第48話 永遠の嫉妬※イザベラ視点

 ある日、ヴァンデルディング家から使者が来た。それは、ロデリックと離婚しろという通達だった。


 勝手に結婚させて、今度は勝手に離婚!?


 怒りが込み上げる。なんて勝手な当主様なの!


 でも、私の怒りはすぐに収まった。


 正直、胸を撫で下ろしている自分もいた。


 ロデリックとの日々は、地獄だった。毎日毎日、言い争い。お互いに責め合って、罵り合って。顔を合わせれば「お前のせいだ」「いや、お前が悪い」の繰り返し。あの男の顔を見るだけで、吐き気がするようになっていた。


 やっと、解放される。


「この息苦しい屋敷から出ていけるのね」


 ロデリックは屋敷に残されるようだが、私にはアルトヴェール侯爵家に戻るようにという指示があった。


 もしかして、社交界に復帰できるかもしれない。久しぶりに、ワクワクする気持ちが湧いてきた。


 離婚したということは、ヴァンデルディング家との関係も終わったということ。あの醜聞からも、距離を置けるかもしれない。過去は過去。私は、また新しく始められる。


 社交界に戻った自分を想像する。私は、また華やかな場所に立つ。綺麗なドレスを着て、宝石を身につけて。


「やっぱり私は、あの場所にいるべき人間なのよ」


 そう。私は、社交界にいるべき人間。こんな辺境の屋敷で、くすぶっているような人間じゃない。




 数日後。お父様が迎えに来るという連絡があった。


 やった、やった! 帰れるんだわ。


 急いで身支度を整える。といっても、この屋敷には大した服もないけれど。それでも、できるだけ綺麗に。髪を整えて、少しでもマシに見えるように。


 久しぶりに会うことになるお父様。


 どんな顔をしているだろう。きっと、心配していたはずよ。大事な娘が辺境に追いやられて、さぞ心を痛めていたに違いない。


 馬車が到着する。


「お父様!」

「イザベラ」


 駆け寄る。すると、私の名前を呼ぶお父様。やつれて見える。何故か、私に向ける目が冷たい。どうして、そんな目で私を見るの? 不思議だった。


「お前を、引き取りに来た」

「は、はい」


 引き取りに? 連れ帰る、じゃないのかしら。でも、細かいことはどうでもいい。ようやく帰れるんだから。


「それじゃあ、帰りましょう。今すぐに」


 馬車に乗り込み、辺境の屋敷を離れる。このまま私は実家に帰れると思っていた。でも、馬車は違う方向に進んでいるような気がする。道は、合っている? だんだん不安が大きくなっていく。


「あの……お父様?」

「何だ」

「馬車が、王都とは違う方向に進んでいるような……」

「ああ」


 私の感じた違和感は間違いじゃない。それなのに、お父様は平然としている。これが当たり前、というように。どういうこと。


 そのまま黙り込む。説明がない。


 不安が、じわじわと這い上がってくる。


 どれくらい走っただろう。


 馬車が止まる。


 窓の外を見る。


「ここは……?」


 到着したのは実家じゃない。見たこともない、質素な屋敷。装飾もない。壁も塗り直されていないような、古びた建物。


「これから、私たちが暮らす家だ」

「は?」


 どういうこと?


 私は、帰ってきたんじゃないの?


 侯爵令嬢の立場に、戻ったんじゃないの!?


「降りなさい」


 お父様の声は、有無を言わさぬものだった。


 屋敷の中に案内される。質素な応接室。装飾もほとんどない。貴族の屋敷には思えないような。辺境の地にあった屋敷でも、もう少し装飾している。それがない。壁には絵画もなく、家具も最低限。まるで、庶民の家のよう。


「お前に話しておくことがある」


 お父様の声は、重かった。とても嫌な予感がする。


「爵位は、陛下にお返しした」

「……え?」


 今、お父様は何て言ったの? 私の聞き間違いじゃないかしら。爵位を返した? そんなこと、あるの?


