エピローグ

 俺は家に帰り着くと、そのまま自室に向かった。


 スクールバッグを床に下ろし、机の上のノートパソコンを立ち上げて記憶を綴ろうとしたものの、手が止まる。


 今日は書くべきことが沢山あるのに……。


 机に顔を突っ伏す。口からは「あー……」と言葉にもならない声が勝手に漏れる。


 脳裏に映されるのは、神子上みこがみのあの自分の勝利を信じてやまない優越感に浸った顔。心に募るのは、悶絶しそうになるほど激しい後悔。


 部活時間が終わっていざ一人になると、この一週間の出来事が自然に想起され、徐々に自分の思慮の浅さが浮き彫りになっていき、あまりの体たらくに悶えることとなった。


 まさか神子上みこがみが俺の策略を的確に見抜くとは思わなかった。誤算も誤算だ。


 なぜ、もっと慎重に動けなかったのか。


 なぜ、最後の最後で気を抜いてしまったのか。


 なぜ、自ら神子上みこがみに謎を仕掛けに行くという愚行を犯してしまったのか…………。


 反省点が多すぎて自分自身が信じられなくなりそうだ。


 明日からずっとあの無意味な時間に付き合わされると思うとやるせない。



 ────そして、結局は謎も解けなかった。



 何も手につかずにただただ後悔を噛み締めていると、不意に自室のドアが開いた。


 それは真白ましろで「昼兄ひるにぃー! お母さんが夕ご飯できたって!」と何やら上機嫌な様子で伝えてくる。


「それと聞いて聞いて! 今日の中間テストでこの前昼兄ひるにぃが教えてくれたところ解けたぞ! あとで友達と自己採点しあったら正解っぽい!」

「おぉ、頑張ったな。力になれたようで良かったよ」

「うんっ、すごく助かった…………って、昼兄ひるにぃなんか疲れてる?」


 俺の顔色を見ながら首をかしげてくる。表情に出るほど精神的に参っているのか俺は。


「ああ、今日はちょっと学校で色々とあってな」

「いろいろ? 白愛はくあちゃんのことか?」

「どうして分かったんだ……?」

「だってさっきオレのスマホに『真白ましろちゃんにお願い! 真昼まひるくんが私の部活に入部することになったので、ちゃんと入部届を親御さんに渡すか見ててくれませんか?』ってメッセージが入ってたから、なんか関係があんのかなって」

「え!? 真白ましろいつの間に神子上みこがみと連絡先を交換してたんだ!?」

「前にこよみちゃんから教えてもらった」

「……まさかこの一週間ずっとやり取りしてたなんてことはないよな?」

「? 昼兄ひるにぃが何を心配してんのかよく分かんないけど、白愛はくあちゃんは小説の仕事で忙しいんだからオレと毎日やり取りしてる暇はないと思うぞ」


 どうやら今回の件に真白ましろは関わっていないらしい。よかった、自ら挑んだ挙げ句に自滅したなんて知られたら兄としての沽券に関わる。俺の失態を笑うのは神子上みこがみだけで十分だ。


昼兄ひるにぃ白愛はくあちゃんの部活に入るってことは、もしかしてオレのお願いを考えてくれたとか」

真白ましろにはごめんだけど違う理由だよ。とある事情があって入らざるを得なかった感じだな」

「なんだ、そうなのかぁ。でもでもオレは昼兄ひるにぃが部活に入ってくれただけでも嬉しいぞ。やっぱりみんなで一つのことに励むのは楽しいからな」

真白ましろたちみたいにみんなで団結して目標に向かう立派な部活だったら入部しがいもあるんだけどな。しかも部員は神子上みこがみしかいないし」

「え、二人だけなのか? 白愛はくあちゃんの部活って何をする部なんだ?」

「ディテクティ部って名称で、日本語に直すと探偵部。なんでも学校で起こる謎を解き明かすんだとさ」

「おぉ! つまり昔みたいにみんなの悩みを解決するんだな。十分立派なことだし、楽しそうじゃん!」

「小学生ならまだしも高校生になって探偵ごっこは抵抗がなぁ」

昼兄ひるにぃ白愛はくあちゃんの最強コンビだったら高校でも活躍できるって。……あ、それにほら! ラブレターのことを白愛はくあちゃんに相談して一緒に考えてもらえばいいんじゃないか?」

