本論10:異空
一番人通りの多い北門から大学を出て駅へと向かう。そうすると坂道をしばらく下ることになるのだが、その途中にラーメン屋や居酒屋をはじめとした飲食店などが連なる小さな商店街がある。
その道半ばほどにその教会は建っている。三角屋根に十字架の付いた少し大きめの古びた建物なのだが、その古び方がどうにも変わっていた。全体的に石のレンガによって建てられているが、一度崩れて修復したことがあるのかレンガの古さが二通りあった。雨風に晒され風化し苔が生えているほど古い部分と、小綺麗だが元の色からはくすんでしまっている程度の比較的新しい部分に分かれているのだ。五分五分で違った雰囲気のレンガが継ぎ接ぎになっているのだ。
その境界線を鑑みるに、この教会は一度真っ二つになったか、大穴が空いてしまっているようだった。
そこまで考えが至り、厭な発想がよぎってしまう。
「……アンジくん。別に建物の材料に人が使われているということはないよ」
「思考を先回りしないでください」
しばらくその外観を眺め分析をしていたのだが、脳内の活動に教授が紛れ込んできてしまった。
僕は人で出来た箱の本元なのだから建物が人でできていてもおかしくはないだろうと思った。あの質感を人体で作れるのだから石レンガに似せることだってできるのではないか。否定はされたが抑えきれない不安が背筋を凍らせる。
「アンジくん。私は呪いの本質は何だと教えた?」
「えぇと……恨みとかの感情でしたっけ」
「そうだ。では感情とはどこにあるものだい?」
「そりゃあ、頭とか心ですかね……」
「そうだ、もっと言うなら人間の全身、内側という内側に存在する。まだ世界では解明されてなく、君には理解できない事柄かもしれないが体を動かすのにだって感情のエネルギーが使われる。実際に全身にそれが流れているんだ。しかしそれを外に放つとなるととたんに難易度が上がる。よほど強くないと、それか特殊な手順を踏まないと恨みという感情は呪いとしては届かないんだよ。故に、人間で出来たあの箱は呪いを運ぶのに最適だった——」
ここで教授は解説を切断してしまった。口を閉ざし、ただただ僕の方に目を向けるばかりである。
それが「だから、どういうことだと思う?」という問いかけの視線だと気が付くのに少し時間がかかった。
そもそも話の主題はこの教会が人で出来ているかだったのだ。この人の放つ言葉は全て講義のようなもの、必ず最終的にはテーマに繋がるはずである。
「つまり、教会が人で出来ていたとしたら……あそこは呪いの溜まり場になるってことですか?」
「正解。君も体感しただろう、教室で。あそこなら放っておけばすぐに霧散してしまうが、材質が人だったらそうはならない。かなり長いことあそこに溜まり続けるだろう。もしかしたら箱の作成者ならば、何らかの手段を知っていて平気かもしれないな。しかしながら、当人が良くとも相談しに来た者にとっては大きな害となる。何かしらの目的のために人を呼び込んでいるのであれば一利にもならない。だから教会は人ではできていない可能性が高い」
だがそう言いつつも教授の手にはポインターが握られていて、それをしばらく教会の輪郭をなぞるように動かしていた。
これは多分何かの分析をしている時の動作だ。これをすると教授には何らかの事実が分析できているようなのだ。
「呪いは、人の感情は止まらないと言ったがしかし、確実にこの中には漂っているな。聖なる場にふさわしくない澱んだものが。おそらく、ここでコトリバコを取り扱っているとみて間違いないだろう」
結局このポインターが何なのかは分からないのだが、僕では分からない技術を持った何かなのだけは確かなようだ。
「ほぉ……これは興味深いな……」
「何が興味深いんですか。僕は教授の毎回の奇行に興味が津々ですよ」
「いいや、そんなことよりももっともっと興味深いものだよ。時空の裂け目だ。あるはずのない地下室が存在することになっている」
「はい?」
時空の裂け目? まったくこの人はどこまで荒唐無稽なものをこの世界から掘り当ててくるんだろうか。
「この教会の地下に、時間の流れが違う空間が存在している。あまり詳しく話すといつもの講義三回分くらいになってしまうからなんとなく察してくれればいい。ゲームとかアニメでもそういう表現はたくさんあるだろう? それと同じニュアンスであると思っていてくれたまえ」
建物の底面、地面との境目に光を当てながらそれに沿って移動していく。それがどうしてこんな教会の真下に存在し得るのかというのは全く説明がなかった。相変わらず人を置いて突っ走っていくのが得意な人だ。確かに今その長さの解説を聞くのも難しい話だが。
