一章 名探偵は頼りにならない
新進気鋭のミステリー作家
その日の放課後、俺はとある空き教室の前で佇み、葛藤していた。
この扉を開けるべきか。いや、やっぱり他にもっと良い方法があるんじゃないか。
しかし、俺を悩ませる問題を解決するにはこれが一番いい答えのはず。
大丈夫。深く考えた末の行動だ。きっと上手くいく!
そう自身に言い聞かせ、意を決して扉を開けた。
「────私の推理は以上です。この中でその犯行を成し得た人は一人しかいません。ネコ山さんはマタタビを嗅いでそれどころじゃなかったですし、クマ野くんははちみつ採取に出かけていたアリバイがある。そして自ら毒を持つフグ美さんならわざわざナイフなんて凶器を使わない。さぁ、もう皆さんもお気づきでしょう」
そこには鹿追帽とケープ付きの外套に身を包んだ一人の女子生徒がいた。室内をぐるぐると歩き回りながら、その周囲に点在する椅子一つ一つの上に置かれた緩い顔のぬいぐるみたち、そして一際奇妙さを放つ人体模型に対して語りかけている。
「──フッフッフ。あなたの敗因はこの場に私がいたことです。たとえ他の人の目をごまかせても、この名探偵である私の目からは逃れられません。あなたが犯人です、人体模型さん!」
女子生徒は意気揚々と声高に喋り、ビシッと人差し指を人体模型に向ける。
「…………」
俺はそっとドアを閉めた。
やっぱり考え直したほうがいいかもしれない。
やっぱり自らアレに関わればロクな目に遭う気がしてならない。
しかし再燃した葛藤が続く前に、扉がスライドして女子生徒が顔を出してきた。
「あっ! 誰かと思えば
「……違う。教室を間違えただけだ」
「またまたぁ。そんな嘘は通用しませんよ。この教室は特別棟三階の一番端という分かりやすい位置にあることと何にも使われていない空き教室という観点から、私に会いに来たのは明白。そしてその用事は入部の話に他なりません!」
あれだけ勧誘を断っているのに懲りないな。このポジティブ思考はどうにかならないのか。
黒のロングリボンを着けた腰まで届く銀色のストレート髪は物憂げな夕陽の中に輝いて見え、その下の碧眼は澄んだ湖を彷彿とさせるほど透き通っている。
この百人中百人が美しいと答えるだろう容姿に加えて、地元では知らない人がいないほどの名家のお嬢様であるため、当然ながら学校で一、二を争うほどの有名人だ。
普通なら部活に勧誘されるなんて光栄なのだろうけど、俺にとっては厄介の種でしかない。
「俺が入部の話に来たって、本当にそうだと思うか?」
「実はまったく。でもでも、私に会いに来たのは図星ですよね?」
「…………」
「ふふっ。沈黙を肯定と受け取ります。さぁさぁ、中に入ってお話ししましょう」
どうぞ、と手で示して怪しげな教室に誘う。
正直まだ不安は拭い去れていないが、見つかってしまった以上、腹を決めるしかないか。
俺が教室に足を踏み入れると、
「それで。私に会いに来た用件は……」
「その前に突っ込んでいいか?」
「何に、ですか?」
「お前のその某小説の探偵みたいな姿とこの異様な教室の雰囲気に、だ。理科室にある人体模型を持ち出してまで何をしてたんだよ?」
「見て分かるとおり犯人を追い詰めていました。この姿は私のユニフォームです」
ポケットからキセルとルーペまで取り出してアピールする。
こいつがただの高校生なら痛いやつ認定して話をスルーしてやるのだが────
「名探偵たるもの、言葉だけでなく姿形でもその場の人たちの心を掌握しなければなりませんからね。この一目でディテクティブだと分かる姿は打ってつけなわけです」
──そう、
「名探偵じゃなくて、ミステリー作家な」
「頭に〝新進気鋭〟と付けてください。これとても大事!」
これが強がりでないから困ったものだ。
顔出しはしていないそうだが、本人に隠す気はなく本名で活動しているため、学校の生徒の大半は知っている状態だ。
「じゃあつまり新進気鋭の作家様は、次作の小説のシーンをリアルで再現したいがためにこんな舞台を用意したってことか?」
「正解です。前作は安楽椅子もので冷静なタイプの探偵でしたが、今回は証拠を見つけるためにガンガン奔走する熱血タイプですからね。推理を披露するラストシーンのこの重々とした雰囲気と探偵の気迫ある様子がマッチするか確かめたかったんです」
「そのためだけにわざわざ理科室から人体模型を運んだのか……そこもぬいぐるみでよくないか?」
「逆です。人体模型が複数あれば他もそうしましたよ」
「絵面が怖すぎる……」
「再現する上で臨場感は大事ですから。……ですが、やっぱり足りないんですよねー」
「足りない? 何が?」
「助手の存在です」
チラッとねだるように上目遣いをこちらに向けてくる。
それだけで何を言いたいのか察して、俺は肩を竦めた。
「何度も言ってるけど、俺はどの部活にも入る気がない」
「入学から一ヶ月も経ってもまだ帰宅部なのは
「二人きりとか大人数より嫌だから」
「今入部すれば
「必死で売らせようとする通販番組かよ。自分の名を安売りするな」
「そんな一匹狼気取りだと、この先友達の一人もできませんよ」
「それが目的だからな」
「だ、だとしても! 私の部に入る入らないには関係ないでしょう! それとも私のディテクティ部に何か不満があるんですか!」
「関係大ありだし、活動内容が不透明な時点で不満以前の問題だ。その取ってつけたような部の名称も気に入らないし」
新たな部の設立には、四名以上の部員がいることの他に活動内容の意義を認められる必要があるが、
そんなズルい話に不服の声が一つも出ないほど
「我がディテクティ部には、学園に起こる様々な謎を解き明かすという立派な活動内容があります。謎に苦しむ人に寄り添い、その人が順風満帆な学園生活を送れるように手助けをする。なんと素晴らしい理念でしょう」
「小説の仕事をするほど暇を持て余しているようにしか見えないけどな」
「こ、これは依頼が来てないからで……」
「じゃあこれまでに何件の依頼が来たんだ?」
「……それは部のシークレットに当たるのでお答えできません」
分かりやすく目を逸らすなよ……つまり一件もないわけだな。そりゃそうだ。
「ミステリーの読みすぎ、書きすぎ。創作の世界で巻き起こるような謎は現実に起こり得ない。誰かが故意にその状況を作り出さないかぎりな」
「そんなの分からないじゃないですか! 事実は小説より奇なりのパターンだって絶対にあります!」
「それでも稀だ。部を立ち上げてまで待ち受けるものじゃない。それに仮に起こったとしても解けなければ意味ないし」
「私を舐めないでください。この名探偵
「だからお前は名探偵じゃなくて作家だって」
「名探偵の思考を描けるのであれば、それはもう名探偵と言っても過言じゃないでしょう!」
現実の謎を解いたわけでもないのに大した自信だな。予想どおりと言ったところか。
「じゃあ
「ええ、私に掛かればチョロいもんのお茶の子さいさい、ベリーイージーです!」
「その言葉に二言はないな?」
「私は誰よりも約束を重んじてます!」
「もし解けなかった場合は?」
「
「…………」
俺の黙った姿をどう受け取ったのか、
「マジであるんですか!? あるんですね! どんな謎ですか!? 日常的な小さいやつ!? それともガチのヤバいやつ!? 早く教えてくださいぃ!」
「教えるからまずは落ち着けっ」
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