第14話 闇に蠢くもの。

王城を出たディランとアルノルトは、王都の街路を並んで歩いていた。


 華やかな石畳の通りは、先日の魔物襲撃の爪痕をまだ色濃く残している。崩れた壁、血の匂いの残る広場、焦げ付いた石畳。市民たちは怯えながらも日常を取り戻そうとしていた。




「……やはり妙ですね」


 アルノルトが鎧の籠手を鳴らしながら呟く。


「普通の魔物がここまで街に入り込むなど、本来ならばあり得ない。守備隊の目をどうやってすり抜けたのか……」




 ディランはうっすらと微笑し、視線を地面に落とした。


 闇魔法を練り、魔力痕跡を視認する術式を展開する。


 途端に、路地裏の石畳が淡く黒紫に光り、残滓が浮かび上がった。




「……やはりだ。仮面の魔族の魔力痕だな」


「……っ」アルノルトの眉が険しくなる。「本当に、あの噂は……」




 彼女の言葉は震えを帯びていたが、剣を握る手は決して緩まなかった。






その様子を遠くから見つめていたのは、王女セレナだった。


 王城の護衛に付き従われながらも、自ら街の視察に訪れていたのだ。




「……あの方が、闇魔法使いディラン」


 彼女は微かに唇を結ぶ。


 母ディアナ王妃や兄レオニール王子から話は聞いていた。辺境に追われながらも、今や村を守り、王都をも救おうとする異端の魔法使い。




 セレナの胸に浮かぶのは、不思議な畏怖と尊敬、そして淡い興味だった。






ディランが痕跡を追い、路地の奥に入った瞬間だった。


 闇から小型の魔物が数体、飛び出す。




「下がれ!」


 アルノルトが咄嗟にセレナの前に立ち剣を抜いた。鋭い閃光が走り、魔物の爪を受け止める。




「……無駄な足掻きだ」


 ディランは闇の刃を形作り、片手で魔物を切り裂いた。影が燃え散るように消え去る。




 戦闘は一瞬で終わった。


 だが残された痕跡は明らかだった――魔物は偶然現れたのではない。意図的に仕向けられた「試み」のように。




その夜、王城で開かれた小会議。


 王子レオニールと王女セレナ、王妃ディアナが揃い、ディランとアルノルトが事件の報告を行った。




「……間違いなく、仮面を被った魔族の痕跡です」


 ディランの低い声が広間に響く。


「奴は単なる魔物ではない。知性を持ち、意図的に魔物を操っている」




 レオニール王子の瞳が鋭く光る。


「……つまり、背後に人間の協力者がいる可能性もあるのだな」




「はい」アルノルトが言葉を継ぐ。「魔族だけで王都の防衛を抜けることは考えにくい。内部に案内役が……」




 会議の空気が一層重くなる。


 ディアナ王妃は長い沈黙ののちに呟いた。


「……まるで、誰かが王国そのものを滅ぼそうとしているかのようですわね」




 その言葉に、ディランは小さく頷いた。


 まだ名も顔も掴めぬ、だが確かに存在する「影」。


 仮面の魔族の背後で、人為的に糸を引く者がいる――そう確信せざるを得なかった。






その頃。


 王都の高級街区の一角、豪奢な屋敷の奥。


 仮面の魔族と接触した痕跡を持つ「誰か」が、静かに杯を傾けていた。




 月明かりの差す窓辺から王城を見やり、唇の端に薄い笑みを浮かべる。




「……駒は動いた。王国は、じきに自ら崩れる」




 名も姿もまだ明らかではない。だがその存在は、確実に王国の闇を広げようとしていた。




王都の夜は、華やかな灯火の裏に不気味な静けさを孕んでいた。


 ディランはアルノルトと共に、城下町の外れにある古い礼拝堂の地下へと足を踏み入れた。


 ここ数日の調査で、魔物の出現地点に共通する「魔力の流れ」が、この場所に集まっていることを突き止めたのだ。




「……湿気が強いですね」


 アルノルトは剣を握り、足音を忍ばせながら進む。


「油断するな。この匂い……魔力が淀んでいる」


 ディランは目を細め、闇魔法で視界を強化した。




 石造りの回廊の壁には、古びた紋章や途切れた碑文が刻まれていた。


 それらは遥か昔の王国成立以前のもの。人々の記憶から失われた時代の遺物である。




 広間に出ると、床一面に黒ずんだ跡が広がっていた。


 焦げたような円形模様――それは、魔物召喚のための魔法陣の残骸だった。




「……やはり、召喚術か」


 ディランはしゃがみ込み、指で円の痕跡をなぞった。


 そこから微かに漂う瘴気が、彼の肌を刺す。


「この規模……並の術者ではない」




 アルノルトは険しい表情で周囲を見渡す。


「誰が、こんな場所で……」




 その時、背後から小さな足音が響いた。


 振り返ると、王子レオニールと姫セレナが護衛数名を連れて現れた。




「……やはり、ここに来ていたか」


 レオニールは険しい眼差しをディランに向ける。


「王妃の許しを得て、私も調査に加わる。王族として、この目で確かめたいのだ」




 セレナも頷き、怯えながらも視線を逸らさずにいた。




 その瞬間、黒い煙が魔法陣の中心から吹き上がった。


 濁った咆哮と共に、異形の魔物が姿を現す。


 硬質の甲殻に覆われ、獣のような四肢を持つ巨体。




「下がれ!」


 ディランが手をかざし、闇の障壁を展開する。


 飛びかかった魔物が障壁に弾かれ、火花が散った。




 アルノルトが剣を構え、王族を背に庇う。


「ここは私が! ――王子殿下、姫君、後ろへ!」




 レオニールは悔しげに歯を食いしばったが、護衛と共にセレナを守り退いた。






 「無駄だ」


 ディランの低い声が広間に響いた。


 彼の掌から黒い魔力が溢れ、魔法陣の残滓を覆い尽くす。


「闇よ、還れ――」




 瞬間、広間の光が吸い込まれ、全ての音が消えた。


 次の瞬間、闇の鎖が走り、魔物を縛り上げる。


 凶暴な咆哮はやがて掻き消え、影の中に飲み込まれた。




 静寂が戻る。


 レオニールもセレナも、ただその力に息を呑んでいた。




 広間の奥には、なおも微かな魔力が残されていた。


 そこには割れた仮面の欠片が落ちている。


 歪んだ笑みを形作るかのような白い破片。




 ディランはそれを拾い上げ、低く呟いた。


「……奴だ。間違いない」




 セレナが小さく問いかける。


「……この仮面の魔族、いったい何者なのですか」


 ディランは首を振る。


「まだ分からん。ただ――背後で、人間が手を貸している」




 その言葉に、会議室でのディアナ王妃の呟きがよみがえる。


 王国を滅ぼそうとする者が、確かに存在する。






 その頃、王都のどこか。


 薄暗い広間で数名の人影が集まっていた。




「……失敗か」


「いや、よい。奴が動いたのなら計画は進んでいる」




 仮面の魔族の欠片は意図的に残されたのかもしれない。


 人為の影はますます濃く、王国の根を蝕もうとしていた。

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