第10話

幽霊屋敷の冒険者たちが去った後、ギルドには奇妙な沈黙が流れていた。

誰もが、先ほどの出来事が信じられず、ただ俺の顔を遠巻きに見ているだけだ。

特に、アランに至っては、椅子に座ったまま、まるで魂が抜けたかのように虚空を見つめている。


(よし、これでまた一つ、面倒な案件が片付いたな)


俺は一人、心の中で満足げに頷いていた。

幽霊退治という、本来なら専門外の業務を、「不法占拠案件」として事務処理の土俵に引きずり込み、見事に解決してみせた。

我ながら、見事な応用力だ。

これも全て、長年の公務員生活で培った、柔軟な法解釈能力の賜物だろう。


「キョウヘイさん……あの、本当に、これで解決したのでしょうか?」


リナが、おずおずと尋ねてきた。

彼女の顔には、尊敬と、そしてほんの少しの畏れが浮かんでいる。


「問題ない。不法占拠という、明確なルール違反が確認された以上、それに対する適切な措置を執行しただけだ。あとは、現場の確認報告を待つだけだな」


俺がそう言って、肩をすくめた時だった。

二階から、ギルドマスターのエルザさんが降りてきた。

その手には、一通の封筒が握られている。

彼女は、まっすぐに俺の元へやってくると、真剣な表情で口を開いた。


「キョウヘイ、ちょっといいかい。あんたに、話がある」


そのただならぬ雰囲気に、俺は少しだけ眉をひそめた。

エルザさんは、俺と、そしてまだ放心状態のアランを伴って、ギルドマスター室へと向かった。


部屋に入るなり、エルザさんは重々しく口を開いた。


「王都のギルド本部から、私個人宛に、内密の連絡があった」


彼女がテーブルの上に置いた封筒には、王家の紋章が刻まれている。

どうやら、ただのギルド内の連絡ではないらしい。


「アラン、あんたをここに寄越した、あの馬鹿王子……。どうやら、キョウヘイの噂を、どこからか聞きつけたらしい」


エルザさんの言葉に、アランがはっと我に返った。


「王子が……ですと? いったい、どこから……」


「さあね。あんたの報告よりも先に、何かしらの情報が、王都に流れたんだろうさ。もっとも、かなり歪んだ形で、ね」


エルザさんによると、王子の元には、「辺境のギルドに、神の如き力を持つ預言者が現れた」という、かなり誇張された噂が届いているらしい。

そして、あの自己中心的で、手柄好きの王子が、その「預言者」に強い興味を示している、というのだ。


「おそらく、近いうちに、王子は何かしらのアクションを起こしてくるだろう。キョウヘイ、あんたを王都へ連れ戻すためにね」


「……それは、面倒なことになりましたね」


俺は、心底うんざりしながら言った。

せっかく手に入れた、この辺境での平穏な定時退勤ライフ。

それを、あの馬鹿王子に邪魔されるのだけは、ごめんだった。


アランは、複雑な表情で黙り込んでいる。

彼自身、この数日で俺の「力」を目の当たりにしてきた。

俺がただの受付職員でないことは、誰よりも理解しているだろう。

しかし、同時に彼は王国の騎士でもある。

王子の命令には、逆らえない立場だ。


「……私は、騎士として、王子の命令に従うまでです。もし、王子がキョウヘイ殿の召喚を命じられれば……」


アランが、苦々しげに言った。

エルザさんは、そんな彼を鼻で笑った。


「あんたに、それができるのかい? この、化け物を、力ずくで連れて行く、なんてことがさ」


「……っ!」


エルザさんの挑発的な言葉に、アランは唇を噛み締めた。

彼には、もう、俺に剣を向ける勇気など、残ってはいないだろう。


「キョウヘイ、あんたはどうしたい?」


エルザさんが、俺に問いかけた。


「どう、とは?」


