三界渡りのシキ

きょうじゅ

本編

魔王

第1話 魔王襲来

 気がつけば、18歳で春だった。この大阪の地に次の冬が来る頃もう19歳になるので、つまり人生に不測の事態がなければ俺は今頃京阪大学の医学部に通っていたはずだったのだが、人生に各種不測の事態がなくもなかったのでいまのところ予備校生をやっている。


炎谷ぬくたにくん」


 予備校生。もっと露骨に言えば、浪人。野球はやらないがイチローである。高校の一年目やら二年目やらに学校へ行かなかったり行けなかったりしていたために退学処分を喰らってしまった俺は、しかし高卒認定試験は一発で全科合格し、その後京極医進きょうごくいしん予備校に籍を置く身となった。


「ねぇ、炎谷しきくんってば。また頭の中で英単語のおさらいしてるん? そりゃあたしたち二人とも予備校生なんだから勉強は大切だけど。こんな二人きりのデート中くらい、あたしのことも見てほしいかなー、なんて。思うわけですけど。どうなん、そのへん?」

「あ、うん。ごめん彩藤さいとうさん。なに?」

「なにじゃないよ。あと、つむぎでいいってば、識くん。他人行儀やん、苗字で呼ぶのはさ」


 人生、これまで色々あった。本当に色々あった。俺の主観時間でここ数年分の出来事を小説で文庫本にしたら丸三冊分になると思うが、なんにせよ今の俺には通うべき学び舎があり、そして慈しむべきガールフレンドという存在がある。つまり俺の彼女、ガールフレンド、彩藤紬。出会ったのは予備校に入ってからで、つまりこの春のはじめのことだが、もう既にいい感じに色々進展しつつはあって、今日もこれからこの場(予備校近くの公園のベンチ)で彼女の手ぐらいは握ってもいいかな、なんて思っ


「シキィィィィィィィィィィィ!」


 ていたところで聞き覚えしかない叫び声を聞いた俺は、咄嗟に彩藤さ……いや紬の肩を右腕でぐっと抱き寄せ、


「し、識くん!?」


 声のした方に伸ばした左手で≪ゴッドプロテクション・フィールド≫を張った。その左手の先で、地獄の業火のごとき爆炎が炸裂し、俺の≪ゴッドプロテクション・フィールド≫を侵食していく。そして、その爆炎が割れるその先から、すっと姿を現したのは真っ赤な髪を束ねて背中まで垂れ下げ、肌に密着する青と黒の衣装をまとい、その上同色のケープまで仰々しく纏った、でも小柄な姿の少女。額の真ん中には銀色の菱形の、紋章のようなものが刻印されている。


「え? 誰? なに!? ど、どういうこと!? どうなってんのこれ!? 映画の撮影!?」


 俺は紬の肩に回している方の手を使い、今度は魔法を使った。幻惑の魔法。たちまち、魔王とその爆炎は彼女の認識のうちからは排除された。


「シキ! 三界渡さんかいわたりのシキ! ここで会ったが、四界目! 今度という今度こそは、この魔王エニグマの爆炎の消し炭にしてくれる!」

「し、識くん……そんな急に……あの、その、そういうこと、その、してもええけど、ちょお待ってぇな、心の準備とか、あの……」


 そして幸いなことに周囲にほかの人間はいないようだった。実は俺の気付いていない場所にいたけど既に消し炭になっている、という可能性もないではないがそれは考えないことにする。


「アイテムブック!」


 アイテムブック、というのも魔法の一種である。俺は空間中に出現した魔法の書物の一ページを開き、そしてその「ページの中から」、『フリーザー』と呼ばれる銃を取り出した。これは銀河帝国文明の禁断の科学の産物で、その銀河帝国がある世界の中で最強の武器とされていたものだ。それをエニグマに向け、容赦も遠慮もしない、左手で引き金を引いた。


