第11話 王都の闇影

王都の一角、豪奢な館の地下にある密室。


 分厚い絨毯の上に円卓が据えられ、十人ほどの影が集まっていた。


 彼らは貴族でありながら、表向きは新王レオニールを支持している。だが、その実態は――「反王国派」と呼ばれる反逆者たちであった。




「前王の死は好機だ」


 髭を蓄えた大貴族マルケス卿が、杯を掲げて笑う。


「若き王子など恐れるに足らん。我らが動けば、王都など容易く揺らぐ」




「ふん。問題は王妃と王女だ。特にセレナ姫は“あの男”を理想と仰いでいるとか。あのままでは、いつ王国の民心が一つにまとまるか分からん」


 別の貴族が吐き捨てるように言った。




「だからこそ……魔の力を借りるのだ」




 その言葉とともに、部屋の隅に立つローブ姿の人物がゆらりと頭を下げた。


 顔は深い影に隠されているが、その瞳には人ならぬ赤い光が宿っていた。




「契約は果たされた。魔物どもは既に辺境へと送り込んである。あの地を混乱させれば、王国の防壁は脆くも崩れるだろう」




「ふははは……よいぞ。その混乱の隙に、我らが王都を握るのだ!」




 杯が打ち鳴らされる音と、笑い声が重なり、密室の空気を黒く染め上げていった。




 




 同じ頃、王城では王妃ディアナが王座の間で議会を見下ろしていた。


 彼女の背後に控えるのは、十六歳となった王女セレナ。


 その瞳は憂いに曇りながらも、どこか遠くを見つめていた。




「……母上。魔物の動きが活発になっていると報告がありました。これは、偶然なのでしょうか」




「偶然などではないわ、セレナ」


 王妃の声は静かだが、その奥に決意があった。


「人の世の混乱は、必ず魔を呼ぶ。けれど――この国には、かつて闇を制した者がいる」




 その名を、彼女は口にはしなかった。


 だが、セレナは分かっていた。


 幼き日に見た、黒衣の魔法使い。人々から異端と呼ばれながらも、誰より強く、誰よりも優しかった男。




「……ディラン様」


 少女の唇が、懐かしむようにその名を紡いだ。




 その響きは、まだ届くことのない辺境の空へと消えていった。




 一方、辺境の村では。


 夜の見回りを終えたディランが、静かな森を見つめていた。




「……気配が濃くなっている」


 闇に溶けるような声が漏れる。




 彼の直感は、遠く王都で進められる密約の影を知らずとも、確かに感じ取っていた。


 この辺境に押し寄せる魔の群れは、ただの自然の異変ではない。


 そこに――明確な“意志”が介在している。




 




 王都の大通りを、夕刻の鐘が鳴り響く。


 商人や子供たちが行き交い、灯りがともり始める――その平和は、唐突に破られた。




「きゃあああっ!」


「魔物だ! なぜ王都の中に――!?」




 石畳を蹴り飛ばし、巨躯の魔獣が跳び出した。牙をむき出しにし、群衆を蹂躙する。


 血の匂いが広がり、人々は四散した。




 王都守備兵が駆けつけるが、刃は通らず、盾は紙のように砕ける。


 その時――




「姉上、下がってください!」


 声を張り上げたのは、若き王子レオニール。まだ即位して間もない少年王は、自ら剣を抜いて魔獣に立ち向かった。




「だめよ、あなたまで!」


 セレナ姫が駆け寄り、必死に弟を庇おうとする。


 だが、魔獣の咆哮が空気を震わせ、彼らの身体を吹き飛ばした。




「ぐっ……!」


 石畳に叩きつけられ、レオニールの剣が転がる。


 魔獣の影が、絶望的に二人へ迫る。






 


 その時、王都騎士団の長が率いる一隊が飛び込んできた。


「姫、王子! こちらへ!」




 数十の槍が突き立てられ、炎の魔法が放たれる。


 辛くも魔獣は退けられたが、王都の民は恐怖に震えていた。




「……魔物が、王都にまで現れるなんて」


「これは偶然ではない……きっと何者かの意思が働いている」




 人々の不安は募り、王族への視線には焦りと頼りなさが滲んでいた。




 セレナ姫は血に濡れたドレスの裾を握りしめる。


「もし……ディラン様がいてくだされば」




 その声は震えていたが、確かな祈りがこもっていた。






 


 


 数日後、王妃ディアナの御前会議にて。


 王都周辺だけでなく、地方領でも同様の魔物の異常行動が報告されていた。




「これは……魔族の策に違いありません」


「まさか、国内の誰かが通じているとでも……?」




 ざわめく貴族たちの中、王妃は静かに立ち上がった。


「――一人だけ、この危機を退けうる者がいる」




 その場の空気が凍りつく。


 王妃ははっきりと告げた。




「ディラン。かつて我らが王国を守った闇魔法使いです」




 反発の声も上がった。


「彼は追放された身! 信用など……!」


「しかし、その力は誰もが知っている!」




 ディアナの瞳は揺らがない。


「彼を必要とする時が来たのです」




 アルノルトが一歩進み出る。


「陛下、もし許されるなら、私が辺境へ向かいましょう」




 王妃は頷いた。


「任せます。――必ず彼を説得して」




  


 ライナルト領主の館に、王国騎士団の旗が翻った。


 村人たちはざわつき、兵たちの重装が軋む音が館を圧した。




 先頭に立つのはアルノルト。


 甲冑を脱ぎ、礼をもって名乗りを上げた。




「辺境領主ライナルト卿、そして……闇魔法のディラン殿」


 彼女は真っ直ぐにディランへ視線を向けた。


 その瞳は、噂に聞く“魔を制する者”を前にした高揚と畏怖を映していた。




「王国は今、存亡の危機にあります。


 魔物は人為的に動かされ、すでに王族の御身すら危険にさらされました。


 どうか――この国に、再びその力を貸していただきたい」




 アルノルトは膝をつき、頭を垂れた。


 その仕草には、騎士としての誇りと同時に、一人の人間としての切実な願いが滲んでいた。




 館の空気は張りつめ、村人たちも固唾を呑む。


 ディランは黙して見下ろし、やがて低く言葉を吐いた。




「……俺を追放した国が、今さら助けを求めるか」




 アルノルトの肩が震える。


 だが彼女は顔を上げた。




「追放は、王都の過ちです。私はそれを恥じています。


 ですが今はただ、民を、王を、姫を――守るために。あなたの力が必要なのです」




 その真剣さに、ライナルトもセレナも、思わず目を細める。


 ディランはしばし黙し、村の人々の顔を見渡した。




 そして、短く答えた。


「……考えておこう」




 その言葉だけで、館に重苦しい空気が走った。


 しかし同時に、アルノルトの胸に、確かな希望の灯がともった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る