「決まってるだろう。王都へ行くのか、それとも、ここに残るのか、さ」


「愚問ですね」


俺は、間髪入れずに答えた。


「私は、このギルドの職員です。私の仕事場は、ここ以外にありません。それに、王都に戻ったところで、あそこには私のデスクも、タイムカードもありませんから」


俺の答えは、至極単純明快だった。

俺のアイデンティティは、ギルド職員であること。

そして、俺の行動原理は、全て定時退勤へと繋がっている。

王子の元へ行くことなど、メリットが一つもない、無駄な残業案件でしかないのだ。


俺のあまりにもブレない返事に、エルザさんは満足そうに頷いた。

アランは、どこか呆れたような、それでいて少しだけ安堵したような、複雑な表情をしていた。


「よし、決まりだ。キョウヘイは、このドールンギルドの職員だ。たとえ王子が相手だろうと、あたしが絶対に引き渡しはしない。そう、本部に伝えとくよ」


エルザさんの力強い言葉に、俺は少しだけ感謝の念を覚えた。

彼女は、俺という厄介な職員を、本気で守ろうとしてくれているらしい。

まあ、俺の業務処理能力が、ギルドの利益に大きく貢献しているからだろうが。


その時だった。

マスター室の扉が、控えめにノックされた。

入ってきたのは、リナだった。


「お話中、失礼します。ギルドマスター、キョウヘイさん。先ほどの『霧深き館』の件で、依頼者のパーティが、報告に戻られました」


「おお、そうか。で、どうだった?」


エルザさんが尋ねると、リナは満面の笑みで答えた。


「はい! 屋敷を覆っていた不気味な霧は完全に晴れ、今まで入れなかったのが嘘のように、すんなりと中に入れたそうです! 怪奇現象も、ピタリと止んだ、と……! 本当に、解決してしまいました!」


その報告に、エルザさんは「だろうな」とでも言いたげに、俺の方を見てニヤリと笑った。

アランは、もはや驚きもせず、ただ静かに目を伏せている。


「よし、これで一件落着だな」


俺がそう言って、話を締めくくろうとした時だった。

リナが、思い出したように付け加えた。


「あ、それと、もう一組、キョウヘイさんにご相談したい、というパーティがお待ちです」


「……なんだと?」


俺の眉が、ぴくりと動く。

時刻は、すでに午後四時半を回っていた。

定時まで、あと三十分。

今から新しい案件を受けるなど、言語道断だ。


「リナさん、今日の受付はもう終了だと、伝えてくれ」


「そ、それが……どうしても、キョウヘイさんでなければ、ダメなのだと……」


リナは、困り果てた顔で言った。

どうやら、また面倒な案件が、俺の定時退勤を阻もうとしているらしい。

俺は、深く、深いため息をついた。


俺たちが一階のカウンターに戻ると、そこには屈強な装備に身を包んだ、三人組のパーティが待っていた。

その雰囲気からして、かなりの手練れであることがわかる。

Bランク、いや、あるいはAランクに近いかもしれない。


リーダー格の、銀髪の女剣士が、俺の顔を見るなり、まっすぐに歩み寄ってきた。


「あなたが、噂のキョウヘイさんね。話は聞いているわ。どんな不可能も、可能に変える『奇跡の受付』だと」


その口調は、丁寧だが、有無を言わせぬ響きを持っていた。


「私は、パーティ『銀色の翼』のリーダー、セレスティアよ。単刀直入に言うわ。私たちを、伝説のダンジョン『神々の試練』の最深部へ、到達させてほしいの」


伝説のダンジョン。神々の試練。

何から何まで、面倒そうな単語のオンパレードだ。


「そのダンジョンは、最深部に伝説の聖剣が眠ると言われているわ。でも、そこへ至る道は、数々の『試練』によって閉ざされている。知力、体力、そして運。その全てを兼ね備えた者でなければ、決して通ることはできない、とね」


