二十六

 子が生まれた。

──頑丈な子に育つだろう

 そう思ったが、この子は生まれてからというもの、北辺の地の寒風にてられて体調を崩すことが多かった。子が親に似るということは、必ずしも起こりえないものなのだと、呂布は知った。

 子は特に冬になるとからだを悪くする。熱を出し、咳を喤々こうこうと泣く代わりに噴き出すのである。

 親たる呂布としては、いつかこの子が死んでしまうのではないかと、困悴こんすいする表情を見せたこともあったが、せんの様子を見て

爹々たたは外に出て、私達の身を守ってくれていれば良いのよ。ね」

 と、胸に抱えた己の嬰児みどりごをあやす様にしてそう言った。

──よくはらわっているものだ

 と感心する半面、己が家から追い出されているような感じがして寂しさを覚えたのを、呂布は記憶している。

 ここに、夏育かいくという人が居る。

 先年、りょう州の北地ほくち郡に鮮卑が侵攻してきた際に、太守であった彼は、これを破って護烏桓校尉ごうがんこういへと転身した。

 この人は、かねてから血気が盛んであった。己は段熲だんけいの下にき、幾度となく夷狄いてき寇掠こうりゃくに際して干戈かんかを交えたことがある。そのことごとに、夏育は自信を深めた。

──この夷狄どもを殄滅てんめつしてみせる

 そういったものが鑠々しゃくしゃくとした輝きをもって胸中に溜まっていたのだろう。

 そして、その自信が確信と変わったのが北地郡での一件だったのである。あるいは、近くに段熲という後漢の史書に名を残すような軍事面での偉人がいたことも、彼のこの動機の要因だったかもしれない。

 段熲という人は、前にも名を出したことがある。かく、この人は辺邊へんぺん鈔掠しょうりゃくする夷狄の類を強く憎んだ人で、時に偽の璽書じしょ、つまりは皇帝の造るような文章を偽装してまで鮮卑せんぴを誘き出してこれを破り、其の罪をこうむったり、西のきょう族と戦った時などは、戦うたびに数千の首級を持ち帰るなどした。

 つまり、この人は徳ではなく武威によって名を馳せた人である。

 そういった人の下で育てられた、或いはその光景を目にしていた夏育などの武人は、その赫々かくかくとした武勲に心を惹かれたであろうということは、想像に難くない。

 この夏育という人は、熹平きへい六年(177年)の夏に入って、朝議に於いてこういった上言をした。

「鮮卑は辺境の地を寇掠すること、春から三十数回を数えております。ゆう州諸郡の兵をとりでより出撃させたならば、一冬二春にて必ずや禽滅きんめつできましょう」

 しかしながら、この言葉には策略というものが存在しない。ただ、来たものを邀撃ようげきすれば良いと言っているだけのことである。当然、議論はの言葉を否定する方向に動いた。

 その中でも、名の在る学者である 蔡邕さいようという人は、はっきりと批判した。

「征討というのは通常の倫理が通らぬことです。所以というものがはっきりとしていて、然るに時に同異が無く、可否をりあげて、得失を謀り、そして事によって成敗が付き、それがひとしいということはありません。れは世宗せそう

──この時代においては前漢の武帝を指す──

の神武、将帥の良猛りょうもう財賦ざいふの充実、廣遠こうえん所括しょかつするところを以てすべきなのです。数十年間、官民はみなとぼしく、なおも悔いが有るものです」

 この発言は前漢の武帝が国力の疲弊を己が導いたとして詔した

 輪臺詔りんだいしょう

というものの記述を下地にしている。この詔によって武帝は国の内情を鑑みずに出征し、しかも大敗を喫した己を罰した。

 つまり今の国の状況はそれと同様なのである、とさとしているのである。この諫言はまだ続く。

「今の人は財を並べるに乏しく、つかえるに昔時せきじに劣ります。匈奴きょうど遁逃とんとうし、鮮卑は強勢をほこりました。そして、その故地にっています。兵は十万をしょうし、才力は勁健けいけんで、智をおもって生をし、加えてこちらの關塞かんさいげんならず、禁網きんもうろうが多い。精金せいきん良鐡りょうてつは皆が賊の有するところと為し、漢人は逋逃ほとうし、謀主を為し、兵の利と馬のはやさにいては、匈奴に過ぎたるものです」

