エピローグ
俺は家に帰り着くと、そのまま自室に向かった。
スクールバッグを床に下ろし、机の上のノートパソコンを立ち上げて記憶を綴ろうとしたものの、手が止まる。
今日は書くべきことが沢山あるのに……。
机に顔を突っ伏す。口からは「あー……」と言葉にもならない声が勝手に漏れる。
脳裏に映されるのは、
部活時間が終わっていざ一人になると、この一週間の出来事が自然に想起され、徐々に自分の思慮の浅さが浮き彫りになっていき、あまりの体たらくに悶えることとなった。
まさか
なぜ、もっと慎重に動けなかったのか。
なぜ、最後の最後で気を抜いてしまったのか。
なぜ、自ら
反省点が多すぎて自分自身が信じられなくなりそうだ。
明日からずっとあの無意味な時間に付き合わされると思うとやるせない。
────そして、結局は謎も解けなかった。
何も手につかずにただただ後悔を噛み締めていると、不意に自室のドアが開いた。
それは
「それと聞いて聞いて! 今日の中間テストでこの前
「おぉ、頑張ったな。力になれたようで良かったよ」
「うんっ、すごく助かった…………って、
俺の顔色を見ながら首をかしげてくる。表情に出るほど精神的に参っているのか俺は。
「ああ、今日はちょっと学校で色々とあってな」
「いろいろ?
「どうして分かったんだ……?」
「だってさっきオレのスマホに『
「え!?
「前に
「……まさかこの一週間ずっとやり取りしてたなんてことはないよな?」
「?
どうやら今回の件に
「
「
「なんだ、そうなのかぁ。でもでもオレは
「
「え、二人だけなのか?
「ディテクティ部って名称で、日本語に直すと探偵部。なんでも学校で起こる謎を解き明かすんだとさ」
「おぉ! つまり昔みたいにみんなの悩みを解決するんだな。十分立派なことだし、楽しそうじゃん!」
「小学生ならまだしも高校生になって探偵ごっこは抵抗がなぁ」
「
「俺も一度はそう思ったよ。でも個人的なことだし、何より今さらな感じがして
「あー、たしかに手がかりが探せない今じゃ、あの
「なにせ、もう三年も前の話だしなぁ」
そう言って真剣に悩む素振りを見せる。
「貰ったときに
「……なんか変に悩ませてごめんな。でも今は
「ほんと? オレこの間は昔のことだからってテキトーに流しちゃったことを反省してて……」
「むしろ
「それならよかった。部活は慣れだよ慣れ!
「まぁ確かに今悩んでも仕方ないよな。無理しない範囲で頑張ってみるよ」
「うんうん、その意気だ! 夕ご飯を食べてもっと元気を出そう。腹が減っては戦はできぬ!」
「はは、そうだな。俺は日課は終わらせてから下に行くよ」
蓋を開け、中にある白の洋形封筒を手に取る。
俺が中学一年生になってひと月が経った頃、俺の下駄箱に入っていた匿名のラブレター。もう三年の年月が経っているため、色褪せてしまっている。
中の便箋に書かれている内容は今回の企みに使ったものと(細かな期日以外は)全く同じ文面で、今でも相手を特定できていない未解決の謎だが、相手の指定した期日は発見してから一週間だったから三年前でタイムオーバー。
だけど、三年も経った今でもこの謎は俺の心に居座り続けている。
今回、
このラブレターの差出人が
俺は小学五年生の夏に水難事故で記憶を失った。
病院のベッドで意識を取り戻してから、家族などの近しい人達の助けの元、何とかその事実を受け入れれるほどに心を保てた。
そして学校に復帰した初日、みんなが俺に向けたのは──失望だった。
直接その感情を口にする人はいなかったが、微笑みには困惑が隠しきれず、励ましの声には元気がなかった。
それもそのはずだ。昔の俺は誰もが認める正義のヒーローだったのだから。今の根暗な俺を見たら、そのマイナスな変貌を悲しく思うだろう。