セレスティアと名乗る女剣士は、悔しそうに唇を噛んだ。


「私たちは、もう半年も、そのダンジョンに挑戦し続けている。でも、どうしても最後の試練だけが、突破できないの」


話を聞きながら、俺は頭の中で、この案件をどう処理すべきか、組み立てていた。


(なるほど。『特定エリアへの、アクセス権限の取得』に関する案件か。しかし、申請者である彼らは、アクセス条件である『試練の突破』を満たしていない。つまり、資格要件の不備だな)


俺の思考は、どこまでも事務的だった。


「事情は理解しました。ですが、お話を聞く限り、あなた方には、そのダンジョンの最深部へアクセスする資格がない。そう判断せざるを得ませんね」


俺が、いつものように正論を述べると、セレスティアの仲間である、大柄な斧使いの男が、声を荒らげた。


「な、なんだと! 俺たちが、力不足だとでも言うのか!」


「いえ、そういうことではありません。単純に、手続き上の問題です」


俺は、冷静に男をいさめた。


「あなた方は、『試練を突破する』という、正規のアクセス手順を踏んでいない。いわば、申請に必要な添付書類が、不足している状態です。これでは、ギルドとして、あなた方のアクセスを許可することはできません」


「て、添付書類……?」


俺の言葉に、パーティの三人は、全員が呆気にとられた顔をしている。

その横で、アランが「始まったぞ……」とでも言いたげに、そっと壁に寄りかかった。

彼は、もはや俺の奇行を、止める気も、驚く気も失せているようだった。


「じゃあ、どうすればいいのよ!」


セレスティアが、焦れたように問い詰めてくる。

俺は、少しだけ考える素振りを見せた。

時刻は、午後四時五十分。定時まで、あと十分。

ここは何としても、迅速に、かつ穏便に、この案件を処理しなければならない。


「……ふむ。本来であれば、資格要件を満たすまで、挑戦を続けていただくのが筋ですが……」


俺は、彼らのパーティ登録情報が書かれた書類に、視線を落とした。

長年のギルドへの貢献度、依頼の成功率、どれも素晴らしい実績だ。


「……わかりました。あなた方の、これまでのギルドへの貢献を考慮し、今回は特例措置を適用しましょう」


「特例措置?」


「ええ。正式なアクセス権限の代わりに、『期間限定の、仮アクセス許可証』を発行します。いわば、条件付きの『仮受理』ですね」


俺は、彼らのパーティ登録情報の書類を取り出すと、その隅にある備考欄に、ペンで何事か書き込み始めた。


『特記事項:ダンジョン『神々の試練』最深部への、一時的なアクセス権限を付与する。ただし、取得したアイテムの所有権の一部は、ギルドに帰属するものとする』


そして、その追記の横に、俺はインクをつけた親指を、力強く押し付けた。


「本件、これをもって『仮受理』とします。速やかに、ダンジョンへ向かってください。許可の有効期限は、本日限りです」


俺の宣言に、セレスティアたちは、何が何だか分からない、といった顔で立ち尽くしている。

俺は、そんな彼らを尻目に、自分のデスク周りを片付け始めた。


「さあ、私の業務はこれで終了です。失礼します」


壁の時計が、午後五時を告げる鐘を鳴らす。

俺は、完璧なタイミングで仕事を終え、カウンターを出た。

背後で、セレスティアたちが「おい、待て!」「どういうことだ!」と叫んでいる声が聞こえたが、俺は振り返らなかった。

全ては、定時退勤のために。


その夜、ドールンの酒場は、一つの話題で持ちきりだった。

パーティ『銀色の翼』が、半年間誰にも突破できなかった伝説のダンジョン『神々の試練』を、ついに踏破したというのだ。

彼らの話によると、今まであれほど難解だった試練が、まるで子供の遊びのように簡単になっており、拍子抜けするほどあっさりと、最深部に眠る聖剣を手に入れることができたらしい。


その奇跡を引き起こしたのが、ギルドの一人の受付職員である、という噂と共に。

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