アルバイトが持ち帰った奇妙な業務マニュアル

・A4サイズの用紙の表面と裏面にわたって文字が記されている

・用紙は油染みがあり、一部赤茶色の滲んだ跡が見られる

・ところどころに、乾いた指の跡が複数押し付けられていて、奇妙な臭いを放っている

・手で触ると湿っており、乾くことがない

・ある喫茶店のマニュアルであるとみられる



従業員の皆様へ


いつも一生懸命、勤務頂きましてありがとうございます。

この喫茶●●●(実名のため伏せる)も、近頃はお客様のご来店数も増え、それにともない新しい従業員の方も多く入られました。

とても喜ばしいことですが、一方でサービス上のミスやお客様からのクレームも増えております。


これまでは「店主である私や先輩がたから、後輩へ口頭で仕事を教える」形を取っていましたが、業務内容の複雑化にともない、引き継ぎの齟齬そごや伝達漏れが目立ってきました。


「昨日まで大丈夫だったやり方」が、翌日突然通用しなくなるケースも増えています。


(特に夜間帯は、注文方法が変わることがあるため注意してくださいね。)


そのため、このたび簡易版の業務マニュアルを作成いたしました。

本来は冊子にすべき内容ですが、印刷したものが翌朝には白紙に戻ってしまうため、手書きでの作成となっています。読みにくい箇所はご容赦ください。


※必ず一度は目を通してからシフトに入ってください。

※このマニュアルは店舗裏口の掲示板にも貼付してあります。

※掲示板のほうは時々“書き換わる”ため、変化があれば店主である私に報告してください。


1.来店時の対応

お客様がご来店された際は、まず入口正面の鏡を確認すること。

人数と影の数が一致しているかを確かめてください。

鏡が曇っている場合は、指で触れず自然に曇りが晴れるまで待ってください。


影が少ない場合、該当のお客様には声をかけず、そのままお通しして問題ありません。

影が多い場合は、厨房奥へ小声で報告してください。

※多い影が残っているケースが、以前に比べて増えています。


テーブルの空席状況を確認し、清掃が完了していればご案内します。

※注意:清掃前の案内はクレームの原因になります。

 特に「左端のテーブル」は布巾を置いたままにしないこと。

 布巾を置いたままにすると座っている方(姿は見えない=影)が濡れてしまい、席から離れなくなります。


大人数で席が足りない場合は、予約表に人数と代表者名を記入していただきます。

その際、ペンのインク色には細心の注意をはらってください。

青のボールペンは『こちら側』専用です。

あちら側に行かれる予定のお客様には必ず黒のインクをお渡しください。

青インクで書かれた予約は、後から消すことができません。

外見で判別がつかない場合は、必ず店主を読んで下さい。


また、団体で来店された際に、笑い声が響かない場合は、予約票の下段に小さく「静」と記入しておいてください。

厨房スタッフが後ほど確認します。

「静」の記述が多い日は、盛り上がりすぎて、閉店作業が遅くなる傾向があります。



2.注文の受け付け方

席にメニュー表をお持ちし、「ご注文がお決まりになりましたらお声がけください」とお伝えします。

その間にお冷をお出しします。


※お冷は入口横のポットから注ぎます。

ポットに「白い札」が付いている場合は通常の水ですが、「黒い札」の場合は前日の残り水です。黒札は夜間帯専用ですので、ランチタイムには使用しないでください。

(黒札の水は昼間、光に反射して動くことがあります。最後は戻ってきますので問題ありません。あちら側には勝手には行けません)


最近は声の小さなお客様も多く、特に一番奥のテーブル(壁に掛け時計がある席)は、声を出さずに口だけ動かして注文される場合があります。

その際は口の形を読み取り、注文を確認してください。

(初めての方には難しいですが、慣れてくると分かるようになりますから安心してください)

