとリィナ、ふたりの見せ場が始まる。

 たった2機で、たった10発の爆弾で、すべての弾薬庫を吹き飛ばすのだ。


 ここからほぼ垂直に、ためらうことなく、全力で加速して落ちていく。

 敵に迎撃のチャンスを与えず、今まで誰もできなかったほど正確に、ピンポイントで目標に爆弾を投下するための作戦だ。


 引き起こしが早すぎれば目標を外す可能性が高まる。

 だが、遅すぎれば、機体はそのまま地上に激突する。

 極めて危険な、狂気の作戦だった。 


 

 エステラは、ふたたび拳を掲げた。

 人差し指を立て、今度はそれを、下に向ける動作を数回繰り返す。

 

 《リィナ、行くわよ?

 ついてきなさい……》


 リィナが、拳を掲げて《イエス》と答えた。


 エステラは、空力を流す向きを変え、機首を徐々に下げていく。


 リィナもそれに呼応して、機首を下げた。


 2機のL-7アルコンが、ほとんど垂直になって降下していく。


 全力で加速しながらの、垂直落下だ。


 地上が、どんどん迫ってくる。

 

 高度計の針が、ぐるぐると回っている。


 キャノピーに当たる風が、悲鳴のような風切り音を上げた。


 ここから、完璧にタイミングを合わせないといけない。


 2機のうち、どちらかの爆弾投下が早ければ、遅れた方の機体は爆発と爆風に巻き込まれ、生きて帰ることができなくなるだろう。


 どちらが先でも、どちらが後でもいけない。


 完璧なシンクロ。完璧な連動。


 エステラは、さらに大きな空力を翼に流し込み、加速した。


 リィナ……あなたなら、ついてこられるはず……


 視界の左端に、リィナのL-7アルコンが入ってきた。


 やっぱり。さすがね。

 新兵とは思えない勘の良さ……


 エステラは、思わずニヤリと笑った。

 リィナはおそらく、今、地上を見ていない。

 エステラの動きだけを見ているはずだ。

 エステラを信じて。

 完璧なシンクロをするために。

 

 あっという間に高度は5,000を切っている。

 操縦席の寒さは消えて、キャノピーの霜も取れ始めた。

 

 まだまだ!

 まだよ!

 リィナ、いい? ついてこれる?

 もう一段、加速するわよ!!


 2機は、地上に激突する恐怖を忘れたかのように、圧倒的な速度で、地上に向かって落ちていった。

 

 地面が、瞬く間に迫ってくる。

 

 爆弾を大量にため込んでいるはずの弾薬庫が、大きく見えてきた。


 こちらを見上げる兵員はいない。

 

 恐れていた可搬型の地対空迫撃砲は、おそらくいない。


 大量に建ち並ぶ弾薬庫群の中心付近。

 1棟の弾薬庫に狙いを定めた。


 このまま。


 この軸線に乗ったまま!


 あと少し!


 エステラが、ふたたび左手をリィナに示した。


 手を開き、5本指を示す。


 5


 まだよ! 加速を緩めちゃダメ!


 4

 

 リィナ! 目標に向けて、軌道を修正しなさい!


 3


 あなたなら、できる!


 2!

 

 安全装置を外して……


 1!


 爆弾投下ボタンに指をかけて……


 0!!


 投下っ!!

 

 同時に、今まで上空に向けて吹いていた空力を、今度は地上向きに切り替える。

 機首を上げ、地上に激突する前に機体を持ち上げなければならない。

 爆弾の行き先を確認する余裕などなかった。


 

 あっ、がっ、れえええええええええ!!!


 

 慌てふためくアストリア兵の姿が見える。


 体を潰されそうな感覚にあらがいながら、空力を全開にして導輪に流し込む。

 

 機首が徐々に上がっていく。


 でも、だめだ! あの木に当たる!!


 反射的に、左の翼を持ち上げた。

 

 翼が、木の頭をなぎ払ったような感触があった——


 


 ◆


 


これは、日常から始まり、そして日常を取り戻すために戦った、少年と少女たちの物語。

祖国を守り、自由を護ろうとした人々の英雄譚。

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