第25話 逃げ水の空〜エース vs 訓練生

 エミリオ・オルティス率いる101近衛飛空中隊アラゴ小隊と、リィナ・セルディアら新兵による、小隊同士、4対4の空中戦は、思いもよらず熱を帯びていた。

 実力差がありすぎて、肩慣らしにもならないはずだった空戦が、新兵たちの健闘によって、実戦に近い空戦訓練になっているのだ。

 数字を見れば差は歴然。

 近衛小隊の撃墜がすでに10を数えているのに対して、新兵の小隊はまだゼロだ。

 それでも、地上から見上げる第一師団幹部の表情は険しい。


 一方で、ほとんどが平民で構成されている整備班や工兵班の兵たちは小さく拳を握りしめ、無言のまま、リィナたちに声援を送り始めていた。

 

 


 ◇

 

 

 

 確かに速い。そして強い。


 ダニエルは、すでにもう3回、近衛小隊の模擬弾を受けていた。

 ピンク色に染まった翼が口惜しい。

 手応えはあるのだ。

 先手をとった!と感じる瞬間もあった。

 相手が同期の訓練生や、第三飛空訓練校の教官だったら、模擬弾を命中させて、撃墜判定を勝ち取れていたに違いない瞬間。


 だが、近衛小隊はその先が違う。

 彼らはダニエルの前にとどまりはしない。

 ヒュンッという音が聞こえるかのような素早さで、ダニエルの目の前から消えるのだ。


 口惜しいな……なんとか一撃くらわせたい。


 今も目の前の敵機の背後に食らいつき、自由奔放に逃げ回る相手に必死にすがりながら、その瞬間を、一瞬の隙を見逃すまいと、全神経を相手に集中させている。


 左! 左! 下っ! 今度は右っ!


 空をのたうち回る蛇のようだ。


 そのとき。


 ――上だ……


 相手が急上昇する予感がした。

 ダニエルは考えるより先に機首を引き上げ、空力を思い切り流し込んで、急加速した。

 視界からいったん消える敵機。キャノピーの向こう、計器類があるバルクヘッドの下の方から、静かに、ゆっくりと、近衛部隊のL-14エストックが姿を現した。


 もらった!


 その姿が見えた瞬間、ダニエルは砲の引き金を引いた。

 機首の左側の発射口から、青いしぶきを上げながら模擬弾が飛んでいく。距離はほぼゼロ。やった! 撃墜判定を勝ち取ったぞ!!!


 次の瞬間、視界がグニャリとゆがんだ気がした。

 近衛隊のエストックの形が歪み、あり得ない方向へと折れ曲がり、消えていく。

 模擬弾は命中する相手を失って、むなしく空へと飛び去っていった。


 今のは、なんだ?


 なんでだ? なんで消えた?


 ゴウッと時間が流れる音がして、次の瞬間、ダニエルの左側面から、今目の前から消えたはずのエストックが襲いかかってきた。


 やられる!


 キャノピーの左側一面が、再びピンク色に染められた。


 被撃墜……これで、4。

 ちきしょう。

 おかしいよ……こんなの物理の法則に反してる……

 ちきしょう。

 敵わない相手じゃないはずなのに……

 なんで……なんで捕まえられないんだ……?



 ◇


  



 さっき手合わせしたのは、あの、小隊長オルティス飛空上佐だったかしら?


 最強の教導隊『ルラの牙』を率いるフエンテス飛空上佐が、有無を言わさず相手を蹂躙する大剣だとしたら、最強を謳われる近衛小隊の中でも最強の、101中隊アラゴ小隊を率いるオルティス飛空上佐は、しなやかさと切れ味を武器にする刀剣のようだ…… 


 リィナは夢中になって飛びながら、どこか冷静にそう思っていた。

 新たに目の前に現れたのは、二番手格、あるいは三番手かしら?

 リィナは、冷静に相手の動きを観察しながら、その背後にぴったりついて追走していた。


 オルティス隊長に比べれば、動きが甘い。

 相手が驚くほど小さなターンを決めた。

 リィナは即座に宙返りを決めた。


 ……あぶない。さすがに油断してたらやられる。


 それにしてもさっきから、この妙な感覚はなんだろう?

 アルコンに比べてエストックの機動性が高いのは間違いないが、それでも、空間がねじ曲がったかと思うような感覚に襲われることがある。

 今だってそうだ。なんであの近衛機は、あんな小さなターンを決められるんだろう?

