1-8


 ケネスさんが指さした先には、驚くような光景が広がっていた。

 日当たりの良い小高い丘の上で、二十頭を優に超えるドラゴンたちが、のんびりと日向ひなたぼっこをしている。

 ヴォルテール様のドラゴン、カイルほどではないにしろ、王宮では見たこともないくらい大きなドラゴンもちらほらいた。


「凄い……! あの大きなドラゴンはサーペンティン種でしょうか? へびみたいな模様が入っていて凄く綺麗……! あっ、あっちのおなかを見せているのは、もしかしてザルデル種!? 背骨のところにルビー色の六角形状のとっがあるというのは本当だったんですね……! お父様のスケッチで見た通りだわ」


 ついついはしゃいでしまう。でも、どうか許してほしい。

 だって今まで見たことのないドラゴンが、あちこちで普通に生きているんだから!


「ミルカ嬢は随分お詳しくていらっしゃる! 見たこともないのによく分かりましたね」

「父が描き残したスケッチや、ドラゴンに関する本ばかり読んで育ったんです。だから、本にっている種族の特徴は全部頭に入っていますが……。飼育下のドラゴンと野生のドラゴンとでは違うでしょうし、油断しないように気をつけます」


 近づいて良いと言われたので、私たちは慎重にドラゴンたちとの距離を縮める。

 彼らはあまり警戒していなかった。私をちらりと見ると、興味がなさそうにそっぽを向く。

 興奮しているのはむしろブランカの方だった。きょろきょろと周囲を見回し、ドラゴンに近づこうとしては警告音を発して後ずさっている。

 相手のドラゴンは、だるそうにブランカを見やるだけで、若いドラゴンの仔に構ってやる気はなさそうだ。


「ブランカ、落ち着いて。大丈夫よ、私がいるでしょう」

「きゅう……!」


 ブランカは私の後ろに隠れると、そうっと顔を突き出して辺りを窺い始めた。子どものような仕草に、思わず笑ってしまう。

 ケネスさんもからかうように笑った。


「プラチナドラゴンの仔でも人見知り……いや、ドラゴン見知り? するんですねえ」

「王宮のドラゴンは、他のドラゴンと交流する機会がほとんどありませんから」


 私はまず、丘の一番高くて日当たりの良い場所に横たわっているドラゴンに目をつけた。

 ドラゴンは明確に順位をつける生き物だ。

 その集団で最も強い、あるいは美しいものが、一番大きなえさをとる。

 ザルデル種のそのドラゴンは、美しい赤い体色を持ち、長いゆうにくねらせて私を見つめていた。

 さすがに、出会ってすぐは触らせてくれないだろう。遠くから観察するだけにとどめておく。


「……いろつやは良い。目もにごっていないし、鱗に剝がれもない。爪は―― 」


 黒いかぎ爪は、表面が乾燥して剝がれていた。炎症を起こしているのだ。

 あれではものに爪を立てられないだろう。飛び立つ時に踏ん張りもきかないし、何より他のドラゴンと戦った時に負ける可能性が高くなる。

 別のドラゴンの様子もじっくりと見てみるが、爪に炎症を起こしているドラゴンは他にもちらほらいた。


「何か気づいたことはあるかね?」

「ひゃあっ!?」


 後ろから話しかけられて飛び上がる。ついでに足元のブランカも、背中のまくをばっと広げて、警告音を上げた。

 振り向くとそこには、一人のおじいさんが立っていた。

 しわくちゃの顔は日に焼けており、うちで働いてくれていたミカエルを思い出した。


「あ、あなたは……?」

「ここのドラゴンのめんどうを見ている、ギムリという。あんたは流罪されたお嬢さんだな」

「ミルカと申します。プラチナドラゴンの仔は後ほど王宮に帰す予定ですから、どうかご心配なきよう」


 ギムリさんの使い古した作業着には、縫い目のところに小さなメレダイヤがめ込まれており、日差しを受けてきらきら輝いていた。

 他のドラゴンたちは彼を警戒しておらず、むしろ翼の根元の鱗を震わせて上機嫌だ。


(ああ、メレダイヤを多く使うことで、宝石を節約しているのね! 宝石の量のわりに全身が輝いて見えるから、ドラゴンたちもこの人を受け入れているんだわ。こういう方法もあるなんて初めて知った……!)