 ここまでが、今の彼此かしの現状を述べた言葉である。

 蔡邕の言葉は、この後人物の評論と、それに依る夏育の献策の批判に移っていく。

「昔、段熲は良将で、兵を習わし、善戦しました。西の羌にて有事は猶も十餘年、今、育(夏育)と晏(田晏)の策は未だ必ず熲(段熲)のものに過ぎざるものです。鮮卑の種衆は曩時どうじのように弱くはありません。しかして、この二載にねんの虚計をもとより成すことが有り、兵を連ねてわざわいを結べば、どうして休んずることができましょうや。まさた衆人を徴発し、轉運てんうんすることむ無しというものです。これは諸夏しょか耗竭こうけつし、蛮夷ばんい并力へいりょくさせ、へんの患いをこすことになるのです。これは手足の疥掻かいそう、中国のこん胸背きょうはい瘭疽ひょうそというべきです」

 そして蔡邕は念を押すように、国の現状について話し始める。

「今、まさ郡縣ぐんけんの盗賊はなお禁ずることを能わず、どうして醜虜しゅうりょを伏するしというのでしょうか。昔、高祖

──高祖とは劉邦のことである──

は平城のはじを忍び、呂后りょこう慢書まんしょはじてました。」

 平城の耻、慢書の詬

 というのは、高祖劉邦と冒頓単于ぼくとつぜんうとの戦いである白登山の戦いで、漢軍が大敗した故事に依るものである。これによって武帝に至るまでの間に、匈奴へ毎年の貢物を要し、漢皇族の女子をも差し出すことになった。また、呂后も冒頓単于より侮辱的な手紙を受け取り、それを保身のために笑顔で送り返した。漢帝国にとっての屈辱的な出来事である。

まさに今に於いて、何かがはじめて盛を為し、天は山河を設け、秦は長城を築いて、漢は塞垣さいえんを起こし、内外を別にする所以は、風俗を異殊いしゅにするためです。いやしくも、無蹙むしゅくの国は内侮ないぶの患いが則ちあるしもの。どうして蟲螘ちゅうぎりょと往来の数をくらべられましょうか。或いは之を破ったとしても、どうして殄盡てんじんすることができましょうか。まさに、いま本朝は旰食かんしょくすべきなのです」

 ここに出る無蹙の国とは広がるばかりで慎みのない国。蟲螘とは小さな虫螻蛄むしけら。そして旰食というのは遅くに食事をすること、転じて君主が政務に熱心に取り組むことである。

「昔、淮南わいなん王のあん(劉安)はえつつことを諫めて曰く、越に人を使わしめて死をこうむるは執事しつじに逆らい、厮輿しよの卒にもしひとつでも不備が有ってかえれば、越王の首を得ようとも猶、漢のはじは大なるものです。齊民を以って醜虜しゅうりょおさめんと欲すれば皇威こうい外夷がいいはずかしめ、其の言の如くしたがえば、なおこのたいらげることができましょう、と。この得失というものを量らないということは、してはなりません」

 少々長くなったが、これが蔡邕の出した論の全文である。

 しかしながら帝は従うことをせず、八月になると、夏育をゆうだい郡の高柳こうりゅうから、田晏をへい雲中うんちゅう郡の雲中から、そして彼らとは別に匈奴中郎将きょうどちゅうろうしょう臧旻ぞうびんには南匈奴みなみきょうど単于ぜんうを率いさせて雁門がんもんから出撃させるという策を練った。

