ブラックパープルメンソール   第8話

 『ダイバー』


 ディープキスした後、舌マニアは急に逆上した。

 片手でわたしのあごをつかみ、反対の手にはナイフ。

 わたしの喉に刃先を当てて、脅した。

「舌を出せ!」

 さっきまでの優しい声とは違う。

 乱暴で粗雑な言い方。

 わたしは言われるままに舌を出した。

「もっと、出せ!」

 恐怖に体が震え、涙が頬をつたった。

 命令に従うことしかできなかった。

 ただ舌を突き出すことしかできなかった。

「わたしに会うときはタバコを吸うなと言ったよな! 

嘘つきにこんなキレイな舌はいらない。

斬り裂いてやる!」

 舌マニアがそう言って、ナイフをわたしの舌に当てたとき、部屋のドアのロックがカチャって音がした。

 ドアが開き、誰かが入ってくる気配がした。

 舌マニアがナイフを外し、背後から左腕をわたしの首に回した。  

 ドアの開いた先には、あの革コートの男が立っていた。

 男はサングラスをかけていた。

「よぉ、舌切り。

感情が高ぶり、同調率が68%まで下がってるぞ。

おまえのむき出しになったキャラクターが丸見えだ。

50%を切ると、人格競合が起きるぞ。

ホストのキャラクターのスリープが浅い。

腕の悪いハッカー雇ったもんだな」

 革コートの男はそう言って、サングラスを外し、投げ捨てた。

「おまえ、ダイバーか?」

 舌マニアが革コートの男に向かって言った。

 ダイバー?

 舌マニアがわたしを突き飛ばした。

 突き飛ばされたわたしを、革コートの男が受け止めてくれた。

「言っただろ、夜遊びもたいがいにしないと、痛い目に合うって」

 革コートの男が言った。

 太い腕に抱かれて安心したわたしは急に力が抜けた。

 脱力したわたしをカバーするように、男は抱きしめてくれた。

 舌マニアが自分のサコッシュバッグから何かを取り出した。

 何か。

 ハンディビデオカメラくらいの大きさの拳銃のような物。

「やはり、マーカーを持ってたか。 

それはこの世界では禁制物だ。

A級以上のダイバー以外、持ち込みも所持も禁じられている」

 革コートの男が言った。

 マーカー? 

 あの拳銃みたいな物のこと?