「爵位を……返した?」

「そうだ」

「ど、どうして!?」


 いきなり、そんなことを言われて頭が真っ白になった。爵位を返還? それって、つまり私は、私たちは――


「責任を取るためだ」

「責任……?」

「お前を、ちゃんと育てられなかった責任だ」


 違う。そうじゃない。私は悪くないのに、責任なんて。


「これから先、お前の面倒は私が見る」


 間を置いて。


「死ぬまで、な」


 死ぬまで。一生。この質素な屋敷で。私は貴族じゃなくなって。社交界には、もう戻れない。


「そんな……!」


 言葉が出てこない。これが、現実なの? 私の、これからの人生は?


「お、お姉様に!」


 思わず叫んでいた


「……何だ?」

「お姉様に助けてもらえば――」


 そうよ。お姉様なら、助けてくれる。リーベンフェルト家には力がある。夫は有力な軍人貴族。お金だってあるはず。


 姉妹なんだから、助けてくれるはず。そうに決まってる。


「無駄だ」

「え……?」

「セラフィナとは、もう別れを済ませてきた」


 別れを?


「そんな……!」

「今後、向こうは我々とは関わらない。立場も違う」


 間を置いて。


「だから、諦めろ」


 諦めろ、だなんて。


 お姉様も、私を見捨てるの?


 姉妹なのに? 血を分けた家族なのに?


「どうして……」


 呟きが、漏れる。


「どうして、こんなことに……」


 お父様は、何も言わなかった。ただ、冷たい目で見ているだけ。


 こうして、私は貴族の立場を完全に失った。社交界に戻る可能性も、永遠に失われた。


 質素な別邸での日々。何もすることがない。


 華やかなドレスも。美しい宝石も手に入らない。


 何もない。


 ただ、時間だけが過ぎていく。


「どうして……」


 何度も、何度も、そう呟く。


 どうして、こんなことに。


 どうして、私だけこんな目に。そしてお姉様は、今も幸せそうにしているらしい。


 噂が、届く。


 聞きたくないのに、聞こえてくる。


 リーベンフェルト家での成功。


 社交界での評価。


 夫婦の仲睦まじさ。


「私の方が……」


 そう呟くことしか、できない。


 時間が経てば経つほど、セラフィナの成功は輝きを増していく。


 そして、私の嫉妬も深まっていく。


 年を取っても、変わらない。積み重なって、凝縮されて、醜くなっていく。胸の奥で、黒い感情がぐるぐると渦巻いている。


 白髪が増えても。


 顔に皺が刻まれても。


 この気持ちだけは、変わらなかった。


 鏡を見る。


 老いた自分の顔。


 かつて、自慢だった容姿も、今は見る影もない。目元の皺。口元の深い線。くすんだ肌。どんどん老いていく。失っていく。


 それでも。


「私の方が……可愛かったはずなのに」


 そう呟いてしまう。失われてしまったものを惜しむ気持ち。あの頃の、輝いていた自分。社交界で注目を浴びていた、あの日々。


 お姉様の噂は、途切れることなく届いた。


 聞きたくないのに。


 耳を塞ぎたいのに。


 でも、聞いてしまう。


 社交界で欠かせない存在になったこと。


 文官と軍人の架け橋として、評価されていること。


 夫に愛され、幸せな家庭を築いていること。


 子供が生まれたこと。その子が聡明で、優しい子に育っていること。


「どうして……」


 また、呟く。


「どうして、お姉様ばっかり……」


 私は最期まで、こんな気持ちのまま。嫉妬の気持ちは、一生消えない。


 お姉様が幸せだから、私は不幸なんだ。


 ずっと、不幸なままなのだろう。


 窓の外を見る。


 灰色の空。


 何も変わらない、退屈な景色。木々も、道も、全てが色褪せて見える。


「どうして、私じゃなくて、お姉様なの……」


 呟きだけが、静かな部屋に虚しく響いた。


 誰も答えてくれない。


 この問いに、誰も答えてくれない。


 ただ、時間だけが過ぎていく。


 変わらない日々。


 変わらない嫉妬。


 そして私は今日も、お姉様を恨み続ける。

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