第2話 「女の子になった俺は、俺のいとこにもなった」

 家を飛び出した俺は、11時過ぎの人通りの少ない住宅街を駆けている。しばらくしたところで速度を緩め、歩きへと切り換えた。


「もう、大丈夫かな……いたた……」


 胸がすっごい痛い……。走ってる時に、その……凄い揺れてたからなぁ……。


 我ながら恥ずかしいが、痛がってる場合では無い。ここまで来たのは良いが、この後どうするかだ。


 家に戻るわけにもいかないし、友達でも頼るか?いやいや、あいつらにこの姿を見られるくらいなら、大人しく帰った方がまだマシだ。


 家族も友達もダメとなると、頼れそうなのは──待て、俺。あの子を巻き込むなんてとんでもない。何考えてるんだ全く。


 でも、他に当てがあるかと言われると……。


 ──そんな、頭を悩ませている、その時だった。


「あっ、叶多くん!」


 ……は?そよ風に揺れる風鈴のような、甘く優しさが感じられる、聞き馴染みがありすぎる声が背後から聞こえた。


 正直、後ろを見たくなかった。もし見たら、色々とここで終わりを迎える気がした。


……いや、ここでやらなきゃ怪しまれるだけだ。それに、後ろにいるのは赤の他人かもしれない。きっとそうだと思いたい。


 決意を固めた俺は、その場でゆっくりと振り返った。


 心臓が一瞬止まった気がした。 目の前にいるのは、誰よりも会いたくて、絶対に会いたくなかった人──俺の彼女、“琴波”だった。


 う、嘘だろ?何でこんなにも都合悪く……。顔も身体も、全部見られた。女の子になった、俺のこの姿を。俺、もしかしなくとも終わった……?


「あれ?叶多君じゃない?人違い?」


 琴波は首を傾げてそう言い、こっちを見つめてくるだけだった。


 え?何でバレてないの?


 ……あっ……そりゃそうか。俺は今、“女の子”なんだもんな。気付かれようが無いのか──ん?じゃあ、何で俺だと思われたんだ?


 そんな俺の疑問を察したように、琴波はすぐに答えてくれた。


「服が叶多君のと同じだったから話しかけたんだけど、おかしいなぁ」


 あー、なるほど。そういう事だったか。俺はホッと胸を撫で下ろした。この感じなら、何とか乗り切れそ──


「でもそれ、私が叶多君にプレゼントしたやつじゃ……どうして君が……?」


 前言撤回!ヤバいじゃん!ホッとしてる場合じゃね!よりにもよって、一番ダメなやつ着てきたのかよ俺!


 このままじゃ、女の俺も男の俺も、どっちも俺の浮気相手として酷い目に遭わされる!ややこしいな!


 と、とりあえず、このまま黙ってるわけにもいかない!俺は、消え入るような震え声を捻り出し、咄嗟に適当な嘘を吐いた。


「お、俺……じゃなくて、私はえっと、叶多君のいとこの……かなえ……そ、そう!叶!夏休みの間だけこっちに来てるの!よろしくね!」


馬鹿か俺は。いとこだからって名前が一文字違いなわけないし、俺の服を着ている理由にもならない。こんな露骨でベッタベタな嘘、いくら琴波でも信じる訳──


「あー、なるほど!そう言う事だったの!じゃあ納得!」


 え?信じた?信じたっ!?こ、琴波!?マジかよお前!もうちょっと人を疑う事を覚えろこのお人好しが!てか、いとこだったら着てていいのかよ!


「私は音無 琴波おとなし ことは!叶多君にいとこがいるなんて知らなかったや!こちらこそよろしくね!」


 ……まぁ……そんな素直な琴波が、俺は大好きなんだけどさ。


 このお説教はいつかするとして、信じてくれたならもう、これで乗り切るしかないか……。


「ところで琴波……ちゃんは、今からどこへ行くの?まさか、叶多……君のところじゃないよね?」


 慣れない女言葉を巧みに扱い、琴波に聞いた。俺の元を目指しているなら……非常にマズイ。


「うん!今日一緒に映画見に行くって約束してて、ちょうど迎えに行くところだったの!」


 待て待て待て!そうだった!色々あり過ぎてすっかり忘れてたが、今日、デートの日じゃねえか!ガチでマズイッ!


「今話題の『愛と絆の旋律メロディ』!ずっとずっと楽しみにしてて、今日は10時間睡眠しかできなかったよ!」


「ままま待って!!」


 このままじゃ琴波は、俺に会いに家に行ってしまう!考える前に、口から言葉が溢れた。


「か、叶多君は風邪引いちゃって!それで私、琴波ちゃんに伝えてくるように頼まれて!だから今日のデートは中止!……だって……」


 罪悪感で押し潰されそうだ。俺は今、自分の彼女を騙してる……それも二回目だ。そもそも、流石に二回も騙されるわけ──


「……え?そう……なの?」


 ……信じるかぁ……。


 俺の言葉を引き金に、琴波の笑顔が一瞬にして、崩れ落ちた。煌めいてた瞳は潤んでいき、表情も曇っていく。さっきまでの元気なあの姿はもう、見る影もない。


「そっか……そっかぁ……。叶多君、風邪引いちゃっんだ……」


 ごめん、琴波。俺が女の子になったばっかりに……。


「ずっと、ずっと……楽しみにしてたんだけどなぁ……」


 琴波の肩が小さく震えているのを見るたびに、胸を締め付けられる。


「ありがとう、教えてくれて……。叶多君に……お大事にって、伝えてあげて……」




 ……何をやってるんだ、俺は。琴波を泣かせてまで、守りたい“秘密”って何だよ。例えどんな姿になっても、俺は琴波の彼氏なんだぞ。


 だったら──やるべき事は、ただ一つだ。


 俺は無意識のうちに、琴波の手を握っていた。


「ねぇ!琴波ちゃん!良かったら一緒に行かない!?私を、叶多君の代わりだと思って!」


 琴波からしたら初対面の人間だが、俺にはそんなの関係ない。ただ琴波の目だけを真っ直ぐと見据えて、静かに返事を待った。


「え……?い、いいの……?私、叶ちゃんと友達になったばかりなのに……」


“友達”、か……。胸がちくりとした。でも、今はそれでいい。


 俺は、陰りを帯びかけた表情を吹き飛ばし、とびきりの笑顔を向けて、元気良く言い放った。


「もちろん!だって俺は、琴波の彼──」


 そこで、お喋りな口を慌てて閉じた。あっぶな……あとちょっとで全部ネタバレするとこだった……。


 まさか、今のでバレてはないよな……?そう思いながら、俺は恐る恐る、顔を上げた。


 その先にあったのは──琴波の、無邪気で、とても明るい、可愛いらしい笑顔だった。


「うん!行こう!」


 琴波は俺のちっちゃい手を握り返して、駆け出した。俺もその後に続くように、足を動かす。今日は、歩幅を合わせなくて良さそうだ。


 俺と琴波の友達デートが、今、始まった。

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