 ちなみに、ここでいう雁門というのは雁門郡全体のことを指すのではなく、雁門関がんもんかんのことを指すと思われる。

 各武将は、それぞれが一万ほどの騎兵を率いていた。

 そして、その中に若き呂布の姿も在ったのである。


 呂布は軍中の異様な雰囲気というものを感じ取っていた。

 それは戦の前の刺々とげとげしい緊張というよりも、どこか緩んだ気配である。そもそも、今回の出撃における質の悪さというものは、呂布も心得ていた。

 辺境の人間は蔡邕の諫言にあるような数十年間も続く天候の不順と、一年に何十遍とも繰り返されるような寇掠と出兵に疲弊しきっている。それにもかかわらず、兵を徴発して鮮卑を調伏しようというのである。

──無理がある

 ということは呂布も、この話を官吏からの下知として聞いた途端に思った。現に、軍中を見回すと、戦う前から疲れ切っている者が大勢居る。これでは、どう頑張ろうとも敵に勝つことは出来まい。

 ましてや、相手は勁強な北の狄どもである。

奉先ほうせん、この軍はどうにも締まりが無いな」

 沛雕はいちょうが呂布の隣にきてそうつぶやいた。彼も戦の経験は着々と積んできている。それだけに、軍の空気というものを読めるようになってきていた。

「俺には締まりがないというよりも、そもそも戦が起こることを知らないようにすら感じる」

 呂布は辺りを見回し、沛雕の呟きに答えた。沛雕も、それにうなずいた。

 呂布たちは今、雲中郡の軍勢の中にあぶみを並べている。

 この軍を統括している田晏という人は先には段熲の下で羌族と戦っていたようで、今は破鮮卑中郎将はせんぴちゅうろうしょうという官職に就いてはいるが、大きな武勲が在るとは聞いたことが無い。

 噂程度ではあるが、中常侍ちゅうじょうじ王甫おうほという人に頼み込んでこの軍の将帥になったとわれていて、その真偽は定かではないものの、もし本当であったとしたならば、銅臭どうしゅうというものを漂わせているようにも感じる。

 それが杞憂であったとしても、この軍の指揮をるに有能な将軍と謂うことは、どうにも出来ないように思える。

 この空気にてられたのか、普段なら戦とあれば血が沸騰するような感覚に襲われる呂布といえども、今回ばかりは気が乗らない。負ける予感というものが、濃い。

 しかしながら、いちどたせた軍旅を収めることは難しい。呂布たちは馬に乗り、未だ踏んだことの無い北の地に足を踏み入れることになった。

 呂布は片手に鉞を担ぎ、背中には弓を提げている。えびらに入った矢は十六本。輜重しちょうとして予備の矢があるが、呂布自身はこの十六本の矢のみを用いて戦う心算つもりである。

──物が贅沢だと心が緩む

 と考えていたからである。限りというものを設けていたほうが、逆に戦略というものは立てやすい。沛雕は刀と弓を持っている。最初の内は馬上にてを扱うということに苦労していたが、呂布に付き従って戦場へと飛び込む度に巧くなっていった。今では、己の中でも自信を付け始めている。

「奉先。此度はどれだけの首を持って帰れるだろうな」

 と出立の前に沛雕はうそぶいたが、それは逆説的に今回の戦が不安の多いものであることを示している。

 呂布は馬上から再び兵らの様子を見たが、やはり士気というものがほとんど無い。

──どうやら、勝敗よりも生死の問題になりそうだ

ということを呂布は思い、向後の様子を妄想して、一人身慄みぶるいをした。


 軍は一日に五十里進んだ。

 普通は一日に三十里進むのが常であるから、これはさすが騎兵で揃えたと謂うべきか、およそ速い行軍である。

 しかしながら

──喉が渇いた

と思う兵士が多かった。

 兵士たちは進む度に井戸を掘り、水を皮袋に一杯に詰め込みながら進んでいたが、飲める水に限りがある上に、軍を早く進めようとしたのか、思うように集まらなかったのか、兵糧の量も少なかった。進む道が道だけに水は足りず、夏の日差しに依る疲労が故にえも酷い。兵士たちは陽の昇っているうちは只管ひたすらに馬を進ませ、陽が沈めば疲弊した躰をせて、その餓えと渇きを誤魔化ごまかすように浅い眠りに就いた。

