君に染まるまで 〜心と身体の星間距離〜
夕目 ぐれ
第1話 終わりの延長①
* * *
学校のなんて事ない階段を一段飛ばしで駆け上がる。それは
わたしの足が跳ねる度、ジャラジャラと重たい音が鳴る。まるで今のわたしの心の弾みを表しているみたいで、この音を不快だとは感じない。
軽やかに階段を駆け上がって、目的の五階まで辿り着く。目の前にはなんの変哲もない扉だけの空間。"普通"のわたしには、決して用のない場所だった。
「……緊張する、変なの」
その扉のドアノブに手を掛けると自然と言葉が漏れた。心臓がどくどくと激しく鳴るのは、普段しない運動をした
「……よし」
手にしたドアノブをゆっくりと押して引いてみるけれど、硬い手応えしか返ってこない。当たり前だ。この先はそういう場所で、わたしはドラマや漫画の主人公ではないんだから。
わたしは手に持っていた鍵の束を目の前に掲げて、一つ一つ鍵穴にあてがっていく。まるでお祭りで当たりの付いた
そして、一つの鍵がぴたりとはまって、ガチャっと解錠の音が響いた。ききき、と
*****
そういうのを見てわたしはつくづく思う。あんな青春を送ってる人って本当にいるのだろうかと。
それは憧れとか嫉妬の感情が入り混じった
「……そりゃ、誰だって憧れるじゃん」
あんなの見せられるとわたしの今の人生ってなんだろうとか、このままで良いのかなんて考え込んでしまう。
多感なわたしたちには、あんなの劇薬だよ……。
放課後。みんな何かしらの用事に駆られ、閑散とした二階の教室前の廊下。グランドに面する窓枠に両腕を組み、上半身の自重を乗っけてぼーっと眺めている。
吹奏楽部の何かしらの楽器の音と、グランドに爽やかな汗を落とす運動部員の掛け声が合わさる。青春の音だ。帰宅部のわたしはそれを呆然と聞いているだけだった。
わたしは今日もこの青春の合唱に口パク参加している。ただ何とかしなきゃという気持ちだけを壇上に置いたままで。
ぴこん、という軽い電子音が意識の外から緩くわたしを突いてきた。わたしはもぞもぞと制服のポケットからスマホを取り出すと、真っ黒な液晶画面にわたしの緩い顔が映る。
黒髪の肩まで軽く触れるショートヘア。癖毛が強くて毛先があらゆる方向を向いているけど、これも何かのオシャレとして少し整える程度で放棄している。顔は童顔で背も小さいからよく中学生だと弄られるけど、それはわたしがまだ化粧に本格的に取り組んでいないからで、未来性のある顔だと自負している。平凡な顔ですけどね。
『残業、がんばっ!!』
そんな見飽きた顔面を掻き消してメッセージを表示する。そんな友人からのからかいの文章に、文句の一つでも返そうと思った矢先、目の前の扉の先で物音が聞こえて直ぐにスマホを戻した。
「
そう言って現れたのは、わたしの担任の町田先生。茶髪ロングの美人先生だ。まだ新任の先生でその美貌と若さと初々しさで皆んなに人気だ。
わたしは上半身を窓枠から起こして窓を閉じると、そもそも参加もしてなかった青春の舞台から降りた。
「環登さんって、放課後は何しているの?」
教室から職員室までの道すがら、町田先生はそんな話題をわたしに投げ掛ける。
「アルバイトです。後は友達と遊んだり……とかです」
「そうなの。部活動には入らなかったのね」
「わたし、運動神経良くないから。文化部系も気になるのもなかったし。だったらアルバイトでもして、大学資金でも貯めようかな……なんて」
特に責められている訳でもないのに、なんか言い訳するみたいに答えてしまった。
町田先生はそんなわたしに賞賛のようなキラキラとした目を向けている。
「環登さんはちゃんと将来のことも考えてて偉いね」
「そう……ですかね」
ははは、と愛想笑いを顔に浮かべてしまう。そこまで深く考えてないでまかせの言葉だったけど、町田先生には真面目に受け止められてしまったらしい。
「それじゃあ先生、鍵取ってくるわね」
職員室に入っていく先生を笑顔で見送る。明日のHRの準備に日直のわたしが手伝いをすることになったのだった。
まぁ、わたし帰宅部だし、暇だしね、と少し自嘲気味に笑って見せる。
「……環登さん、先生少し用事が出来たから、先に準備の方お願いできる?」
「はい、構いませんよ」
申し訳なさそうな表情の先生にたくさんの鍵が付いた束を渡される。一体どれが用具室の鍵なのか聞こうとした手前、町田先生は他の先生に呼ばれ職員室の中へと消えてしまった。
「……まぁ、なんとかなるか」
楽観的なわたしは左手に重みを感じつつ、用具室のある一階端へと足を進める。
文化部の部室から聞こえる声や隙間から見える様子を横目にふと考えてしまう。
きっと今のわたしだって、他の誰かから見たら青春しているのだろうと。でも、何か物足りなさを感じている。
正体の分からないもやもやとした霧が、ずっと視界の端にちらついていて。気にせず前に進むことは容易だけど、後ろ髪を引かれるみたいに、わたしの足取りを少しあやふやにさせてしまう。
その時、とあるドラマのワンシーンが脳裏に浮かんだ。それは屋上のシーンで、左手の鍵束を見てふと考える。
(屋上って、ドラマとかじゃ簡単に行ってるけど、普通行けないよね……)
普通じゃない、ドラマのような光景が目の前に見えて、わたしの足取りは別の方向へと進み出した。
(ちょっと見るぐらいなら、別にいいよね)
そんな言い訳をしながら、わたしの足はまるで宇宙にでも向かうように重力を感じない。
そして五階の屋上への扉を手に、わたしは一つ息を呑んで力を込めた。
──分かってる。きっと、この先には何の変哲もない屋上があるだけだって。
何かが起こることもドラマのような出会いもある訳ない。わたしは何の味もしない現実に生きているんだから。
でも、こういうちょっとした悪いことをすることに意味がある。昔はこんなことをしちゃったなんて、笑い話にでもなると思うから。無味無透明なわたしに、ほんの少しの色味を与えてくれると思うから。後で味がしなくなったと吐き捨てるくらいの余韻みたいなものを求めているのかもしれない。
わたしの視界に入ってきたのは、無骨なフェンスに閉じ込められたように透けて見える青空と、一人の少女だった。
その子の身に
そして、何かの感情をわたしの心が感じるよりも直ぐ、わたしの脳が危険を察知したように全身にぴりっとした衝撃を伝えた。
──だって、その女の子が、屋上を囲うフェンスの向こうに立っていたのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます