第2話 七つの命
放課になった。紬は今日も自習室に残って勉強するそうだし、普段は俺もそうしているのだが、今日に限っては野暮用がまだ公園で凍ってる。なので、こう言って席を外してきた。
「ちょっとコンビニで補給してくる。シュークリーム分とか」
「あー、あたしの分のコーヒーお願いしていい? いつものやつで」
「わかった」
紬のいつものコーヒーというのはチュリーズのボトル缶、キリマンジャロのやつである。まあ、それはいい。ついでで本当にコンビニに行けばいいだけだ。それより問題は、公園にほったらかしてきたあの魔王をどうするかである。
「よおエニ」
「……」
凍ってるので返事はない。だが死んでいるわけではない。魔王エニグマはこの程度で死ぬようなやわな存在ではない。彼女には七つの命があるから仮に今とどめを刺してもまたいずれ再誕を遂げて戻ってくるのだが、あとで余計に恨まれるだろうからそれはやめておく。俺の知ってる限りでは、エニにはまだあと四つ命が残っているはずである。俺はエニの、菱形の紋章が刻された額のある凍った頭に手を当て、異能の力を発動した。手がひんやり。
「≪ミニットマン≫」――状態回復の異能。
異能、というのは俺が二番目の世界で手に入れた力の体系である。一番最初の、エニグマが魔王として君臨していた世界で手に入れたのは『魔法』。それぞれ色々違いがあるのだが、細かい説明は今は置いておく。いずれにせよ、俺に使える範囲の回復魔法より、≪ミニットマン≫の方がこの場では適切だ。ワン・ミニット、つまり一分以内にありとあらゆる肉体の変化、状態異常などを回復させられる。さすがに死者だけは無理だが、死んでさえいなければ丸一分でだいたいの異常は治療できてしまう。
「ぴぎゃっ!」
意識を取り戻したエニが悲鳴を上げた。本人の肉体は解凍できるが、服まではどうにもならない。エニの着ていたぴちぴちレオタードは、液体窒素にくぐらせて落とした薔薇の花のように、粉微塵になって散らばっていた。つまり素っ裸。もちろんあたりに人目がないタイミングを狙ってやったのではあるがそれにしてもフリーザーの冷却作用というのは恐ろしい。あれで凍らせたものが陽光にちょっと晒したくらいで溶けて元通りになるのなら、そもそもこの場に爆炎の魔王をほったらかして予備校に戻ったりしてはいられなかったし。
「パーカー貸してやろうか?」
「戯けを申すな、いらんわ! 寸刻だけ向こうを向いておれ!」
エニがどこからともなく取り出した新しいケープをばさっと翻すと、不思議な力で新しい服が出来上がって、それを着ている状態になった。相手も大魔導士で魔王なので、この程度のことは軽々とやってのける。やる気になればカボチャを馬車にしてシンデレラ姫を舞踏会に送るくらいのことはやれるであろう。魔王の方が魔女よりえらいだろうし。
「……こほん。では改めて。久しいの、三界渡り。余の顔、よもや見忘れてはおるまいの?」
「こっちは久しぶりってほど久しぶりでもないよ。そっちはどうだか知らんが」
「余は七つの命を持つが、それで再誕するたびに赤子からやり直しじゃからの。しばらくはほとぼりを冷まさざるを得んかった。誰かさんのせいで。誰かさんのせいで」
エニは最初の世界で俺と相打ちになった後、俺が転生した先の邪神の世界に自らも転生を遂げ、しかも銀河帝国の世界にまでどうにかして侵入を果たしてきた。そういうわけで、こいつと遭遇するのは、世界の数でカウントすればこれで四つ目という計算なわけである。さて、ちゃんとお着替えも済ませたエニはなぜか不敵な笑みを浮かべ、こう言った。
「余はお前に対して一つ貸しがあるわけだが。よもや忘れてはおるまいの?」
二番目の世界で邪神を封印するための戦いを繰り広げたとき、エニはなぜか俺の味方をしてくれた。『お前の息の根を永遠に止めるべき宿命を負う者はこの余である。従ってこの程度の下等生命体になど殺されてはならぬ』とかいって。俺が邪神を封印したまさにそのとき、足止めとなって邪神の猛攻を食い止めていたエニは結局その場で力尽きて命を落とした。そのとき言われた。
「貸し一つ、じゃからな。次に会うときは。余と、そなたと。もう一度……」
で、その次の銀河帝国の世界にもエニは現れたわけだが、そこでは銀河帝国の皇帝というやつに捕まって洗脳・改造されてしまい、今度は敵として出てきた。そんときの魔改造エニは手加減してどうにかできるような相手ではなかったので、しょうがないから当時乗っていた宇宙戦艦のエネルギー波動砲で惑星ひとつもろとも吹っ飛ばした。あれで死んだんだと思う。改造されて半分機械化していた肉体はさっき見た限りもとに戻っていたし、それで間違いないだろう。
「忘れてはいないけど。もう一度決着を付けろって話なら、あれでもういいじゃんか。もう一遍惑星ごと吹き飛ばされたいのか?」
「あれはノーカンじゃ。従って、貸しはまだ残っておる勘定じゃの」
ツンとした顔でもってだいぶ勝手なことを言い出した。
「具体的にどうしろって言うんだ。戦いとかはもう懲り懲りなんだけど、俺」
あと、いい加減コンビニ行ってコーヒー買って戻らないとまずい。いつまでも公園で異世界人と立ち話を続けているわけにはいかない。俺は真面目に受験生をやっているのである。
「そなたの命を余に寄越すがいい。永遠に」
「俺の命は一つしかないんだよ。お前のと違って。俺と殺し合っても勝てないのはもう分かってるんじゃないのか、お前だって」
「そういう意味ではないわ。うつけもの」
そう言うが早いか、エニは突然俺の体に正面から抱き着いてきて。
「んっ……」
唇を奪われた。こちらは反応が遅れた。動きに害意も殺気も無かったもんで、つい。そして、深く。さらに奪われる。
「……ふっ。どうした、三界の英雄が。形無しだな」
ぽかーん。
「それでは、今日のところはこれで。余は今宵の寝床を確保しに参る」
どこへ?
