運命の巡る夜Ⅱ

 フィオナがそちらのほうへ不機嫌そうな顔を向ければ、遠目に広間の窓が見えた。暖色の明かりのもとで、着飾った人々が楽しげに交差する様子がうかがえる。「まぁ、大賑おおにぎわいでけっこうなこと」と、令嬢は冷ややかに言った。


「また伯爵さまが葡萄にまつわる蘊蓄うんちくを、皆々さまにひけらかしたのかしら?

 わたしには、どうもわからないわ。あのよどんだ血のような赤い味……あんなもので、どうして人は狂うほど陽気になれるというの?」


「…………」


「いつか、わかる日が来てしまうのかしらね。……もっとも、ばかに華やぐ理由がそれだけではないことは、わたしもよく存じておりますけれど」


 やがて、本館から音楽が聞こえてくる。夜会の定番、お待ちかねのダンスの時間である。


 この伯爵家では毎年、葡萄の収穫期に合わせて豊穣ほうじょうを祝う会をもよおしている。招待状をいただいた以上は、できるだけどの会にも顔を出すよう努めてはいるものの……この夜会は飲んで踊ってしゃべってゲラゲラ笑ってと、いささか品性が特殊なため自分は苦手であった。


 杯を交わして挨拶あいさつまわりをしたのち、少し夜風に当たりたいからと早々に場を離れたのを覚えている。ダンスがはじまり、誰かしら呼びに来るかと思いきや、使用人すらよこさないとは……それはそれでしゃくとばかりにふてくされていたことも、強く記憶にとどめていた。


 隣にいたディオスだけが「お戻りになられますか?」と、ひと言添えてきた。だが、令嬢は意固地になって首を振る。


「いいわ、今夜はハズレ。集まっているのも馬鹿騒ぎが好きな連中ばかりですもの、一人くらい姿が見えなくたっても気にしないでしょう。今晩はありがたく、羽休めさせてもらいましょう」


 御意ぎょいと、ディオスは下がる。その彼に「それにほら、見なさいな」と、軽く伏せたまぶたの下で令嬢は視線を促した。


 広間の窓に、真紅しんくのドレスをまとった娘が通りかかる。花弁のごとく広げた明るいブロンドの髪を揺らして、伯爵家のご令息と手と手を取り合い踊っていた。


「わたしの代わりなんて、アレ・・がしてくれるもの」

「…………」

「誰も彼もが、あの子に夢中なのよ。我が家のもう一人の侯爵令嬢、リリア・ベルベットにね」


 令嬢の乾いた笑いとは正反対に、わたしは苦い気持ちをこらえきれなかった。


 わたしことフィオナ・ベルベットは、たしかに幼少期の誓いを一部果たした。完璧な貴族令嬢となって、社交界の注目の的にもなった。


 ……しかし、くり返すが、それはごく短い間・・・・・の栄光であった。


 状況を一変させたのは、わたしよりも少し遅れて社交界入りしたあの娘、リリア・ベルベット。

 忌々いまいましい、義妹の存在である。


 リリアは、実父の再婚相手アマンダ・ベルベットの連れ子だ。年は一つ年下、ブロンドの髪と琥珀こはく色の瞳が特徴の小柄な娘。年頃とはいえどこか少女じみた幼さが抜けきらず、わたしの頬を『薔薇の艶めき』と称するなら、向こうのはせいぜい『リンゴのほっぺ』といったところか。


 幼き日の誓いのあと、ベルベット家は新たな家族を二人迎え入れた。もちろん『家族』などという名称は、ほとんど表向きの続柄である。十年おなじ館で寝食をともにしたものの、継母と義妹との関係は良好とも言えず、また不穏とも言いかねず、冷めた仲が続いた。


 先にわたしの評を述べると、アマンダは賢い女であった。


 幼少期のわたしが怯えたような、目に見えた手の出し方はされなかった。彼女は貴族のなかでは珍しい、地味でくたびれた現実主義の女であった。


 大方、下手に扱って面倒ごとを起こしたくなかったのだろう。かと言って、親愛があるわけでもなく、表面的なやりとりだけを交わして、お互いに疑似家族の役を繕っていった。


 同様に、義妹のリリアとも大した交流はない。

 その頃のわたしは、白嶺を華を目指して毎日勉学とお稽古に明け暮れていたのだ。なおのこと、相手にする暇もなければ義理もなかった。


 いま振り返れば、多少なり牽制けんせいをしておけばよかったとも思う。


 リリアの社交界入りを機に、たちまち話題がすり替わってしまった。フィオナ・ベルベットという一輪ソロではなく、『ベルベット家の美しい令嬢姉妹』という二輪セットの話題で。


「ねぇ、ディオス。あなたはご存じかしら?」


 苛立いらだちから、令嬢は従者に絡む。

 ディオスは慣れているのか、はたまた特に考えることはないのか、無表情のまま主の話に付き合う。


「わたしたち姉妹が、それぞれなんて呼ばれているか。このあいだ、お茶の会で小耳に挟んだのよ。 姉は『銀の白鳥はくちょう』、妹のほうは『金のカナリア』だと」


 うふふと、気の抜けた声を立てて笑う。

 なんて、はしたない。記憶とはいえ、過去の自分の醜態を見るのは気持ちのよいものではなかった。人の恥じらいなど知りもしないで、すっかり赤の酔いに当てられた令嬢は、おもむろに両手を上げて輪をつくり、踊り子のするポーズを取った。


「どう、わたしの姿。白鳥に見えて?」

「…………」


 袖のひだを揺らして、白鳥の翼を模す。まったく、こんな道化のように興じている姿、人様ひとさまにはけして見せられない。見ているのが朴念仁の従者だけというのが、唯一の幸いだ。


 令嬢の問いかけに、案の定、彼は静かに首を振った。「鳥には見えません」と、的外れかつ正直な感想を述べてくれた。


 令嬢はあきれたように「例え話よ」と従者をなじり、つまらなそうに腕を下ろした。

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