第2話「辺境食堂、開店準備」
夜が明けた。
東の空が薄く白むと同時に、村の鶏が鳴き、犬が吠えた。
カイは藁布団から体を起こし、冷たい水で顔を洗った。昨日までの疲労は残っていたが、胸の奥には小さな炎が燃えていた。――この村で、食堂を始める。
村長が案内してくれたのは、村の外れの空き家だった。扉は外れかけ、壁の一部は崩れて穴が開いている。けれど、屋根はしっかり残っていた。
「ここなら誰も文句を言わんさ。昔は倉庫だったが、もう十年は放置している。直せば住めるし、店にもできるだろう」
「ありがとうございます」
カイは埃を払いつつ、足を踏み入れた。土間の床は固く踏み固められていて、竈の跡もある。梁は太く、煙で黒ずんではいるがまだ丈夫だ。何より――空気が乾いている。
「うん、悪くない。あとは掃除と、道具を揃えれば」
村の子どもたちが「手伝う!」とほうきを持って駆けてきた。
彼らは埃まみれになりながら窓を磨き、蜘蛛の巣を払った。笑い声が広がり、薄暗い空き家は徐々に光を取り戻していく。
掃除の合間、カイは村長に尋ねた。
「薪と鍋、それから食器はありますか?」
「鍋は共同釜しかない。食器は各家にある分で精一杯だ」
「なるほど……じゃあ、まずは木を削って椀を作ります。俺がやります」
木工は素人だったが、ブラック企業で身につけた「段取り力」が役立つ。必要なものを洗い出し、順序を組み立てれば、手も体も自然に動き始める。
村の若者たちが斧を担いで戻ってきた。彼らは薪を割ると同時に、カイが椀を作る用に柔らかい木材も運んできてくれた。
「最初は粗末でもいい。食べられるなら、誰も文句は言わんさ」
「いや、見た目も大事です。料理は舌だけじゃなく、目でも味わうものだから」
若者たちは目を丸くし、それから小さく笑った。
昼過ぎ、ようやく仮の竈に火を入れられるようになった。
今日の食材は――森で採れたコグサの葉、川で捕れた小魚、畑で余った硬い麦。
「麦は硬くて、煮ても膨らまないから……粉に挽いて粥にしましょう。魚は塩がないから、草の汁で臭みを抜いて」
カイは作業を進めながら、村人たちに簡単な役割を振った。
「子どもたちは石を拾って洗って。竈の床に敷くんだ」
「おばあさんは草を細かく刻んでください。包丁がなくても石で叩けばいい」
「若者たちは魚の内臓を取って。苦い部分は絶対に残さないで」
皆が慣れない手つきで作業するうちに、不思議と表情が和らいでいく。
鍋に材料を入れ、煮立たせる。湯気が立ち上ると、子どもが鼻をひくつかせた。
「いい匂い……!」
「ただの粥でも、ひと工夫すればごちそうです」
出来上がった粥は、麦の香ばしさと魚の旨みが溶け合い、草の涼やかな風味が後味を引き締めていた。
村人たちは夢中で食べ、食べ終えたあとに深いため息をついた。
「カイ、これが“食堂”か?」
村長が空の椀を置きながら問う。
「ええ。でも、まだ仮です。ここから本当の店にしていきます」
「どうやって?」
「まずは食器を揃える。次に、保存食を作る。干し肉や乾燥野菜。それから……交易です」
「交易?」
「はい。この村には森と川がある。食材は豊富です。でも調味料や布は不足している。隣町と繋げれば、互いに助け合えるはずです」
村長はしばらく黙っていたが、やがてゆっくり頷いた。
「……おまえが言うなら、やってみよう」
その夜。
食堂の前に灯された小さな焚き火を囲みながら、村人たちは笑い合った。
「腹が膨れるって、こんなに幸せだったんだな」
「明日も食べられるのか?」
「もちろん。明日はもっと工夫します」
カイの言葉に、皆の顔が明るくなった。
ふと夜空を見上げると、満天の星が広がっていた。
――王都で「無用」と切り捨てられた自分が、今ここで「必要」とされている。
胸の奥が熱くなり、目尻がじんとした。
「辺境食堂、開店準備完了だな」
小さく呟いたその言葉を、薪の火がぱちんと肯定するように弾けた。
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