 まるでその場で鋭角に向きを変えるようなターン。


 リィナは高度をとって、一度戦場を俯瞰した。

 七つの機体が、狭い空域のあちこちでドッグファイトを繰り広げている。

 すぐ真下に、レパルドを追い回す近衛機が見えた。


 一発で決める。 それ以外に、ない……


 リィナは思い切り、全力で空力を上向きに吹いた。

 ブルンと震えながら急加速する機体。

 重力と空力が重なり合って、機体がきしみ、熱を帯びるような加速を見せる。


 じっとしていなさい…… 動くんじゃないわよ……


 近衛隊の真っ白な機体が、視界の中でどんどん大きくなっていく。


 レパルド、悪いわね。……この人は、もらうわよ?


 リィナが引き金をひいた。


 すれ違いざま、近衛隊の白い機体に、パッと青い花が咲いたのが見えた。


 やった! 撃墜1!


 高揚感はない。


 ただ、一矢報いたという、達成感だけが残った。



 ◇

 


 あたし、この人たちの機動は好きよ

 とてもしなやかで、とても軽やかで、流れるようで

 こんな風に飛べたらいいな、って、ずっと思ってた


 あたしの理想の飛び方を、この人たちはとっくにしていた……

 なのに、あんたたち、変じゃない!

 あんなになめらかな流れが、ときどきガクッと止まるのはなぜ?

 美しくしなやかな軌跡に、醜い角が突然できるのはなんなのよ!?


 せっかくきれいだったのに……なんでこんな変な動きをするの?


 おかしいわよ


 こんなの全然、美しくないじゃない!


 いいわ。

 そんな変な挙動をするなら、わたしは、許さない。


 あなた、素敵よ……美しいわ……


 ああ、楽しい。まるでダンスをしているみたい……


 この時間を、この優雅な踊りを、あの醜い角で汚してごらんなさい? 


 わたし、あなたを許さないから……


 ソフィアは引き金に指をかけた


 

 ああん! 許さないって言ったじゃない!


 あたし、あなたたちのこと、嫌い


 居丈高で、偉そうで


 ただの貴族のくせして


 なんでガブリエルのお父様にあんなことできるのよ


 ほとんど直角に左へと飛び去った近衛機に対して、ソフィアは旋回するのではなく、機体を滑らせて転回し、敵の後背を射線にとらえた。


 引き金を引く。


 青い弾が、右へと滑るように飛んで行き、左から滑り込んでくるエストックと、ちょうどソフィアの目の前で出会って、弾けた。


 ね? 許さないって言ったでしょ?



 ◇


 


 うわああああああああ! やばいよ! やばいって!

 もう何回堕とされてるんだよ? 5回か? いや6回か?

 ちきしょう。


 この人たち、ルラの牙より強いんじゃないか?


 やべっ! また来た!

 うわっ、こっちも! 

 なんだよ、挟み撃ちかよ! 


 1対1でも敵わないのに、2機を相手にするなんて無理に決まってるじゃないか!


 ごめんよガブリエル……お父さんの敵、うちたかったんだけどさ。


 これじゃダメだ

 今のままじゃダメだ……

 ちきしょう、どうすればいい? 

 どうすれば、ガブリエルにかっこいいところ見せられるんだよっ!


 ええい構わねえ! 2機とも相手してやるよっ! 


 ついて来い! 

 サンティアゴ教官直伝の、レパルド様の機動についてきて見やがれ!


 

 あれ?……なんだ? なんでついてこないんだ?

 おい……二機とも、どこいっちまった?


 

 あ! あんなところに!


 なんだよ、ふざけやがって。

 俺なんか、追う価値もねえってか?

 ちきしょう、なめやがって!


 そっちが来ないって言うなら、こっちから行くぜ!!

 うらああああああああああ! 逃げんなこらあああああああ!

 俺だって! 俺だって! あの仲間たちと、必死こいて訓練してきたんだっ! 

 サンティアゴさんやリナレスさんが、俺のことかわいがってくれて、特訓してくれて

 俺は、サンティアゴさんの一番弟子なんだぞっ!!

 師匠の名を汚すわけにはいかねえんだ!


 逃げんなあああああ!

 一発当てさせろおおおおおおお!



 ああ……まただ……


 こいつら、変だよ……


 なんでいっつも、消えるんだ? 


 ちきしょう……あとちょっとだったのに……


 絶対撃墜したと思ったのに……


 なんでいっつも、お前らそんなところから現れるんだよ……


 おかしいじゃねえか……



 ◇



 予定されていた30分の訓練時間が終わっても、彼らは降りてこようとしなかった。


 上空で訓練を見守っていた、中隊長のカスティロ准将と101飛行中隊の面々が割って入り、ようやくこの白熱した訓練空戦に終止符が打たれた。


 101近衛飛空中隊アラゴ小隊 撃墜判定 18


 おなじく 被撃墜判定 2


 ラス・サリナス野営基地に、落胆のため息と、声にならない喚起と絶賛の声が広がっていった。

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