Spicaエッセイ集──記憶と都市をめぐって
Spica|言葉を編む
第1話:モノポリーとマックの記憶
お盆が過ぎると、ふと昔のことを思い出す。
墓参りの帰り道に見かけた風景が、記憶の奥に眠っていた場面を呼び起こすのだろう。
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この夏、久しぶりにマクドナルドに入った。考えてみれば、もう一年以上は口にしていなかったはずだ。
カウンターでチーズバーガーを受け取った瞬間、なぜだか懐かしいざわめきが胸に広がった。
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思い出すのは、アメリカ留学時代の1995年、96年のことだ。
マクドナルドが展開していたモノポリーの懸賞に惹かれて、私は昼も夜もマックを食べ続けた。1カ月近く、ほとんど狂ったように通い詰めていた。
あのとき、私は自転車を狙っていたし、スポーツカーが当たればどうしようかと本気で夢を見ていた。
けれど訪れる店内はどこも薄暗く、不穏な雰囲気が漂っていた。安価な食事を求める人々、時にジャンキーの姿もあり、私はいつも “Here” でなく、“To Go” で済ませていた。
味は同じはずのチーズバーガーが、店内では、なぜか美味しく感じられなかったのは、その空気感のせいだったのかもしれない。
それでも、あの頃の私は熱狂していた。
マックモノポリーのゲームピースをめくるたびに、小さな紙片の上に未来を託していた。
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思えば、マクドナルドはもっと前から、私の記憶に刻まれている。
小学生のころ、近所の駅に初めてマクドナルドができ、友人の誕生日パーティをそこで祝った。マックの紙帽子をかぶり、目いっぱいポテトを食べ、笑い声に包まれたあの日の明るさ。
中学時代には、100円バーガーが登場し、飽きるまで食べ続けた。高校時代は、仲間のたまり場。放課後に立ち寄れば、必ず誰かがいた。
私にとってマックは、清潔で、楽しく、憧れの象徴でもあった。
だからこそ、アメリカで見たマクドナルドの姿には戸惑った。同じ看板の下なのに、日本とアメリカで、まるで別の顔をしていた。
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そして今。
かつては一か月、昼夜マックを食べ続けていた自分が、いまは一年以上ぶりに一口かじるだけになっている。
それでも、チーズバーガーを頬張ると、不思議なことにすべての記憶が蘇ってくる。
誕生日のざわめき
100円バーガーの香り
モノポリーの小さな紙片に託した夢
モノポリーで夢見たスポーツカーは、もちろん当たらなかった。けれど、その夢を追いかけて食べ続けた日々は、今も鮮やかで、愛おしい。
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