第7話

その騎士は、まるで値踏みでもするかのように、俺の全身をじろりと見た。

その視線には、あからさまな侮蔑と、隠しきれない好奇の色が混じっている。

俺はいつも通り、無表情を貫いた。

相手が誰であろうと、俺の仕事は変わらない。


「私が、ギルド職員のキョウヘイですが。何か御用でしょうか」


俺が事務的な口調で応じると、騎士は鼻で笑った。


「ほう。貴様が、あの噂の受付か。思ったよりも、みすぼらしい男だな」


初対面の相手に、随分な言い草だ。

俺は心の中で小さくため息をついた。

こういう手合いは、前世の役所にもよくいた。

根拠のない自信と権威を振りかざし、相手を見下すことでしか自分を保てない、可哀想な人間だ。


「自己紹介がまだだったな。俺は、マキナ王国騎士団、第三部隊副隊長を務める、アラン・フォン・アルスト様だ。今回は、王命により、この辺境ギルドの業務実態を調査しに来た」


アランと名乗る騎士は、ふんぞり返って自分の身分を明かした。

その態度は、まるで王族にでもなったかのように尊大だ。


「左様ですか。長旅、ご苦労さまです。それで、視察というのは具体的にどのようなことを?」


俺はあくまで、業務の一環として対応する。

面倒事はごめんだが、王命とあっては無視するわけにもいかない。

しかし、俺の関心はすでに、今日の定時退勤計画へと向かっていた。


「ふん。まずは、貴様のそのふざけた業務態度から、正させてもらうとしようか。辺境の受付風情が、冒険者たちから聖人だの奇跡の主だのと、持ち上げられているそうではないか。実に、片腹痛い」


アランは、俺に関する噂をある程度知っているようだ。

そして、それが全く気に入らないらしい。


「私はギルドの規定に則り、職務を遂行しているだけです。それ以上のことも、それ以下のこともありません」


「口だけは達者なようだな。良いだろう、その目でしかと見させてもらう。貴様が、このギルドに巣食う害悪か、あるいはただの道化か、をな」


害悪、ねえ。

業務を効率化し、残業を撲滅し、依頼の成功率を飛躍的に向上させている俺が、害悪。

この男、節穴にも程がある。


俺はアランを無視して、カウンターの向こうで待っている次の冒-険者を手招きした。

俺の仕事は、この騎士の機嫌を取ることではない。

山積みの書類を片付け、平穏な定時退勤を勝ち取ることなのだ。


「次の方、どうぞ」


俺が声をかけると、強面のドワーフの戦士が、カウンターの前に進み出た。


「おう、受付の兄ちゃん。依頼の報告だ」


「ご苦労さまです。依頼書と、討伐証明品をこちらに」


俺が手続きを進めている間も、アランは腕を組み、仁王立ちで俺の仕事ぶりを監視している。

その視線が鬱陶しいこと、この上ない。

しかし、俺は一切気にせず、淡々と業務をこなしていく。


そんなやり取りが、数十分続いただろうか。

ギルドの扉が、またしても勢いよく開かれた。

駆け込んできたのは、ボロボロになった軽装の冒険者だった。

その顔は、恐怖と絶望で青ざめている。


「た、助けてくれ! 『沈黙の洞窟』で、仲間が……!」


その叫びに、ギルド内が再び騒然となる。

エルザさんが、すぐに男の元へ駆け寄った。


「落ち着け! 何があったんだい!」


「『ロックイーター』だ! 洞窟の奥で、巨大なロックイーターに遭遇した! 仲間三人が、身動き取れなくなっちまってるんだ!」


ロックイーター。

岩を主食とする、巨大なミミズのようなモンスターだ。

その粘液は、触れたものを岩のように固めてしまう性質を持つ。

Bランク相当の、厄介な相手だ。


「すぐに救助隊を……!」


エルザさんが指示を出そうとした、その時だった。

今まで黙って様子を伺っていたアランが、一歩前に出た。


「待て。その必要はない」


彼は自信に満ちた笑みを浮かべ、腰の剣に手をかけた。


「辺境の雑魚モンスターごとき、この俺一人で十分だ。ついでに、動けなくなったという冒険者も助け出してやろう。王都の騎士の、本当の実力というものを見せてやる」


アランは、これ見よがしにそう宣言した。

周りの冒険者たちが、おお、とどよめく。

確かに、王国騎士団の副隊長ともなれば、その実力は相当なものなのだろう。

しかし、俺は彼の言葉に、一つの重大な問題点を見出していた。


「お待ちください、アラン様」


俺は、冷静に声をかけた。

アランは、心底不愉快だといった表情で、俺を睨みつける。


「なんだ、受付。この俺の活躍が、妬ましいか?」


「いえ、そうではありません。ただ、手続きに則らない、個人の独断による救助活動は、ギルドとして承認できません」


「……はあ?」


アランは、何を言われたのか分からない、という顔で固まった。


「そもそも、あなたは現在、ギルドへの一時出向という身分です。つまり、ギルドの指揮命令系統に従う義務があります。単独での戦闘行為は、服務規程違反に該当する可能性があります」


