第03話 魔法使いの学院

私立宝条学院。

都内の閑静な住宅街に、広大な敷地を構える一貫校。


ここは国内の若き魔法使いを育成する機関でもある。

入学の敷居はランクNでも問題なし。だが――ランクR以上は学費全額免除。国内の数少ない魔法使いを積極的に受け入れている。


そしてここは、俺と麗良の母校でもある。


ただし、俺が通っていた頃の校舎はもうない。きれいに建て替えられて久しい。

同じ場所に立っているはずなのに、足もとだけ別世界に迷い込んだような違和感がある。


SSRの三人は高校二年生だという。


いくらOBといえど、この風体でいきなり教室に顔を出したら――即、事案。

そのくらいの分別は、さすがにある。


俺はいまもサラリーマン時代の姿のまま、白いワイシャツに吊るしの黒スーツ。

いろいろ考えた結果、これが一番しっくりくるという結論に至った。


そして――麗良は俺に校内での“職”を用意してくれていた。


最初は教師やら外部トレーナーやらを勧められたが、どれも断固拒否。

あの三人の面倒を見るだけでも正直嫌なのに、これ以上押し付けられてたまるか。


校舎を仰ぎ見ながら、俺は新たな戦場へと歩みを進めた。


***


「今日からお世話になります。佐伯 修司です」


お辞儀は三十度。

営業職時代に叩き込まれた社会人スキルだ。……ダンジョンじゃ誰も教えてくれなかったがな。


目の前のおばちゃん――もとい、マダムがにこやかに笑う。


「あらあら、よろしくねえ。小林です。

先週ひとり産休に入っちゃって、人手が足りなかったのよ〜」


小林さんは俺を上から下までざっと見て、にんまり。


「その上着、脱いでエプロンつけちゃって。ラフな服でも良かったのに。

それと、調理経験なし……だっけ? まあ大丈夫。やってもらうことはいくらでもあるから」


ここは学食の調理エリア。

俺はカップラーメンに湯を注ぐくらいしか経験がないが、ほかに割り当て先がないと言われたら、ワガママも言えない。


こうして小林リーダーの指導で、ジャガイモの皮むき修行が始まった。

俺には、ドラゴンの鱗を剥ぐよりも難しいスキルを要求されるのだった……。


***


時間は昼休み。


SSR三人は学食の四人がけテーブルで、揃ってうどんをすすっていた。


来奈が勢いよく大量の麺を流し込み、口の端に汁を飛ばしながら元気に言う。


「やっぱさー、飛んでる敵は素手だとムズいんだよね。

……あたし、弓矢とかやってみようかなって」


梨々花は汁をひと口含み、冷静に切り返した。


「弓矢って……。この前の授業で袴田さんの頭に刺さったの忘れたの?

由利衣が治療してくれたから良かったけど」


その横で、由利衣は「えへへ」と笑いながら、七味唐辛子をガンガン投入している。


来奈は気にする様子もなく、さらに能天気に言い放った。


「いろいろ試して、しっくりくるスタイル? そういうの模索しないとさー。

視聴者さんも、このままじゃ飽きちゃうよ?」


――視聴者さん、だと?


梨々花の目尻がピクリと引きつる。


「あのね、いろいろ試す前に頭を使った方が良いと思うの。もう少し相手の動きを読むとか……当たらないと意味ないでしょ?」


――来奈の腕力は確かにある。

けれど、今はただ“見えたものを叩こうとしている”だけ。止まっている的ならまだしも……。


とはいえ、梨々花自身も理屈先行。具体的にどうするかは、まだ掴めていなかった。


そんな中、由利衣が真っ赤になったうどんをズルズルすすり、ふわりと笑う。


「でも、梨々花の魔法、すごかったじゃない。

ほら、初コメントきてるよー」


そう言ってスマホを操作し、二人に画面を見せた。


『ひっくり返るとか。ド素人すぎw あと、スパッツはいとけ』


「……これのどこをどう解釈したら、魔法がすごいことになるのよ」


梨々花の目尻が、さらに引きつる。


そのとき、三人に声がかかった。


「みんな、お疲れー」


姿を現したのは細面に黒縁眼鏡の青年。童顔のせいで高校生にしか見えないが、実際は二十歳だ。


彼の名は――高柳 政臣たかやなぎ まさおみ

現職の総理大臣にして奇跡の千連ガチャを成し遂げた、高柳 健三郎たかやなぎ けんざぶろうのひとり息子。


この学院は中学から大学まで一貫教育。

だが彼は父の権限をフル活用し、大学から高校へ“編入”してきた――逆飛び級の異端児だった。


理由はただひとつ。

SSR三人娘を、自らの手でプロデュースするため。


ちなみに成績は学年トップ。

だが「大学生が高校に逆戻りとかチートすぎんだろ……」と、周囲からはドン引きされている。

頭がいいのか悪いのか、評価が分かれるのが政臣という人間だ。


しかも魔法使いとしてはランクN(ノーマル)。

戦闘においては一切の役に立たない。


政臣は来奈の隣の椅子を引き、カレーをテーブルに置く。

そして爽やかに、脈絡なく言い放った。


「決めポーズ考えてるんだけどさ。個人ポーズとユニットポーズがあるじゃん?