何度も繰り返すと機嫌を損ねる場合があります。2回までの確認でお願いします。

2回を超える場合は今回はご縁がなかったものとしてお帰り頂くことになります。


※「注文を取りに来てくれない」とのクレームが増えていますが、声のないお客様を待たせても、時間がくれば厨房のほうでお出ししますので、焦らなくて大丈夫です。

お出しされた料理は重く感じる場合があります。具材と感情が通常より込み入っている場合がほとんどです。通常通りお持ちください。


3.注文を受けた後の対応について


注文を受けたら、厨房へ向かい、はっきりと大きな声で注文内容を伝えてください。

このとき、厨房の奥に立っている人物が振り向いても、絶対に目を合わせてはいけません。

(それは調理担当ではありません。数年前からいらっしゃる方です)


注文内容は注文票に記入し、厨房入口横にあるピン留め台の空いている場所に挟みます。

台がすべて埋まっている場合、いちばん古い伝票を抜いて捨ててもかまいません。

ただし、赤インクで書かれた伝票には触れないようにしてください。

あれは前回の分です。

もう一度使うことになります。

前回の分に触れた従業員は早退し、宮へ籠ってください。


厨房から返答がなかった場合でも、3分後には料理が出てくるはずです。

その際、皿が温かい場合と冷たい場合がありますが、どちらでも問題ありません。

お客様の状態に応じて適温が変わります。

皿の温度が上下することがありますが、皿にも血が通っているためです。全て食べられるメニューである場合があります)


4.メニュー表にない料理への対応について


メニュー表にない注文を受けた場合は、一旦、そのお客様が生きているか、死んでいるかを最初に確認してください。


生きていらっしゃるお客様には冷えた泥水を出してください。

死んでいらっしゃるお客様には赤い水をお出ししてください。


※逆にはしないでください。

 逆でお出しした場合、助かる可能性は低めです。

 また、汚物処理班への連絡が必要となります。

 汚物処理班の到着前に動き出す場合がありますので、触らないようにお願いします。

 あるいは店主が対応します。


ネズミの肉、ムカデの肉、蛆の肉、および判読不能の部位(おそらく「ヒト」の一部と思われる)も取り揃えております。

ご希望の際は厨房奥の冷蔵庫の2段目をご確認ください。

冷蔵庫を開いた瞬間に照明が消えた場合は、ドアを閉めてからもう一度開けてください。


料理はすべて素手でお召し上がりいただきます。

そのため、スプーン・フォーク・箸などはあらかじめ撤去してかまいません。

ただし、爪が欠けたままの指で触れると、料理が反応する場合がありますのでご注意ください。

※巻き込まれ現象。

※反応した料理は、厨房へ戻さず、そのまま空席へ置いて構いません。まかないにします。


5.閉店作業に関する注意(裏面に記載)


閉店時は、全テーブルの皿を片付け、および音のするものをすべて厨房に戻してください。


もしも片付けの最中に「ごちそうさまでした」という声が聞こえた場合、それはまだお客様が残っているサインです。行き損ないかもしれません。

席を振り返らず、そのまま退店してください。翌日には空席になっています。


最後に、店の入り口の札を「準備中」に戻し、鏡に映る人数が従業員数と一致しているか確認してください。一致しない場合は、そのまま帰って構いません。

翌朝、札が「営業中」に変わっていれば問題ありません。戻ります。

無断欠勤扱いにしませんので安心してくださいね。


6.その他(備考)


・笑顔は最大のサービスです。

 ただし、見えていないお客様の前では笑顔を作らないようにしましょう。

 彼らは笑われたと誤解します。慣れていないためです。

 厨房に入ってくることがあります。


・あちらの方が巡回に来られた際は、声をかけられても返事をしないでください。

 それが本物で大丈夫な方かどうか、確認できるのは夜明け後のみです。


・本マニュアルの内容が夜間に書き換わる可能性があります。

 翌朝、文章が増えていたり減っていたりした場合は、指示に従ってください。

 湿り気がない場合は至急店長まで連絡してください。


以上です。

従業員一同、しっかりとお客様に満足いただけるよう努めましょう。

お客様の声は、あなたの耳元でいつでも聞こえています。


作成者:三橋 安吾(店主)・千葉 美継(厨房担当)

作成日:2026年1月31日


(署名の下には黒い指跡が残されている。

 字は非常に丁寧だが、見ていると吐き気が催される。

 マニュアルは湿っており、一向に乾く気配がない)

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