「俺も一度はそう思ったよ。でも個人的なことだし、何より今さらな感じがしてめたんだ」

「あー、たしかに手がかりが探せない今じゃ、あの白愛はくあちゃんでも難しそうか」


 真白ましろは腕を組み、


「なにせ、もうの話だしなぁ」


 そう言って真剣に悩む素振りを見せる。


「貰ったときに白愛はくあちゃんが日本こっちにいれば答えも見つかってたかもだけど……」

「……なんか変に悩ませてごめんな。でも今は真白ましろの言うとおりイタズラの線が濃いって考えに変わってるから特に気にしてないよ」

「ほんと? オレこの間は昔のことだからってテキトーに流しちゃったことを反省してて……」

「むしろ真白ましろのおかげで吹っ切れたぐらいだ。それよりも今は部活のほうで頭が一杯な感じだな」

「それならよかった。部活は慣れだよ慣れ! 白愛はくあちゃんと一緒だし、きっと昼兄ひるにぃなら上手くいく!」

「まぁ確かに今悩んでも仕方ないよな。無理しない範囲で頑張ってみるよ」

「うんうん、その意気だ! 夕ご飯を食べてもっと元気を出そう。腹が減っては戦はできぬ!」

「はは、そうだな。俺は日課は終わらせてから下に行くよ」


 真白ましろは「分かった!」と頷いて部屋から出ていった。


 真白ましろとの会話でだいぶ後悔の念が薄れたと同時にあることを思った俺は、デスクワゴンの一番下を引き出し、奥にあるプレーン缶を取り出して机の上に置いた。


 蓋を開け、中にある白の洋形封筒を手に取る。


 俺が中学一年生になってひと月が経った頃、俺の下駄箱に入っていた匿名のラブレター。もう三年の年月が経っているため、色褪せてしまっている。


 中の便箋に書かれている内容は今回の企みに使ったものと(細かな期日以外は)全く同じ文面で、今でも相手を特定できていない未解決の謎だが、相手の指定した期日は発見してから一週間だったから三年前でタイムオーバー。真白ましろが言ったとおり今さら真剣に考えても遅すぎる行為だ。


 だけど、三年も経った今でもこの謎は俺の心に居座り続けている。


 今回、神子上みこがみの勧誘を断るためにこの謎を利用したのは本当だが、単に他の謎を考えるのが億劫だったわけじゃない。神子上みこがみがこの謎を聞いて俺とは違う推理を出してくれる期待があったことと、俺自身確かめたいことがあったからだ。



 このラブレターの差出人が逢乃あいのかどうかを。



 俺は小学五年生の夏に水難事故で記憶を失った。


 病院のベッドで意識を取り戻してから、家族などの近しい人達の助けの元、何とかその事実を受け入れれるほどに心を保てた。


 そして学校に復帰した初日、みんなが俺に向けたのは──失望だった。


 直接その感情を口にする人はいなかったが、微笑みには困惑が隠しきれず、励ましの声には元気がなかった。


 それもそのはずだ。昔の俺は誰もが認める正義のヒーローだったのだから。今の根暗な俺を見たら、そのマイナスな変貌を悲しく思うだろう。


 自分でもどうしようのないことだと分かっていた。分かってはいたが、みんなから残念がる気持ちを向けられるたびに、自然と心は傷つき、いつまで経っても記憶を取り戻せないことに申し訳なさを感じた。


 その辛苦を二度と繰り返さないために、俺は今の他人を寄せ付けない消極的な性格を演じ、その様子に周りの人たちも希望を失って徐々に俺から離れていった。


 ただ一人、逢乃あいのを除いては。


 逢乃あいのだけはずっと変わらずに接してきて俺のことを支えてくれた。俺を独りぼっちにさせないよう傍にいて、俺の中に巣食う恐怖心を和らげるように常に笑っていてくれた。


 そんな時に届いた匿名のラブレターなんて逢乃あいの以外に誰がいるというのか。


 当時もすぐにその推理に辿り着いた。


 だけど、俺は逢乃あいのに告白できなかった。


 怖かったんだ。もし俺の勘違いだった時、逢乃あいのとの仲が気まずくなって俺の傍から離れていってしまうんじゃないかって。


 あの時の俺にとって逢乃あいのは心の支えだった。みんなが昔の俺と今の俺を比べて失望する中で、逢乃あいのだけは今の俺を肯定してくれた。


 それがどれだけ俺を救ったか。今こうして俺が人前に出て普通に生活できるのは逢乃あいのの存在があったからと言っても過言じゃない。


 だからこそ、もしもこのラブレターが逢乃あいのからの物だった場合、俺は恩を仇で返す行動をしてしまったんだ。


 しかし、これは後悔じゃない。


 そうなることはラブレターの期日が過ぎ去る前に分かっていた。分かっていながら俺は告白できなかった。


 唯一残っている記憶が俺の行動を縛ったんだ。



 ────困ったような微笑みで『ごめんなさい』と口にする逢乃あいのの姿が。



 それがいつかも、それがどこかも、他に人がいたかも何も分からない。ただ、逢乃あいのが浮かべているその表情と言葉が俺に向けられていること以外は。


 家族の顔さえ忘れてしまった記憶の中で覚えているということは、俺にとってその出来事は強烈な一コマだったはずだ。過去に俺と逢乃あいのの間に何かがあり、俺は一度逢乃あいのを困らせることをしている。