「この世界にも魔物がおるであろう。そやつらから金品を得、路銀とする」
えーと、あいにくこの世界にそういうのはいません。彼女の生まれた世界と、邪神の居た世界はどっちもそのあたりは共通だったんだが。
「む。そうなのか。ならばいずこなり荒野など探して、そこに城でも建てるとするか」
えーと、あいにくこの世界にはそういう場所もほぼありません。少なくとも大阪ではまず無理である。
「では余はこれからどうすればよいのだ?」
「俺が知るか」
「やむを得ぬ。汝に余とふしどを共にする光栄を許そうぞ」
「悪いけどうちペット禁止なんで」
実は俺は実家を出ていま予備校の寮に住んでいる。犬猫はもちろん、人間の女の子の姿をした相手を連れ込むなぞ絶望的に不可能である。と、まだ抱き着かれたまんまだから分かったのだが、エニのお腹からくぅぅと鳴る音がした。
「……お前もしかして、寝る場所のあても飯のあてもなしに、身一つでこの世界に渡ってきたの?」
「そうだ」
大威張りしているが、総合するに現状彼女の存在と立場は魔王というより野良猫に近い。
「しゃあない。とりあえず今この場の食い物の都合だけはつけてやる。来い」
見知らぬ他人ではない。それくらいのことをしてやる筋合いはあった。なので、コンビニに連れていく。なお、現在の服装は肌に密着ぴっちりスタイルではないので、コンビニに入ったくらいでそうまで不審の眼で見られることはあるまい。
「機能性の高い構造を持った商店じゃの」
セボンイレボンの一つくらいでいちいち有難がらないでほしい。こっちが情けなくなってくる。
「ほれ」
あんぱんとパック牛乳を買って、渡してやった。俺にもそんなに余裕があるわけではない。空き時間にバイトができるような立場でもなし、親の金で生きているのである。
「今夜どうするんだ、お前。もういっぺん言うけど、俺は面倒見れないぞ」
「さっきの公園に隠し家を建てて、そこで寝よう。当座はそれでなんとか凌ぐ」
隠し家というのは彼女の世界にある魔法の一種である。一晩で消えてしまう魔法のコテージみたいなものを作り出す。魔物が近くを通っても気付かれない。冒険の旅の最中とかに、一時的に使うには便利。長期間それでずっと暮らせるというものではないが。
「じゅー。それともう一つ」
牛乳をすすりながら喋るな。
「さっきの小娘だが」
外見上はエニの方が小娘度合いは高いのだが、それはおおむね俺のせいなのでそこには突っ込まないでおくことにする。
「仲が良さそうだったな? 随分と」
「……うん、まあ」
「仲が良さそうだったな? 随分と」
一言一句繰り返されても。
「まあよい。英雄は色を好むと古来より申すからな。余は寛恕して進ぜる」
寛恕して進ぜる、じゃねえよ。勝手にそこに割り込もうとするな。
「……って。もうこんな時間だ。俺は予備校に戻らにゃならん。そんじゃな」
「ああ。また、遠からぬうちにな」
で、自習室に戻ったら当然紬に変な顔をされた。
「どこまでシュークリーム買いに行ってたの……?」
「いやあ、お気に入りのやつが売り切れててさ。しょうがないから三軒先のコンビニまで。ははは」
「……変なの。だめだよ、予備校生があんまりほっつき歩いていたら」
先が思いやられる。俺はそう思った。
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