「ふむ。ここだな。ここの継ぎ目が緩くなっている」
ついに何かを見つけた教授はその一角により強い光を照射し始める。今にもこの奇態を教会の神父やらシスターに見られそうなものなのだが、そんなこともなく作業は進んでいく。
「もちろん、そこは警戒を怠っていない。今も中に一人いるようだが、こちらの気配に気づいてはいないよ」
「え……いるんですか、人」
「人かどうかはわからないけどもね」
「……怪異ってやつですか?」
「どうだろうね——さて、ようやくこじ開けることができた。これで中に入ることができる」
教授はポインターの電源を切った。どうやら作業は終わったようだ。しかし、僕はてっきりそれをしまうのかと思っていたのだが、この人はそれを僕に渡してきた。
「このボタンがあるだろう。そこでオンオフが切り替えられる」
「はい?」
「オンにさえすれば、後はこれが勝手にしたいことをしてくれる。君に頼みたいのは中の調査だ。妙な物があったらこれを照射して分析しておいてくれ」
「え? 僕が行くんですか? 先生も来ますよね?」
「行かない」
「何でですか!? 僕を一人でそんな訳の分からない場所に行かせるんですか!?」
「そうだ。多分そっちの方が安全だよ」
「そっちの方がって——うおっ!」
僕は背を押された。目の前に先ほどポインターが当てられていた辺りの壁が迫ってくる。
——危ない!
しかし、僕がそこに激突することはなく、一応ぶつかりはしたがその空間は受け入れるように僕を出迎えた。
ドアを通り抜け、中に入ってしまってようだ。
ドアなんて無かったはずだけれども。
「時空の、裂け目?」
あるはずのない空間。恐らく、さっきまでとは時間の流れが違う。ここは教会の中であって全く別の場所——いや、三次元的な座標は同じなのだろうけども、四次元的な何かが違う場所なのだろう。
「って言ってもなぁ……本当にニュアンスしかわからないな」
あまり深く考える時間もないだろう。説明を省かれたのはつまりそういうことなのかもしれない。とにかく自分が今、教授も驚くような不可思議な場所にいるということだけが察せられた。
「不安要素が増えただけか。あまり考えないようにしよう」
明かりもついていない真っ暗な中、ポインターをオンにすると確かに懐中電灯のような強い明かりが放たれた。自動で機能切り替えとは、やはり不思議。
そうして部屋の中を見ると、そこはおよそ部屋と呼べる空間ではなかった。
目の前に下、つまり地下へと伸びる階段がありその先にまたドアがある、それだけだった。これが外から見えないように囲われていてその中に僕は今いるようだ。
ドアの先は、多分地下室だと思われる。もっと踏み込んだことを言うと箱の生産工場——つまり人体の加工所ということだ。どんなおぞましい空間かわかったものではない。そこへの扉を前にしているだけのこの瞬間でさえ吐き気がこみあげてくる。
聞こえてもいない悲鳴が頭の中で響く。死者の無念が伝わってくるようだ。それに共鳴するように、ふつふつとあの時教授に打ち込まれた感情が目を覚ましつつあった。
「……危険だってのはわかってる。だけども、扉は開けるしかない」
僕は時空を曲げてまで密閉された空間のその取っ手へと、手をかけた。
■■
壁、正確に言うならば私の『
彼にははっきりとは伝えていなかったが、ここの主は怪異ではない。そう伝えると彼は除霊だの祓いだのと喚き始めるのは一目瞭然だったからだ。
しかしながら、彼の言う
多少の危険はあるが対環境の調査は任せ、危険しかない対人の調査は私が担わなければならなかった。
そう考えて部屋の端に辿り着きそうになっているうちに、その存在はすっと背後に現れる。それは大野安時ならきっと気づかないほどに気配を殺していた。
「救いをお求めですか?」
入り口に立つ神父は重々しい声で問いかけてくる。まったく、救いを与えるというならばもっと陽気な顔でいた方がいいに決まっている。禿げ頭にのっぺりと表情のないしかし深く影の刻まれた黒祭服の男、不気味で仕方がなくて相談者の苦しい心境はますます不安になってしまうことだろう。
だが、伝わってくる。彼の心はとても凪いでいる。とても静かで、こちらに善意も悪意も伝えてこない。無。追い詰められた人間にとってただ無心に話を聞いてくれそうな存在はさぞかしありがたいことだろう。
「ええ、ちょっとばかり……ね」
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