アリスの談笑
かんたけ
後ろの席の有栖さん
陽光をハウスダストがキラキラ反射するのは、昨日掃除で班員が全員揃って手を抜いたからだろう。
頬杖をつきながら右手の窓を見やると、男子生徒の大半が校庭でバスケをしていた。女子は教室の扉の前で固まって何やら談笑中。他は勉強したり寝たりしている。
遠藤に話しかける人物は特におらず、彼女は息を吐いて英単語帳を開こうとした。
「遠藤さん、遠藤さん」
振り返ると、美貌の少女がこちらに微笑んでいた。
手入れが施された絹のような白く長い髪、そこに映える黒々とした瞳、右頬には大きなガーゼ、左頬に絆創膏を貼り、首と右手首に包帯を巻きつけた彼女は、整った目をスゥと細める。それは、少女のようにあどけなく、女性のように妖艶さを孕んだ笑みだった。
唾を飲み込む。美人は三日で飽きると言うけれど、彼女だけは別格な気がした。
いつ見ても、遠藤の頬は勝手に赤らんでしまう。
「…何?
思わずそっけない返事になった。ただ、その態度をとってしまうこと自体、遠藤にとっては当然のことだった。
このクラスメイト——有栖は滅多に人と話さない。数ヶ月前の転校初日に、このクラスのドンとも言える女子に目をつけられてしまったからだ。今も、机上に置かれた彼女の筆箱の中ではミミズが這っている。
なのに、有栖は気にした様子もない。
それが酷く不気味で、遠藤含めてクラスメイトたちは誰も彼女に話しかけようとはしなかった。有栖もそれを察しているのかこちらに話しかけてくることもなく、クラスは仮初の平穏を保っている。
その均衡が今、崩れようとしている。
彼女の美麗さを抜きにしても、遠藤は緊張を抱いた。勿論、見て見ぬふりをしていると言う罪悪感があるから応じはするけども。
「あのさ」
垂れた前髪を耳に掛け直して、有栖はバッグから何やら取り出す。
それはマフィンのようだった。見た目からしてプレーン味。ラッピングが汚いからすぐに手作りだと分かった。
「家で作りすぎちゃってさ、勿論怪しいものとか何も入ってないんだけど、良かったら一緒に食べない?」
何を言っているんだこの人は。
一瞬顰めそうになった顔を戻す。
クラスメイトとはいえ、友達でもない人の作ったものなんて食べるわけがないだろうに。
こういうところがあるから目をつけられるんだよ、と思いながらも、遠藤は苦笑いを浮かべた。
「……ごめん、お腹いっぱいだから、やめとくわ」
「そっか…。……ねえ、遠藤さん」
「何?」
「もしかして、さ」
周囲を警戒しながら、眉間に皺を作った有栖はボソッと言った。
「…手作り人に渡すのって、マズかった?」
分かってたんかい。
思わず口角が引きつった。
「……うん。食べるとしても、ちゃんとした免許持ってる人とか、家族とかが作ったやつくらいじゃない?」
「マジか…」
ガックリ項垂れた有栖に、遠藤は眉尻を下げる。顔に見合わず気さくな人なのかもしれないけれど、やっぱり関わりたくない。
同じ女である以上、有栖の容姿にはどうしたって嫉妬してしまうし、だからいじめアンケートをした時も「友達が嫌なことをされているのを見たことがある」の欄で「いいえ」を選んだ。
願わくば、適当なタイミングで転校してほしい。幸せに生きるなら遠藤の目の前ではない別の場所にしてくれ。そうしたら、遠藤は加害者でも傍観者でもなくなる。
憂いを帯びたその表情でさえ美しい人を、どうやって好きになれというのだろう。
有栖が何も言わないのをいいことに、遠藤は体の向きを正面に直した。が、窓越しに映る有栖に目をやり、彼女は口を開く。
「…人間じゃなければ、ワンチャンあるかもね」
妖怪とか、神様とか。生贄はいつも綺麗な娘が選ばれていたと言うし。
冗談半分で言ったその言葉は、どうやら有栖の琴線に触れたらしい。ガタン!と勢いよく立ち上がった有栖の表情は見えなかったけれど、高揚が声から伝わってきた。
「……そっか、そうだよね。ありがとう遠藤さん」
そう言って、有栖は颯爽と教室を出て行った。
彼女の行き先に興味はない。「なんだったんだ…」と一人息を吐いた遠藤は、開き損ねた単語帳を手に取った。
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