 浅い眠りは人に常に夢を見させる。呂布もまたその限りの中にいて、眠る度に瞼の裏にはせんと子供の姿がえた。そして、その二人がふと消えたと思うと、己の父母の姿というものが現れるのである。

 この時だけは、己が幼児に戻ったような気がした。何処に居るとも分からず、そして浮遊している感じが、幼いころの記憶と感覚に合致しているのである。

 呂布はふと、考えた。

 己の母があの後に生きていたのだとしたら、己らの歩いているこの道と同じ処を通って行ったのだろうか。

──母さん

 呂布はこの時、軍旅中の他の兵と同じく飢餓を感じていたから、猶更なおさらに其の苦しみというものに思いを馳せた。そして其れを感じている内に、何時いつの間にかまつげが濡れ、瞼の向こうが朱光に包まれて、寝たとも寝てないとも判らぬままに躰を起こすのである。

 そういったことが何日も続いた。

 呂布らの加わっている軍旅は、おおよそ一月半に亘って荒蕪こうぶの土地を歩き続けた。この時点で、皆が疲れ果てている。

 しかしながら、戦というものはこれから始まる。既にこの地に先遣されていた部隊から、臧旻や夏育といった将軍は程なく近い処へと布陣しているという言伝ことづてが有った。

 数万の騎兵が、この周辺に集っているということである。

──備えに憂い無し

 と考えたのか、田晏は兵卒に下知して

「暫く、休息することを許す。決戦に向けて英気を養え」

と命令した。

 兵たちはこの命令によって、初めて意気が揚がった。逆に言えば、田晏らの軍は此処ここに至るまでの間、全く以って意気を揚げるための工夫というものをすることは無かった。

 田晏が今回、将帥に任命されるまでの経緯を考えると、彼は相当に焦っていたのだろう。何としても、己が功を立てて、将軍に任命して兵を与えた王甫や、今回の上言をした夏育、そして作戦に参加している中でも名高い臧旻といった面々の面目を立てなければならぬと考えていたのだろう。

 しかしながら、それは匹夫のものに近かったのかもしれない。此処までの道中で、配下の兵士を疲弊させることになってしまったのである。

 兎も角

──やっと休める

 という兵士たちの安堵は、やがて皆を深い眠りの中にいざなった。

 しかし呂布や沛雕は念の為にと、夢魔むまが瞼を引きずり下ろすのをこらえ、何度となく目をこすって必死に耐えた。

 呂布には苦しい記憶がある。十年も前になってしまった、己のむらへの略奪の記憶である。

 あの時も、皆が眠っているときに襲い掛かってきたのである。狄というのは、確かに野蛮である。だが、野蛮な者たちは人の本来持ち得ている獣としての感覚を、中華の者どもよりも鋭敏に持っている。故に、その隙を突くことも巧い。そういった能力を発揮されれば一網打尽にされるということは、血と涙を以って思い知ったことである。

 沛雕も、そういった呂布の姿を見て、何かを感じ取ったのかもしれない。胡坐あぐらを掻き必死に微睡まどろむ己を律していた。

 しかしそういった意識は、ここにいる兵士のほとんどどが共有出来ていなかった。煮られた粥をすするなり、陣の彼方此方あちこちから寝息が聞こえてくるようになったのである。

──まずい

 呂布は感じている不安をさらに大きくした。今この場に狄の軍が入り込んでくれば、大きな混乱が陣中に渦巻くことになる。そういった状況に陥ってしまえば、多くの兵が死ぬことになるだろう。勿論もちろん、そうなると決まった訳では無い。しかし、起こるようなことが有れば損害ははかり知れない。

 陣が敷かれているのは丘のふもとである。彼我が相手を見ることは出来ないが、丘から風が吹き下ろすようになっていて、暑さが幾らか和らいでいるのがわかる。その風の心地良さというのが疲れを癒してくれている半面、兵士の大半を眠りに至らせる。

 呂布も其れに負けそうになったが、眠りに落ちかける度に己のももを殴りつけて何とかその誘惑を振り払った。それでも尚、睡魔にほだされてこうべを垂れかけた時、呂布は耳のうちとどろくような音を聞いた。

