第9話《言った覚えはない》

 篠垣の姿をした《死神》は、非力な子どもの身で自分を罠に嵌めた廻と祐奏に、感心していた。


「loin……遠すギる……《結界》も無理デすカ。Comme prévu! 《器》だけノコとはありマスね」


 篠垣の声とは全く違う中性的な声で呟き、立ち上がった。


「痛みを感じマす。もう──éclipse lunaire totale、終わって、シまう」


 天窓から赤い月の一部が光に変わるのが見える。


「デは、《傷跡》を残すpolicyで」


 そう言いつつ、篠垣は向きを変え、2階への階段を上がり始めた。


  * * *


「逃げるよ」


 葦原 廻はそう言って、藍坂 祐奏の手を引いた。祐奏は数分前にタクシーを呼んでいる。仍も安全圏に逃れた以上、警察や消防に連絡するだろう。

 篠垣からは人知を超えた力を感じたけど、ここで時間を稼げば、多分誰かは助けられると思う。ただ──。


「祐奏」


「なんですか、お館様。お怪我はないですか」


 走りながら、祐奏は返事を返してきた。


「君が来てくれなかったら、僕は死んでいたかもしれない。ありがとう。でも、君は藍坂家の長女で、大切な跡取りだ。こんなことは──しちゃダメだ!」


 そう訴えた廻に、祐奏は少しだけ微笑んだ。


「お館様が言われたいことは、わかります。でも、さっきわたしが『ついて行きます』と申し上げたら、『危険だから、ダメだ』って、拒否なさったでしょう? わたし、お館様と言い合う時間がないと思ったの」


「君はそこまで読んで……なら、なおさらダメだ!」


「なぜです?」


「そんなことを考えられる人は、ここで死んではいけないよ。僕の周囲では、大切な人たちが亡くなることが続いた。僕は──《死神》なのかも。君は逃げるべきだ!」


 祐奏には死んでほしくないという気持ちが沸き上がり、口調が強くなった。


「藍坂は武士の家です。自分にできることがあるのに、そこから逃げるのは恥です」


 穏やかな口調だけど、断固とした拒絶だった。


「僕はっ、君が死ぬのは──!」


「そんなことを話している時間は、もうないみたいですよ」


 言いかけた廻を一言で止める。藍坂姉妹の寝室として提供された部屋まで戻ってきたからだ。部屋の中には、仍と祷、歩奏がいて、窓を大きく開いたところだった。


 そして、廻たちの後ろから走る足音が鳴り響いた。


(もう来たのかッ!)


 廻は祐奏を部屋に入れると、最後に自分が入って鍵をかけた。気休めにもならないだろうけど、時間稼ぎでできることはせねばならない。


「仍っ! 祐奏を連れて飛び降りて。すぐ正面玄関にタクシーが来る」


 祐奏は「やられた」という顔をした。仍に首根っこを掴まれたからだ。


「祐奏さん、奥様からも貴女の命を第一にと言われています。いっせいのせ、で飛びますよ」


 大人の仍の方が跳躍力はある。手を引いて飛び、かばうように抱きしめて、中庭に落としたクッションに飛び降りた。窓の外を見下ろしながら、廻は言った。


「祷は……自分でなんとかできるよね」


 妹・祷は運動神経抜群。体育は「5」しか取ったことがない。廻は祷なら問題ないだろうと思っていた。


「もちのロン。お兄、見てて!」


 祷は窓の外に飛び出すと、近くの木の枝につかまり、鉄棒の逆上がりのように一回転。勢いを付けて、近くの枝に飛び移った。


 その瞬間、時間が一拍止まったように感じた。次の瞬間、扉が蝶番ごと破壊され、篠垣がノブごと扉を投げ捨てた。


「──歩奏、飛べるかい?」


「正直、超怖い。飛んでも飛ばなくても死んでしまいそうよ」


 窓縁に立ち、下を見た歩奏は震える声で返した。殺人鬼に殺されるのと高所からのダイブ。どちらも絶対に嫌だった。


「そっか。じゃあ──行くよ」


 篠垣が部屋に入ってくる。廻は窓に向けて走ると、歩奏の腰に手を回して、そのまま飛んだ。


「ちょ……ふぇぇ、心の準備がっ」


 動揺した歩奏の声が聞こえた。

 空中で姿勢を入れ替え、自分が下側になるように落ちる。


(ちょっと──距離が足りないかな)


 2人で跳んだため、初速が分散し、布団の中心まではあと一歩足りない。廻は空中で角度を変え、歩奏を背中越しに放り投げた。


「歩奏、歯を食いしばって」


 そう言って、歩奏を空中で投げた。背中向きで落ちるように、角度を計算したつもりだったけど、なんとか、布団の上に落ちてくれてほっとする。歩奏を投げた反動で方向転換し、直後、廻は中庭の植え込みに落ちた。


「──お館様ッ!」


 廻が歩奏を助けるために、空中で彼女を投げ、植え込みに落ちたのを見て、祐奏は感情が爆発してしまった。仍の手を振りほどいて、植え込みに走る。


(ご自分の命がかかっているのに、歩奏を優先するなんて──!! どうして、貴方はそんなに、人を守るの?)