 少しだけわくわくしている私をためすように、ギムリさんが言う。


「北方辺境のドラゴンたちを見てどう思った?」

「そうですね……。爪の炎症を起こしている個体が多いように見受けられます」

「それはドラゴンの生活習慣病に近い。完治は難しいのだ」

「ええ、仰る通りです。ですが北方辺境において、ドラゴンの爪がまんせい的に炎症しているというのは、まずいことではないのでしょうか」

「どうしてそう思う」

「まず爪に炎症が起こっていると、上手く飛び立てません。爪は翼を動かして飛ぶ力をたくわえる時に、体重を支える重要なしょですから」

「他には」

「私はまだ見たことがないので推測ですが、野生のドラゴンとそうぐうした際に、負けて負傷する可能性がありますね」


 ギムリさんは片眉を器用に上げて言う。


「ここにいるドラゴンたちは皆、飛行能力に優れたものばかりだ。野生のドラゴンに遭遇しても逃げきれる」

「確かに皆つばさの筋肉がよく発達している、素晴らしい個体だと思います。ですが」


 私はここへ来るまでの光景を思い浮かべながら続けた。


「クイヴァニールからここへ来るまでに、急峻ながんぺきそびえ立つ場所が多くありました。真っすぐに飛行するというより、岩壁を足場にしてじぐざぐに飛ぶようなじょうきょうが想定されます。その場合、炎症の起こった爪だと、岩壁を上手くることができず、反応がにぶくなるのではないでしょうか」


 ぎろり、とギムリさんが私を睨みつける。

 一瞬たじろいだが、踏ん張ってギムリさんを見返した。


「私は新参者です。もし私の仮説が間違っていたら、訂正していただけないでしょうか」

「……ふっ。間違ってはいない、かんぺきだ。ただ爪の炎症をりょうするにも、薬が―― 」

「あ、ここに『瑪瑙石』があります」


 私はバスケットから『瑪瑙石』――天馬の糞を取り出し、ギムリさんに見せた。

 ギムリさんはそれを見ると目を丸くして、驚いたように言った。


「あんたは、ここのドラゴンたちが爪の炎症を起こしていると知っていたのか?」

「いいえ。仰る通り、爪の炎症はドラゴンの生活習慣病に近いですから『瑪瑙石』が無駄になることもないかと思いまして、行きがけに拾って参りました」

「拾って……」

「はい。お近づきのしるしになればと思いまして」


 手のひらに収まるほどの『瑪瑙石』をギムリさんに差し出すと、彼の肩が震え始めた。


(怒らせてしまったかしら……!?)


 ひやひやしていると、ギムリさんがいきなり豪快に笑い出した。


「がはははは! 天馬の糞を土産みやげに持ってきた流罪人は、ミルカ嬢、あんたが初めてだ!」

「そ、そうなのですか」

「正直、これほど気のいた差し入れはない! 天馬はこの辺りには生息しておらんからな、なかなか手に入らなくて困っていたのだ」

「良かったです! でも、この量では少し足りないかも……」

「いや、これだけあれば今いるドラゴンの治療は可能だ。水とはちみつで伸ばして、すぎの葉を入れて爪にすれば良い」

「そんな調合方法があるんですね。王宮では『瑪瑙石』に水、セージと魚の鱗を混ぜていました」

「ああ、そりゃ古いやり方だな」


 確かに、このレシピは父の持っていた古い書物に載っていたものだ。

 使う『瑪瑙石』は少ない方が、多くのドラゴンに薬を行き渡らせることができるから、ギムリさんのレシピの方が良いだろう。


「野生のドラゴンは、爪の手入れのために、特殊な岩を使っていだりする。だがその岩はなぜか飼育下のドラゴンには使えなくてな。『瑪瑙石』にまさるものはない」


 そう言うとギムリさんは私を見てにやりと笑う。


「ヴォルテール様があんたをここにやった理由が分かった。ドラゴンに関する深い知見のある飼育人がしかったんだ!」

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