「あっ」


『フリーザー』は冷凍光線を放つ銃ではない。対象の持つ熱とエネルギーを一瞬で奪い取る作用を持っている。エニグマは氷の彫像と化し、彼女が放出していた爆炎はまもなく宙に散って消えた。やれやれ、である。ひとまずは解決。一時しのぎだけど。そして二分後。


「あの……彩藤さ」

「紬だってば」

「……紬。その……手、繋いでもいいかな?」

「さっき手繋ぐよりすごいことしてこなかった……? 言うことの順番、おかしくない……? うん、でも、ええよ。つなご。手」


 俺は紬と指を絡ませ、平穏な世界における平穏な時間と、それがもたらす幸福に浸る。


「でも、そこにある変なオブジェ、なんやろね? なんか、本物の人間が凍ってるみたいによくできてるけど」

「さあ。この公園の新しい季節の飾りつけか何かじゃないかな?」


 さて。彩藤さんはともかくとして、知ってしまった皆さんのためには解説をしよう。


 俺は炎谷識。兵庫県出身、大阪育ち、18歳。


「……ふふ。男の子の指先って、温いね」



 今から三年ほど前。俺は突然異世界に召喚され、勇者となって魔王と戦うように命じられた。


「うん。紬の手も、あったかいよ」


 レベルを99まで上げ、勇者の使える魔法の種類を全部極めた俺であったが、美貌の女魔王エニグマは強大なる大魔導士だった。あと、そこで凍ってるちんちくりんと違って、当時はばいんばいんだった。俺は結局エニグマと相打ちになり、世界の平和と引き換えに死んだ。


「大学落ちたときさ。人生、なんかもうおしまいなんかなーって思ったけど」


 ところが、死んだ俺はそこからまた別の異世界に転生させられ、そこで今度は世界を滅ぼさんとしている邪神との間に死闘を繰り広げることになった。


「生きてて、よかったなーって思うわ」


 それは相打ちとかにはならず、邪神を封印して俺が勝利を収め、そして地球に帰してもらえるということになったのだが。


「だって……識に会えたもん」


 でも地球に帰ってみたら、今度はなんか、前にクリアしたことのあるロールプレイング・ゲームの世界に引きずり込まれた。『銀河帝国超帝伝』という、ゲームとしてはだいぶ駄作なのだが、未来の世界でスペースオペラで宇宙戦艦がどーんと出てきて、みたいなやつだ。俺はそこで銀河帝国皇帝を打倒し、今度という今度こそ、地球に帰還した。で、帰ってきたら高校からの退学通知が届いていたのである。


「うん。俺もそう思う。紬に会えたから。帰ってきて、良かったって。そう思ってる」

「帰ってきた? どっか行ってたん?」

「うん。ちょっと羽合はわいまで」

「なんで鳥取やねん。アホか」


 レベルは今でも99だし、魔法も全部使えるし、邪神と戦うために覚醒させられた異能とかも全部そのままだし、ついでに言うと銀河帝国からも山ほどのガジェットを持ち帰ってきた俺は、まず間違いなくこの地球で最強と言うべき存在になっているのだが。


「もう、懲り懲りなんだよ。戦いとか、使命とか、世界の運命とか、そういうのはさ」

「ん? いまなんて言ったん?」

「ううん、なんでも」

「……そう?」


 とにかく日々を平穏無事に暮らしたい。そして真面目に勉強して医者になりたい。ただそれだけが、今の俺の願いとするところなのである。


「それじゃ、お昼休みも終わるし。午後の講義始まるし。戻ろっか」

「そうだね」


 俺は紬と連れ立って、予備校に戻る。そのとき、紬は氷の彫像になってるエニグマの方を振り向いて、こう言ったのだが俺には聞こえなかった。


「……あなた、やっぱさっきの……映画の人……いや、ううん……? 火、とか噴き出してたよね……? まるで本物みたいだったけど……あれは白昼夢か何かだったのかな……?」

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