 それを愛の告白と結び付けないなんて楽観的な思考はできず、全てが謎のまま終わった。


 もちろんこれは誰にも言っていない胸に秘めた記憶だ。


 そして、今回この謎を利用することで神子上みこがみの推理を聞きつつも、俺は密かに逢乃あいのの様子を窺った。もし本当に逢乃あいのがラブレターの差出人なら、三年前に自分が送った物と全く同じ物が現れれば不可思議に思い、その怪しむ反応が表に出てくるだろうと。


 しかし、どちらにも逢乃あいのが差出人だと示す根拠を見いだせなかった。……いや、むしろその可能性が遠ざかった。


 逢乃あいのは匿名のラブレターに対して違和感のある反応を少しも見せなかったし、それに神子上みこがみがした推理の中で『これがラブレターだとすれば身近な人つOKが貰える確信を持って出した物。ですが、その確信があるならそもそも匿名のラブレターなんて出さずに直接告白する』というものがあった。


 確かにその通りだ。仮に逢乃あいのが差出人として、わざわざラブレターで告白する理由がない。当時、俺の傍には逢乃あいのしかいないのは分かっていただろうし、俺からOKを貰える一番の立場にあったのは明らかだ。逢乃あいのが匿名のラブレターを出すのは違和感がある。


 さらに、俺を余計に悩ませるのが逢乃あいのの反応、ひいてはここ一週間の神子上みこがみ早咲はやさきの反応だ。


 三人から何度も感じた俺に対しての見え隠れする好意。


 早咲はやさきは小学校の頃に俺に助けられた過去があると言っても(いくら読モのプライドだとしても)服を選んであげたいと休日に誘うまでに至るだろうか。


 加えて、偽の差出人になってほしいという神子上みこがみの提案を受け入れたことも不自然。内容はラブレターなのだ。もしそのことが他に広まって誤解を生む懸念を抱かないのは、そうなっても困らないという気持ちの裏返しに見えてしまう。


 神子上みこがみにしてもそうだ。


 記憶喪失前の俺と探偵ごっこをしていたらしいからグイグイと接してくるのも分からなくもないが、もし相棒的な存在で考えているのだとしたら俺からの評価を気にしたり俺の言葉を勘違いしてドギマギしたりする様子を見せるだろうか。


 学校中の噂になる懸念をせず恋人の振りをしてまで自分一人の部に俺を入部させようとする熱意は、ただの昔なじみやイジメから救ってくれたという理由だけじゃないように思えてしまう。


 そして、逢乃あいの逢乃あいので俺を勘違いさせる言動を繰り返してくる。


 今に始まったことではないのでからかいだと割り切っていたが、逆に考えればただの幼馴染に対して今もなお同じ行動を取り続けるだろうか。


 みんなから失望されて心に傷を負ったばかりの時期だったらいざ知らず、感情を表に出せるほどに立ち直った今の俺に寄り添い続けているのは、何か特別な気持ちがあるような気がしてならない。


 三人がどういう感情で俺と接しているのかが分からないし、匿名のラブレターはべつに同じ学校にいなくとも誰かを通して外部からでも届けられる。


 単純に逢乃あいのか、それとも神子上みこがみ早咲はやさきが誰かに頼んで俺の下駄箱に……。


「…………って、考えすぎか」


 俺は天井を仰いで疲れたように息をつく。


 推理が妄想の域に突入している。これで違ったら自惚れがすぎるな。


 逢乃あいのは先程の論で可能性が低いと推理したし、俺とは違う中学校にいた神子上みこがみ早咲はやさきが匿名のラブレターを出して何がしたかったというのだろうか。


 三人とも元々フレンドリーな性格だ。パーソナルスペースが狭いだけで今まで極力人を避けてきた俺が過剰に反応しているだけかもしれない。


 ──きっとそう、ただの俺の勘違いだ勘違い……。


 その思いとは裏腹に、三人の俺に向けてくる親しみ深い表情が脳裏に浮かんできて、照れるような恥ずかしいような感情が胸のうちに湧き、自然と頬が熱くなる。


 俺は頭を振って邪念を払い、ふたたび匿名のラブレターに視線を戻す。


 なんにせよ、このラブレターの期日はとっくの昔に過ぎたのだ。頭を悩ませて差出人を見つけたところで、今さら返事しても相手を困らせるだけ。


 もう高校生になったんだ。昔のことを振り返るのは止めにして現実の恋に集中しよう。


「…………」


 俺は匿名のラブレターをプレーン缶に戻し、ワゴンボックスの一番下に仕舞った。

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