放課後、実際やってみて調整したいんだよね。みんなもイイ感じなの考えたら、教えてよ」


梨々花の箸がバキッと音を立てて折れ、来奈の「おっ、あたしセンターね!」というウキウキした声が響く。由利衣は真っ赤な汁を飲み干した。


梨々花は箸を置き、政臣に鋭い視線を投げる。


「ねえ……プロデューサーさん……。

そんなことより、やることがあるんじゃない?」


政臣は、はっとして「ゴ、ゴメン。そうだよね……」と頭を下げた。


「コスチュームだよね。制服も悪くないけど、精霊さんの琴線に触れるやつ。

いま、デザイナーのセリーナ大塚さんと打ち合わせしててさ。あの世界的な魔法衣装家の!」


――このダメガネが。


梨々花は、深く息を吸って落ち着く。校舎内は訓練施設以外、攻撃魔法禁止。

でなければ火炎を撃ち込んでいた。


「そうじゃなくて、冒険者はまず強くないと。

華々しいバトルも、実力の裏付けあってのものでしょ?

このまま無様を世界に晒すのは嫌なんですけど」


由利衣がウンウンと頷く。


「わたしもずっと立ってるだけなのツライかなー。寝てていい?」


どうにも会話がズレていると感じつつ、梨々花はスルーして政臣に向き直る。


「ある程度の実力がつくまでは、配信は止めにして訓練に集中したいわね。

それからでも遅くないんじゃない?」


政臣はひるまず、前のめりになった。


「いやいや、こうして成長記録を残すのも、後になれば尊いんだって。絶対プレミアになるから……」


言いながら、梨々花の放つ圧に、徐々に声が細くなる。


ふう、と息をつき、政臣は眼鏡のブリッジに手をやった。


「まあ、そう来るかなって。僕が考えていないとでも?」


そして、満面のドヤ顔で言い放つ。


「このパーティのダンジョン攻略コーチとして、なんと! 近藤麗良さんを呼んでまーす!!」


ぱちぱち、とセルフ拍手。


三人は目をパチクリさせ――数秒後、「えええ!?」と声が重なった。


来奈は興奮を隠せない。


「マジ!? 委員長やるぅ!

最強SRだよね、あたしらにもついに時代が来ちゃうじゃん!!」


由利衣は、「さすがボンボン。さすボンだね」と、にこやかに笑う。


梨々花も度肝を抜かれていた。

国内トップランカーの指導を直々に受けられるなんて……! これなら――と喉が鳴る。


「高柳くん……まさか近藤麗良さんとは、恐れいったわ。持つべきものは、やっぱりコネね」


政臣は、そんな三人を満足そうに眺めながら、カレーを頬張るのであった。


***


「じゃあ、放課後に部室で近藤さんと顔合わせだから」


空の食器を手に返却口へ向かう政臣の言葉に、三人の足取りが軽くなる。


そのときだ。奥から太い声。


「うーす、どうも」


ちらりと見ると、エプロンをつけた男が洗い物と格闘していた。


新しい人かな……。

男性は珍しかったが、四人はそれ以上気にせず学食を後にする。


そして三秒後には、「学食のおじさん」も動画の低評価と一緒に、記憶から消えていた。


***


冒険部――だと?


俺は麗良から渡された地図を片手に、校庭の端を歩いていた。

指示された場所には、小屋……いや、最近流行りのコンテナハウスってやつか?

俺の時代はプレハブで、扉を開けるたびにギシギシ鳴っていた。比べれば、やけにオシャレな外観だ。


なんでもこの「冒険部」は、高柳総理の御曹司――政臣が立ち上げた部活だという。

彼の魔法使いランクはN。

そして、例の三人娘も正体秘匿のため、公式にはR扱い。


……つまり、戦力的には弱小の烙印を押されている。


実際、他の部活からは完全に相手にされていないらしい。

「金持ちの坊ちゃんが作った道楽クラブ」――それが世間の評価だった。


俺は扉の前に立ち、ドアをノックする。


中でバタバタと音がして、ドアが開いた。

そして、盛大な歓迎の声。


「近藤麗良さん、ようこそーー!!」


ぱんっ、とクラッカー。紙テープが俺の頭上に舞い降りる。


四人は、次の瞬間に固まった。


「あ、どうも。佐伯 修司。コーチです」


三十度のお辞儀。年下にも礼は欠かさない。これも営業で身につけたスキルだ。


……だが、こいつらはなっていなかった。

返ってきたのは「誰だこのオヤジ」と言いたげな、「はあ?」の声。


――これから、やっていけるかな。


俺は、早くも暗澹たる気持ちになっていた。

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