「なっ……!?」


「また、万が一あなたが負傷された場合、その責任の所在はどこにあるのか。労災は適用されるのか。治療費は騎士団とギルド、どちらが負担するのか。そういった細かな取り決めが、現時点では一切なされておりません。そのような不透明な状況で、あなたを危険な任務に就かせることは、コンプライアンスの観点から、到底認められません」


俺は、前世で培った役人答弁スキルを全開にして、アランの申し出の問題点を、理路整然と指摘した。

ギルド内は、水を打ったように静まり返っている。

皆、俺が何を言っているのか、半分も理解できていないだろう。


アランは、顔を真っ赤にしてわなわなと震えている。


「き、貴様……! 人命がかかっているのだぞ! それを、規定だの、責任だの……!」


「人命がかかっているからこそ、です。正式な手続きを踏まない行動は、さらなる混乱と、二次災害を招くだけです。まずは、救助要請の正式な申請書を提出していただくのが筋でしょう」


俺はそう言って、カウンターから一枚の紙を取り出した。

もちろん、俺が先ほど即席で作ったものだ。


【緊急事態における、ギルド外部人材の協力要請に関する申請書】


「さあ、まずはこの書類にご記入を。活動内容、予想される危険度、必要とされる支援、そして、先ほど申し上げた責任の所在について、明確に記述していただく必要があります」


俺がその申請書をアランの前に差し出すと、彼は怒りのあまり、言葉も出ないようだった。

その時、最初に助けを求めに来た冒険者が、泣きそうな声で叫んだ。


「そ、そんな悠長なことしてる場合じゃねえ! 仲間が、今にも……!」


「落ち着いてください」


俺は、その冒険者を制した。


「あなた方の状況は理解しています。ですが、パニックは状況を悪化させるだけです。まずは、事実関係を正確に把握する必要があります」


俺は、新しい紙を取り出した。


「あなた方が提出した、今回の『沈黙の洞窟』探索依頼の申請書。こちらには、『主な出現モンスター:ジャイアントバット、コボルト』と記載されています。しかし、実際にはBランクモンスターであるロックイーターに遭遇した。これは、申請内容と、実際の業務内容との間に、著しい乖離があったということです」


俺は、依頼書を指差しながら、問題の核心を指摘する。


「これは、依頼の前提条件そのものが、間違っていたということです。このような不備のある依頼を、ギルドが『受理』してしまった。こちらにも、管理責任の一端はあります」


俺の言葉に、エルザさんがはっとした顔をした。


「だとしたら……」


「ええ。前提条件が間違っていた以上、この依頼そのものが、本来は成立していなかった。つまり、無効であるべきだった、ということです」


俺は、その依頼書の控えを取り出すと、インク壺に親指をつけた。


「よって、本依頼は、申請内容の重大な瑕疵を理由に、受理を取り消し……これをもって、正式に『却下』とします」


俺が、依頼書に『却下』の判を押した、その瞬間。


またしても、ギルドの扉が、けたたましい音を立てて開いた。

そこに立っていたのは、洞窟に取り残されていたはずの、三人の冒険者だった。

彼らは、少し汚れてはいるものの、怪我一つない様子で、きょとんとした顔をしている。


「……あれ? 俺たち、どうなって……?」


一人が、自分の体を見下ろしながら呟いた。


「さっきまで、岩みたいに固まってたはずなのに……いきなり、体が軽くなって……」


「あの、巨大なミミズも……忽然と消えちまったんだ……」


三人は、何が起きたのか全く理解できていないようだった。

最初に助けを求めに戻った仲間が、涙を流して彼らに駆け寄る。

感動の再会だ。


その光景を、ギルドにいた全員が、呆然と見つめていた。

アランも、エルザさんも、リナも、他の冒険者たちも。

誰もが、目の前で起きた奇跡が、信じられないといった表情をしている。


その中で、俺だけが、一人静かに頷いていた。


(よし。不備のある依頼を棄却したことで、問題が解決したな。これで、救助隊の派遣という緊急業務、及び、騎士様のご機嫌取りという面倒な残業案件も、同時に回避できた。完璧な危機管理対応だ)


俺は、自分の事務処理能力の高さに、密かな満足感を覚えていた。

周りの視線が、全て自分に突き刺さっていることにも気づかずに。

特に、騎士アランの視線は、もはや侮蔑や好奇の色ではなく、得体の知れない怪物を見るような、畏怖と混乱に満ちていた。

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