第2話
第2話 人魚島へ
学園の寮の廊下を歩くサナの手は、まだ震えていた。アレンの腕を必死に掴んで、声を震わせながら言った。
「お願い……話を聞いて。あの手紙、きっとセイからなの」
アレンはしばらく黙ったまま、サナの瞳を見つめた。その瞳は涙で光り、決意と不安が入り混じっている。冗談で返せるような空気では到底なかった。
「セイって……さっき言ってた君の幼馴染か?」
「うん。十年前に引き離されてから、ずっと会えなかった。でも、生きていたの。しかも、人魚島に……」
サナの言葉に、アレンは一瞬、夜の海を見つめた。冷たい潮風が頬を撫で、塩の匂いが鼻をかすめる。記憶の底から、かつて聞いた噂が浮かび上がった。
――人魚が棲むとされる禁じられた島。近づいた船は帰ってこない。怪物に喰われる、歌声に魅了されて溺れる……。
誰もがただの伝承だと笑うが、アレンには違和感があった。学園の記録では、その島に関する情報だけが意図的に欠けているかのように見える。
「危険だな……」アレンは短く呟く。
「でも、行くしかないの。彼を助けたいの、セイを……」サナの瞳は不安と希望で揺れていた。まるで光と影が入り混じったようだ。
その時、背後から声がした。
「なに話してるんだよ?」
振り向くと、アイネとコウキが立っていた。二人とも買い物帰りらしく、手には荷物を抱えている。好奇心の混じった表情でこちらを見ていた。
サナは少し迷ったが、意を決して手紙と過去の話、そして人魚島のことを説明した。
二人は黙って聞いていたが、コウキが先に口を開いた。
「人魚島……聞いたことあるぞ。漁師の間じゃ“近づくな”って言い伝えが残ってる場所だ。モンスターも多いって話だ」
「学園でも一度話題に出たことがあるわね」アイネが続ける。「でも、先生たちは“ただの迷信”だって言っていた」
アレンは二人の視線を受け止める。危険を知りながらも、真相は誰も知らない。その沈黙を破ったのはアレンだった。
「行こう。見捨てるなんてできない」
その言葉には迷いがなかった。過去に守れなかった人々の影が、脳裏をよぎったからだ。
アイネは小さく息を吐き、少し呆れた口調で言った。
「……まったく、危険だとわかってても結局飛び込むんだね、アレン」
でも否定はしていない。彼女の目には少しの心配と大きな覚悟が混じっていた。
コウキも少し微笑みながら頷く。
「俺も手伝う。……まぁ、楽しそうだしな」
その口調には冗談が混じっていたが、瞳には本気の決意が宿っていた。
サナは両手を胸に当て、涙を浮かべながら言った。
「ありがとう……みんな」
夜の海は静かに波を打つ。潮の香りと月明かりが海面に反射し、淡く揺れる。向こうに、人魚島の影が見える。あの小さな島の向こうに、セイが、そして未知の試練が待っているのだ。
サナは深呼吸をした。胸の奥で固く決意が燃え上がる。
「絶対に、セイを助ける」
アレンは彼女の背中を軽く叩き、力強く言った。
「よし、準備はいいな。無事に帰ってこよう」
アイネは腕を組んで海を見つめた。「こんな夜に、海を渡るなんて……危険すぎる。けど、行くしかないわね」
コウキは笑いながらポケットに手を突っ込み、夜風に髪をなびかせる。「俺は嫌いじゃないぜ。危険は楽しいほうがいい」
サナは手紙をぎゅっと握りしめる。海に向かう足取りは自然と軽くなったが、胸の奥には緊張と不安が渦巻いていた。十年間会えなかったセイは、まだ無事なのか。もし生きていたとして、どんな姿になっているのか。
月明かりに照らされた海面は、不気味なほど静かで、どこか神秘的だった。潮風に乗って、かすかに波の音以外の何かが耳に届くような気がした。
「行こう」アレンが先頭に立ち、砂浜を歩き出す。サナはその後ろ、手紙を握りしめたまま続く。
アイネとコウキもそれぞれの覚悟を胸に、アレンとサナの後ろを歩き始めた。
波打ち際を進むたびに水が足首に触れ、冷たさが体に染みる。サナは思わず足を止め、手紙を見つめた。
――元気ですか?幸せに過ごせていますか?私のことは忘れてください。君にはいい人がいるから、僕はさせてあげられないから。幸せになってください。
涙が止まらない。けれど、その涙の奥には強い決意があった。十年ぶりに再会できる希望が、胸を熱くさせている。
海は静かに広がり、月光の下に人魚島の影を浮かび上がらせる。島に何が待つのか、それは誰にもわからない。
それでも、彼らは進む。
彼女の失われた時間を取り戻すため、そして、大事な人を助けるために。
少年少女たちの運命は、この夜、再び大きく動き始める――。
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