 其れは確かに音として聞こえてきたものでは無い。しかしながら、この地が、或いは風が呂布に音として聞かせたのである。

 呂布は悟った。

──丘の向こうに、狄が来ている

 この軍を勝たせなければならぬ。そう思った呂布は途端に目をまし、力の入り辛くなった躰を飛び上がらせて、周囲にたむろしている伏臥の衆の躰を順々に揺り起こそうとした。

 しかし、ここまでの疲れがたたっているのか、一向に起きる気配がない。少し遅れて沛雕が其の躰を起こした。

「奉先、いきなり騒がしくなったな。どうしたんだ」

 眠気で冴えない頭を必死に起こして、沛雕は呂布に問いかけた。

「あいつ等が来ている」

「あいつって云うのはどいつだ」

「分からないんですか。えびすです」

「なんだと」

 沛雕は未だ目が醒めていない。だが、茫昧ぼうまいとした意識の中だからこそ、呂布の語気が躰の芯にまで浸透したらしい。沛雕は驚愕して己の頬を叩きつけると

「俺も起こすのを手伝おう」

と言って、呂布と同じように周りの兵の躰を揺すり起こさんとし始めた。

 いささかの時が過ぎて、呂布たちの周りの兵士はやっと起き始めた。そのかおは、如何にも迷惑をこうむったかのような表情をしている。

「なんだ騒ぎやがって。うるせえな」

 と悪態をく者も、再び眠りに落ちる者も多かったが、呂布たちは構わずに起こして回った。

 己の予感が正しければ、鮮卑どもはもう間もなく此処ここに来襲するだろう。そうして産まれる被害を、すこしでも少なくしたいという思いが強かった。

 もう何人目かは判らない。目の前に居る、横臥した兵卒を起こさんとしたとき、耳朶じだの中に蹄音ていおんが聞こえた。

──これは、虚か実か

 呂布は迷った。正気を保たせて味方を起こして回っているが、己も此の兵達と同じく長い道中を窮乏きゅうぼうの下に置いて進んできた、一兵卒には変わりないのである。己の身にも何か異変が起きていて、在らぬ音を心が勝手に作り出しているかもしれない。

──焦るな

 と己に言い聞かせた呂布は、丘の頂上のほうへと顔を向けた。

 ひづめの音が、まだ聞こえる。確かに、この音は鳴っている。そして、風に乗って此方こちらの方にまで聞こえてきている。間違いはないと確信した呂布は、大喝した。

「狄だ。狄が来たぞ」

 その声に飛び起きる者は大勢居た。無理に起こされて怪訝けげんな顔をしている者も、この声に驚いた。

「奉先、良いのか」

 沛雕は呂布に向かって、そう言った。良いのか、というのはつまり

──軍紀に触れるぞ

と言ったのである。そのことを承知した呂布は、小さく首をうなずかせた。それ程までに、呂布はこの蹄の音が己らに敵するものなのだと思っていた。

「騒がしいぞ、貴様」

 呂布のもと什長じゅうちょうと思われる兵が駆け寄って来た。手には剥き身の剣が握られている。呂布を斬るつもりなのである。

「俺が言ったことに間違いは無い。絶対にあいつ等は来ます」

「そんなものは影も形も無い。観念しろ」

 駆け寄ってきた兵が剣を振りかざした瞬間、丘の上から叫ぶような声が聞こえた。

「来たぞ、奉先」

 沛雕が叫んだ。呂布は己が殺されかけているというのに、丘の方に眼を移した。

 そこには大勢の、騎馬した者どもが姿を現している。

 剣を振り降ろしかけた兵も、沛雕の声に驚いたのか躰を硬直させたらしい。其の兵もまた、丘の上を見た。そして己が見たものが信じられないかの様にして、驚駭きょうがいした。