「立てるかい?」

 男はそう言って、わたしを離し、後ろに下がるように手を引いてくれた。

 男は後ろに手を回し、拳銃のような物を抜き、それを舌マニアに向けた。

 革コートの男の物は、舌マニアの物とはまるで違い、コンパクトだった。

「S級ダイバーのマーカー!」

 舌マニアが驚いたように言った。

「おまえのそれ、A級ダイバーのマーカーだな。

しかも、かなり古い。

初期のプロトタイプ。

そんなもん、どこで手に入れた?」

 革コートの男が意味不明なことを連呼している。

 何一つ意味がわからない。

「これがわかるとは、かなりのベテランだな。

しかも、S級ダイバーの登場とは恐れ入った。

おれをこの世界へダイブさせたのは、元A級ダイバーのハッカーだ。

このマーカーで、B級ダイバーを二人飛ばしてやったぜ」

 舌マニアはそう言って、でっかいマーカーをカチャカチャ操作している。しかも、左手まで使って。かなり、面倒くさそう。

 二人が持っているマーカーって物は拳銃のように見えて、銃口が無い。

 その代わりに先端にはレンズみたいな物が付いている。

 舌マニアがマーカーの引き金を引いた。マーカーから赤いレーザーが発射され、革コートの男の額をとらえた。

 一歩遅れて、革コートの男も引き金を引いた。発射された赤いレーザーは、舌マニアの額をとらえた。

 革コートの男が笑った。

 男はマーカー後ろ部分にあるジョイスティックみたいなレバーを操作した。

 点だったレーザーが分散して、細かい網のように広がる。額から顔、顔から首、首から胸、レーザーの網は舌マニアの全身を包み、拘束していた。

 革コートの男はさらにレバーを操作した。

 舌マニアの頭の部分からコブみたいな物が生じた。

 落花生みたいにコブは頭と同じくらいに大きくなり、バナナの皮みたいに先端から剥けた。

 皮の中から、見たこともない男の顔が現れた。

 ハゲでブサイクなヒゲ面の男。

「おまえが、キレイな女性の舌に固執するあまり、その舌を切り取ってコレクションしたって変態野郎、舌切りか」

 革コートの男がそう言って、鼻で笑った。

 その話を聞いて、わたしは背筋に寒気が走った。

「噂通りのブサイクだ。

キャラクターは自我を維持するため、元の本人の顔をそのままプログラムするからな」

 革コートの男はさらに続けた。レバーを逆操作したら、バナナの皮は閉じ、ブサイクな頭がレーザーの網に引っ込んだ。

「Sコードが発令されている。

すべてにおいて最優先されるコードだ。

A級ダイバーの骨董品マーカーなんて、作動するわけが無い」

 革コートの男はマーカーのジョイスティックレバーを思い切り押し上げた。

 レーザーの網から、倒れ込みように舌マニアが現れた。

 舌マニアはドミノのように前のめりになって倒れた。

 舌マニアは目の前で倒れたはずなのに、レーザーの網はまだ、人の形を保って立ち尽くしていた。

 あの網の中にいるのは一体、誰?

「あのレーザーの網の中にいる奴は、舌切り。

2075年の現実世界から来た犯罪者であり、侵入者だ」

 わたしの疑問に革コートの男は答えてくれた。

 でも、さらに疑問が増すだけだった。

「S級ダイバー403·0965の名において命ず、こいつを引き上げろ!」

 革コートの男がそう言って、叫んだ。

 イエス ダイバー!

 合成音が流れると同時に、レーザーの網は頭の部分に向かって、どんどん先細り、しまいには、一本の線になって天井に伸びた。

 線が天井に飲み込まれるように消えていった。

 革コートの男はマーカーを下ろした。

「ん?」

 そう言って、革コートの男が急に鼻をクンクンし始めた。

「匂いがする。

ホワイトムスクみたいな。

きみ、香水使っている?」

 男の問いかけにわたしは素直にうなづいた。

 男はわたしの香水のラストノートを言い当てた。

「管制室、今の同調率は? 

···99.91% 

やっと嗅覚が働いた。

何で今頃」

 革コートの男はそう言って、笑った。

 少年みたいな笑顔だった。

 クンクンと仔犬みたいに鼻を鳴らして、笑っている。

 わたしはただその笑顔を見つめていた。

 ひとしきり笑うと、男は表情を変え、話し出した。

「今、きみがいるのは、2050年の現実世界が作り出した、

仮想現実の世界だ」

 革コートの男が凛とした優しい声で言った。

 あまりにもバカげた話だったが、目の前で起きた出来事を見た後だと、嘘にも聞こえなかった。

 男がマーカーを構えた。

 照射された赤いレーザーがわたしの額をとらえた。

「少し、真実を見せてあげよう」

 わたしの視界が一変した。

 ホテルの壁、革コートの男が細かい数列の塊に見えた。

 数列を作る数字がランダムに変わっていく。

 わたしは自分の手を見た。

 わたしの手も同じように数列の塊で形成されていた。

 驚くわたしに革コートの男が言った。

「今、きみが見たように、きみがいるこの世界は無数のマトリクスでできている。

おれはダイバーと呼ばれるエージェントだ。

現実世界から仮想現実世界に侵入した犯罪者や、さっきのマーカーみたいな禁制物の持ち込みなどの対処をしている。

犯罪者は、この世界の住人に自分のキャラクターを乗り移して、侵入する。

おれも今、この世界の人間の体を借りて、ここにいる。

この世界には制約がある。

現実世界からこの世界に入るには、すでにいる人間を乗っ取るのが一番手っ取り早いんだ。

きみは少し知り過ぎた。記憶操作が必要だ···

が、その前に一言、言っておこう。

きみは若くてきれいだ。

残念だけど、今きみは体を売っている。

でも、魂までは捧げていないだろう。

もっと、自分を大事にしたほうがいい」

 わたしの体はレーザーの網に包まれていった。


 第9話へ続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る