第22章 勝負の条件

 芽亜の本名を聞けた。

 けれど、まだ三人。

 結、天、そしてバニラ。

 その奥にある“素顔”へと届く道筋は、まだ影の向こうに隠れている。


 扉の向こうに灯りはあるのに、手をかける鍵が見つからない。

 ひとりの心を開くのに、あれほどの夜と時間が必要だった。

 なら、残りの三人は――もっと違う形で、自分の覚悟を試してくるのだろうか。


 考えれば考えるほど、答えは霧の中に沈んでいく。

 ただ一つ確かなのは、彼女たちに近づこうとすれば、また別の壁に必ず突き当たるということ。

 その壁は優しさではなく、力を示すことを求めているのかもしれない。


 胸の奥でそんな予感をかき立てられた、その矢先――。


「私と勝負して勝ったら、教えてあげてもいいわよ」


 唐突にそう切り出したのは、バニラだった。

 ゲーム機のコントローラをくるくると指先で回しながら、挑むような笑みを浮かべている。


「……は?」


「何その顔。簡単な話でしょ? 勝負して、私に勝てたら考えてあげるってこと」


「いや、それ無茶だろ」


「あんたの熱意って、その程度なわけ?」


 肩を竦めて笑うでもなく、真正面から射抜くような視線。

 ――こいつは、言い出したら絶対に引かない。


 それは日常の端々で、もう何度も目にしてきた性格だった。


「……いいだろう」


「え、マジで言った? 私、本気でやるよ? 手加減なんてしないからね」


「当たり前だろ。勝負なんだから」


 言葉を返すと、彼女の目に光が宿る。


「やるのは、私がいつもやってるフリードシリーズの個人戦。いい?」


「わかってる。フリードでお前を倒せばいいんだな」


「いや、そうだけど……ほんとに言ってんの? 私、強いよ?」


「知ってる」


「……ふふ。じゃあ、勝負は来週ね」


「ああ。わかった」


「颯が無様になるの、楽しみにしてりゅから」


「噛んでんじゃねえよ。返り討ちにしてやる」


 互いに挑発をぶつけ合い、言葉の火花が散る。

 こうして決戦は、来週に決まった。


 ――彼女を説得するには、これしかない。

 やるしかない。たとえゲームであっても、勉強すれば何とかなる。



 夜。モニターの前に座り、コントローラを握りしめる。

 キャラクター選択画面には、二十体を超える機体が並んでいた。さらに隠しキャラまであるらしい。


(全部触ってたらキリがない……どこか一点突破を決めなきゃ)


 試験勉強みたいにノートを取り出し、操作の癖や特性を書き出していく。

 まるで単位試験に挑むときのような集中力。だが対象は、ゲームだった。


「珍しいね。颯がここでゲームなんて」


 振り向くと、芽亜が立っていた。

 手にペットボトルの水を持ち、少し乱れた髪を耳にかける。


「バニラと戦う約束してな」


「ああ、なるほど。……あの子、対人戦になると性格変わるから気をつけて」


「性格?」


「配信では楽しそうにやってるでしょ。でも、プライベートは別。アイドルなんてみんなそうよ」


「そういうもんか」


「そういうもん。……頑張ってね」


 ふっと微笑んで去っていく。

 以前より、その表情は確かに柔らかかった。

 あの夜の出来事以来、彼女との距離は少しずつ変わり始めている。


(――とはいえ、軸を決めないと)