 それは祐奏にとっては、自分の命を助けられるより、重いことだった。

 《名家》の当主である彼が、藍坂家の跡取りではない妹のために命をかけてくれたことは《恩》だと思う。胸がじんわりとして、祐奏は涙をこらえきれなかった。


(お館様が時間を稼いでくれなかったら、2階で死んでいたかもしれないのに)


 つまり、命を2回助けられたのと同じだと、祐奏は心の中でカウントした。


「お館様っ! お館様っっ!!」


 自分でもびっくりするほど、声が上ずった。涙が出たことや、体が震えていることにもびっくりした。篠垣と対峙しているときでも、そんなことはなかったのに。


 植え込みに落ちた廻は、丸く刈り込まれた植え込みの中心に落ちていて、下敷きとなった葉っぱや枝がたくさん折れていた。

 

「祐奏」


 廻は痛がりつつも、笑顔を浮かべた。


「ははっ、めり込んで、起きられない。ごめん、手伝って」


 祐奏が手を差し伸べて、廻は立ち上がった。


「ありがとう」


 立ち上がった時に、軽く抱きしめられ、祐奏の鼓動は大きくなった。そんな彼女の気持ちには注意を払わず、廻は飛び出した窓を眺めていた。祐奏も廻が何に注意を払っているのか、瞬時に理解した。


「あ、あの……飛び出して、きませんね」


 頬を染めつつ体を放して、祐奏が呟いた。


「うん。篠垣さん──《死神》が追ってくると思った。そうしたら、中庭用の高圧洗浄機で放水しようと思っていたんだけど……」


 あちこち怪我しつつも、みんなのために戦うことを考えている廻を見て、祐奏は愛おしさが抑えられなくなってしまう。思わず、もう一度、強く抱きしめ返した。


「ゆ、祐奏っ。どうしたの?」


「急に、こうしたくなっただけです。いけませんか」


「心配してくれたんだね。ありがとう」


 照れて硬直しつつ、廻はおろおろしながら、祐奏の頭をそっとなでた。


「僕は大丈夫」


 そう言って、体を放す。


「あいつが追ってこないなら、それはそれで構わない。タクシー、来たみたいだし」


 正面玄関を指さした。


「祐奏はタクシーに乗って、藍坂家に戻るんだ」


 祐奏は一拍だけ考えて、「タクシーに、行きますね」と頷いた。反発されると思った廻は拍子抜けする。


(お館様は、タクシーに乗るつもり、ないのね──)


 タクシーは5人乗り。仍、祐奏、歩奏、祷が乗れば、もう乗れない。廻がそう思っていることが、祐奏には見て取れた。


「僕も後から行くよ。祐奏は……走るんだ!」


 祐奏は頷くと、タクシーに向けて走った。祐奏がたどり着くと、助手席に仍、後部座席に歩奏、祷が乗っていた。


「お兄は!?」


 祷が心配を顔全体に浮かべて、祐奏に質問した。


「奥様を助けに、お屋敷に戻ったわ」


 廻からは何も聞いていなかったけど、彼ならそうするとの確信があった。そして仍を見て言った。


「仍さん、すぐに車を出して、お父さんには連絡しているから、藍坂家に行って」


「なら、車に乗ってください。仍はお館様を連れ戻します」


 仍が車を降りて言った。祐奏は首を横に振る。


「祐奏さん、奥様から、貴女のことも言われています!」


 祐奏は「タクシーのところに行く」ことは了承したけど、タクシーに乗ると言った覚えはない。自分の到着を待つことで、仍たちが移動しないと困ると思って、ここに来ただけだった。


「──お姉ちゃん、行きなよ」


 歩奏が扉側に身を寄せて言った。泣きそうな目で祐奏を見て、頷いた。


「歩奏さんっ! なんてことを」


 仍が驚いて声をあげた。


「仍さん。お姉ちゃんは、お館様の足手まといになる人じゃないわ。それに……葦原の血も、藍坂の血も、ここにある。だから優先順位を間違えているのは、仍さんの方よ。祷ちゃんも、降りてはダメ。車を出して」


 歩奏は、仍と祷に強い意志を向けた。仍は苦渋の表情が深くなった。


「数分以内に警察と消防も来るわ。でも、その数分で変わることもあるかもしれないから。わたし、後悔したくないです。仍さん、お願い」


 祐奏の揺るがない意志を向けられて、仍はたじろいだ。


(──多分、何を言っても説得するのは無理。押し問答しているうちに、篠垣さんが来たら、私は奥様の言いつけを何も果たせなくなってしまう)


 そう確信した。助手席に戻り、運転手に言う。


「車を、出してください」と。

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