「狄だ。狄が来た」

 皆の目線の先には、確かに鮮卑どもが大挙して丘の上を陣取っていたのである。


 時に、檀石槐だんせきかいは三部の大人たいじんに命じて漢の軍を逆戦ぎゃくせんさせたのだという。

 随分前になるが、この檀石槐という人を紹介したときに鮮卑を三部に分けたのだ、という話をした。もしも、この三部と其の単位を同じくするのだとすれば、それは相当な大軍であったはずである。

 それほどまでの戦力で漢軍を打たんとした鮮卑の軍団は、丘の下に其の軍が駐屯しているのを見ると、即座に突撃を始めた。

 方やこの土地を知り気勢の在るうまのり。方や故地から二千里離れた場所に出征してきた士気の上がりきらない士卒。

 方や降るように斜面を下ってくる騎兵。方や馬から降りて臥寝がしんしていたかちと変わらぬ兵。

 結果というのは自ずと見えてくるものであった。そして、それは呂布の不安視していたことに、そのまままってしまった。周りにいた兵士たちは驚天動地して辺りを逃げ回り、大凡おおよそが抵抗もままならぬ内に鮮卑たちの矢に射抜かれた。しかばねが積み重なっていき、空馬からうまが騒いで先陣を掻き乱す中、呂布は必死になってえつを振り回した。沛雕もまた刀を抜いて応戦をした。だが、どうやろうとも、この勢いの差というものは埋め難いものであった。

 こうなってしまえば、己の生き残りをかけて戦うしかない。呂布は己の乗ってきた馬の元になんとか辿たどり着くと其の背に飛び乗って、胴に掛けてあったゆぶくろから弓を取り出し、矢をつがえた。馬腹を蹴ると、馬がはしり出す。走駆する馬の背の上で弦を引くと、狙いを定めて一矢いっしを放った。

「おお、助かった」

 呂布が狙ったのは、沛雕の背を狙おうとしたうまのりである。沛雕も助けられた身を駆けさせて、馬に跨ることが出来た。沛雕は馬上に刀を振り回し、矢を避け、それでも躰に幾らかのきずを負いながら此方こちら疾奔しつほんしてくる。

「奉先、げるぞ」

 多いなる混乱の中である。もし、これで逐北ちくほくされる身になろうとも、ここに骨を埋めるよりは良いだろうと沛雕は考えたらしい。そして、その考えは呂布も同じであった。

 二人は馬を走らせて、南と信じる方へと向かって駆け始めた。それでも鮮卑の騎はしつこく、何人かが固まりを為して、こちらへと駆けてきた。

雕兄ちょうけい、持っていてくれ」

 呂布はそう言って、馬を走らせたまま、己が持っていた鉞を沛雕に投げ渡すと、躰を大きくじって弓を構え、えびらから摘み出した矢をしなりに合わせてち出した。鋭く飛んだそれは、い立ててくる狄の兵の眉間を貫いた。

 自らの技を示すことは出来たが、それはひるがえって鮮卑の兵の関心を買った。むしろ、この偉丈夫の首をるのは我であると意気込んだ左右の騎は、より甲高い声を上げて馬に鞭を入れた。

 北の馬は古来より良駿りょうしゅんばかりである。はやさでも、忍耐する力でも、へい州の馬がかなうことはあるまい。

──このままでは此方こちらが不利だ

 呂布は後ろから飛んできた矢をひとつ避け、へその下に力を籠めるようにして息を深く吐いた後、また一本の矢を弓につがえて、後ろにいる追跡者に向けて狙いを定めた。

 しかし、騎たちもただ当たるだけの的になるわけにはいかない。身を低くして馬の首を急に左右に向かせた。しかし、呂布はそのことを折り込んで狙いを定めていた。弦をはじいて飛ばした矢は、見事に騎をまた一人、馬上からとした。

「奉先、もうそろそろれを返させてくれ」

 沛雕がそう叫んだ。呂布から渡された鉞が重くて、腕が悲鳴を上げているらしい。

「駄目だ。まだ追ってくる奴らがいる」

 呂布は沛雕の悲鳴を無視して、再び矢を番えた。

 己の背後には、だ五、六の騎が控えている。箭はそれほどていない。呂布は己の心を落ち着かせてまた一人の騎を射落とした。

 的確に上の兵士のみを射落としているせいで、今ここには人よりも馬の方が多いくらいである。

 後ろからは矢がまばらに飛んでくる。呂布もまた、身をかがめてその矢を避けんとしていたが、えびすたちは流石に騎射がうまい。振り向こうとしたとき、呂布の頬のすぐ横を矢がかすめていった。