 性格が変わるということは、周りが見えなくなる。

 その一点を突けば、勝機はあるかもしれない。


 考え込んでいると、再び足音が戻ってきた。


「……よかったら、手伝ってあげようか?」


「なんだ急に。お前、ゲームあんまりやらないだろ」


「颯が言ったんでしょ。雑談配信とかゲームとかもやればって。……その練習」


「確かに言ったけど」


「いいじゃない。私も、いきなり配信は緊張するし。颯ならちょうどいいかなって」


 照れ隠しのように視線を逸らす芽亜。

 俺は思わず笑って、コントローラを差し出した。


「……なら、お願いするか」


「うん」



 事務所を出る帰り道。廊下で天とすれ違った。


「あれれ? 今日は珍しく早引きだね」


「やることがあるんだよ」


 ――芽亜とオンラインで練習、なんて言えるはずがない。


「ふーん? その割に、楽しそうな顔してるね」

 天は覗き込むように俺の顔を見て、わざとらしく口角を上げた。


「うるさいな。とにかく急ぐから。じゃあな」


「あ、逃げた。書類は机に置いとくから、明日見といてね」


「了解」


 天の笑い声を背に受けながら歩き出すと、今度は角の手前で結と鉢合わせた。

 ファイルを抱えていた彼女は小さく会釈をしてから、俺を見上げる。


「颯さん、もう帰るんですか?」


「ああ。ちょっとな」


「……そうですか。なんだか、楽しそうに見えますね」


 結は首を傾げる。天と同じことを言われたのに、響き方はまったく違う。

 その声には、仲間としての心配と、わずかな探るような色が混ざっていた。


「気のせいだよ。じゃ、明日」


「はい。気をつけてくださいね」


 彼女の穏やかな声を背に、俺は早足で廊下を抜けた。

 ――秘密を抱えたまま歩く背中は、思っているよりも重たい。



 深夜。

 オンラインに繋ぐと、イヤホン越しに芽亜の少し緊張した声が響いた。


「聞こえる?」


「ああ。大丈夫」


「じゃ、始めよっか。……で、どれ使う? 最初はさっぱりわからないでしょ」


「まったくな」


「さっき調べたんだけど、これとこれが初心者に向いてて――」


 芽亜の解説は理論的で、筋が通っていた。

 ただ強いだけじゃなく、時間のない俺にとって最も効率のいい作戦を選んでくれる。

 その上で、自分も上達するためにスタンダード機体と強キャラを使う。


 ――非の打ち所がない。


「……お前、意外と上手いな」


「そうかな。私より上手い人なんて、いくらでもいるから」


 操作するキャラの動きは滑らかで、吸収の速さは驚くほどだった。

 まるで音楽を覚えるみたいに、ゲームのリズムを身体に馴染ませていく。


 流石は配信者。

 直感も、飲み込みも、半端じゃない。


 どうして今までやらなかったのか――その答えは、彼女自身の口からこぼれた。


「バニラを近くで見てたら……そうなるよ」


 彼女の声は、少し寂しさを帯びていた。

 圧倒的な強さを目にすれば、自分の居場所なんて小さく見える。

 それでも――こうして一緒に練習することで、芽亜は確かに前へ進んでいた。



 ゲームの理屈は簡単だ。実行は難しい。だからこそ、価値がある。


 何戦も回しながら、俺のメモは増え続けた。

 “ゲージ:守備に使う。割り込むのは3連目の前”

“飛び:出足見てから対空間に合わない→地上戦の徹底”

 “端背負い:暴れNG。投げ抜け最優先。体力リード時は時間を使う”


 芽亜はときどきミスをして、わざと負け筋を作ってくれる。

 でも、手加減はしない。必ず理由と代替案を示す。

 教師というより、同じトラックで併走する伴走者だった。


 日が変わる。

 モニターの熱が、指先に残る。


「……ここまでで十分。今日は終わりにしよう」


「助かった。だいぶ軸が見えた」


「“見えた”がいちばん危ないからね」

 芽亜は小さく笑って、イヤホンを外した。

「勝つのが目的じゃないでしょ。――『勝てる自分』を一回でも作る。その経験を、バニラの前で嘘なく出せるかどうか」


「わかってる」


「よかった。……じゃ、おやすみ」


 通話が切れたあとも、俺はしばらくコントローラを握っていた。

 勝負に勝つことより、彼女の“本当”に届くこと。

 そのために必要な“形”を、頭の中で組み立てる。


(――結と天は、どう受け止めるだろう)


 勝負を選んだ俺を、軽率だと笑うか。

 それとも、目の前で勝つ姿を見て、少しだけ信じてくれるか。



 気づけば時計の針は深夜を回っていた。

 だが、不思議と疲れはなかった。

 むしろ胸の奥は軽く、どこか温かい。


 勝負は来週。

 説得のための舞台は、もう整いつつあった。

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