自分でもどうしようのないことだと分かっていた。分かってはいたが、みんなから残念がる気持ちを向けられるたびに、自然と心は傷つき、いつまで経っても記憶を取り戻せないことに申し訳なさを感じた。
その辛苦を二度と繰り返さないために、俺は今の他人を寄せ付けない消極的な性格を演じ、その様子に周りの人たちも希望を失って徐々に俺から離れていった。
ただ一人、
そんな時に届いた匿名のラブレターなんて
当時もすぐにその推理に辿り着いた。
だけど、俺は
怖かったんだ。もし俺の勘違いだった時、
あの時の俺にとって
それがどれだけ俺を救ったか。今こうして俺が人前に出て普通に生活できるのは
だからこそ、もしもこのラブレターが
しかし、これは後悔じゃない。
そうなることはラブレターの期日が過ぎ去る前に分かっていた。分かっていながら俺は告白できなかった。
唯一残っている記憶が俺の行動を縛ったんだ。
────困ったような微笑みで『ごめんなさい』と口にする
それがいつかも、それがどこかも、他に人がいたかも何も分からない。ただ、
家族の顔さえ忘れてしまった記憶の中で覚えているということは、俺にとってその出来事は強烈な一コマだったはずだ。過去に俺と
それを愛の告白と結び付けないなんて楽観的な思考はできず、全てが謎のまま終わった。
もちろんこれは誰にも言っていない胸に秘めた記憶だ。
そして、今回この謎を利用することで
しかし、どちらにも
確かにその通りだ。仮に
さらに、俺を余計に悩ませるのが
三人から何度も感じた俺に対しての見え隠れする好意。
加えて、偽の差出人になってほしいという
記憶喪失前の俺と探偵ごっこをしていたらしいからグイグイと接してくるのも分からなくもないが、もし相棒的な存在で考えているのだとしたら俺からの評価を気にしたり俺の言葉を勘違いしてドギマギしたりする様子を見せるだろうか。
学校中の噂になる懸念をせず恋人の振りをしてまで自分一人の部に俺を入部させようとする熱意は、ただの昔なじみやイジメから救ってくれたという理由だけじゃないように思えてしまう。
そして、
今に始まったことではないのでからかいだと割り切っていたが、逆に考えればただの幼馴染に対して今もなお同じ行動を取り続けるだろうか。
みんなから失望されて心に傷を負ったばかりの時期だったらいざ知らず、感情を表に出せるほどに立ち直った今の俺に寄り添い続けているのは、何か特別な気持ちがあるような気がしてならない。
三人がどういう感情で俺と接しているのかが分からないし、匿名のラブレターはべつに同じ学校にいなくとも誰かを通して外部からでも届けられる。
単純に
「…………って、考えすぎか」
俺は天井を仰いで疲れたように息をつく。
推理が妄想の域に突入している。これで違ったら自惚れがすぎるな。
三人とも元々フレンドリーな性格だ。パーソナルスペースが狭いだけで今まで極力人を避けてきた俺が過剰に反応しているだけかもしれない。
──きっとそう、ただの俺の勘違いだ勘違い……。
その思いとは裏腹に、三人の俺に向けてくる親しみ深い表情が脳裏に浮かんできて、照れるような恥ずかしいような感情が胸のうちに湧き、自然と頬が熱くなる。
俺は頭を振って邪念を払い、ふたたび匿名のラブレターに視線を戻す。
なんにせよ、このラブレターの期日はとっくの昔に過ぎたのだ。頭を悩ませて差出人を見つけたところで、今さら返事しても相手を困らせるだけ。
もう高校生になったんだ。昔のことを振り返るのは止めにして現実の恋に集中しよう。
「…………」
俺は匿名のラブレターをプレーン缶に戻し、ワゴンボックスの一番下に仕舞った。
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