 呂布は弓を右手に持ち替えた。そして躰を伏せたままで、後ろに向かって矢を一本飛ばした。闇雲に飛ばした矢は馬郡の間を抜けていったらしい。この時点で、呂布もまた精一杯な中での抗戦であった。

「雕兄。鉞をくれ」

 呂布は弓を韜に収めると、馬のくつわ同士が触れん程に沛雕の馬に己の馬を並ばせてはしり、沛雕が持っていた鉞を手繰たくった。

 呂布は馬首を切り返した。沛雕は驚いた。

「奉先、何をするつもりだ」

 と叫ぶ沛雕に対して、呂布は

「追手を打ち倒す」

 とだけ言い、敵の騎たちの間に向けて突っ込んでいった。

 呂布は矢を射りながら、どうすればこの状況から切り抜けられるかを考えていた。このまま追って追われてを繰り返していれば、こちらは良いまとになるだけである。振り返った時には馬の尻から血がにじんでいるのも見えた。この馬はよくらされているから走ってくれているが、ほんとうであれば振り落とされていても可笑おかしくない。

──このまま的にされ続けるのは、いけない。

 呂布はそう考えて、いっそ大いに迎え撃とうと己の態度を転換させたのである。

 沛雕は自分だけ逃げるというのもが悪いと考えたのか、呂布の咄嗟とっさの勇気に賛同した。

──ならば、俺も脇を固めさせてもらおう

 と、沛雕もまた刀を抜いて馬のきびすを返した。

 呂布と沛雕は騎の群れに飛び込んでいった。沛雕はふせぎに来た一騎に行く手をはばまれて、呂布の脇に居ることは出来なかったが、単身になっても呂布は強靭であった。群れと衝突するなり、片腕で鉞を振り、数騎の敵兵をち落とした。その後ろからも弓を射かけてくる敵が数人いたが、これは沛雕が扞拒かんきょしてきた者を打ち倒した後に、馬を飛ばして背後から斬りつけた。

 瞬く間に追っ手を片付けた二人は、息の上がっている馬の背に跨ったまま、ひとところに呆然とした。敵が居なくなったせいで気が抜け、これまでに蓄えられてきた疲労というものが、重たく躰と頭脳にかってきたのである。

「雕兄、還ろう」

 呂布は途端にそんなことを言い出した。沛雕も、この言葉にうなずいた。

「そうだな、奉先。もう俺たちがこんな処にいる意味は無い」

 これは二人とも、心の根から思っていたことであった。元々、この軍旅にさしたる意味は無いと思っていた。それが、疲憊ひはいの色が躰に色濃く出た時、忍耐のせきを切って口から出たのである。

 戦の中というものをてきた呂布と、人情を分別してきた沛雕という違いこそあれ、やり取りの中にある信条は同一であった。

──こんな意味の無い戦などはしたくない

 呂布は薄呆也うすぼやけた頭で、いっそ北に行ったほうが良いのではないかとも思った。彼の地の鮮卑は戦に意味を見出しているように感じたのである。

 己らが食べるため、土地や人を得るため、彼奴らは馬に跨り弓をいている。

 思えば、己の母も鮮卑だったではないか、と気が付いた呂布は、いっそ第二の故郷と思って赴いた方が良いのかもしれないとも思った。

 しかし、その母を家族から引き剝がしてかどわかしたのも、鮮卑の性状である。

 胸裡きょうりには、恨めしさと郷愁の念が渦巻いている。

 結局、答えを見付けきることが出来ないまま、呂布は馬のたづなを掴んで南の、家族の元に向かうことにした。

 どこか後ろ髪を引かれる様な思いがしていたのは、言うまでも無い。

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