第42話 お前の罪※ロデリック視点

 公爵の書斎は、いつも以上に重苦しい空気に満ちていた。


 机の上に置かれた、あの膨大な資料の数々。おそらく、セラフィナの物なのだろう。なんとなく見覚えがある。以前、婚約者だった頃、パーティーの準備で彼女から説明を受けた時に。


 几帳面な文字で細かく書き込まれた、あの計画書。それを、イザベラが隠し持っていた。眼の前に出されて、彼女は焦った表情を浮かべている。震える唇、血の気の引いた顔。


 その理由は、やはり。


 俺は心の奥底で、予感していた。でも、実際に目の当たりにすると、かなり衝撃がある。胸が重く、息が詰まるような感覚。


 イザベラを信じたいと思っていた。けれど、一縷の希望が完全に消えた。


 彼女を疑っていた自分への罪悪感があった。けれど、疑念は正しかったのだ。いや、疑念どころか、真実だった。


 信じていたのに。


 君のことを、信じたかったのに。


 セラフィナではなく、イザベラを選んでしまった。公開の場で婚約を破棄してまで、イザベラの味方になった。セラフィナを責め、傷つけた。


 それなのに、俺の判断が、完全に間違っていたことに落胆する。いや、落胆という言葉では足りない。自分の愚かさに、絶望にも似た感情が湧き上がる。




 疑念が膨らみ続けて、もう耐えられなくなった日のことを思い出す。


 イザベラの運営するパーティーを見た時に、何かがおかしいと感じていた。前回はセラフィナのやり方と似ていると思った。


 そして俺は、父の書斎を訪ねた。


 「イザベラのことで、調べてほしいことがあります」


 そう切り出した時、父は何も言わなかった。ただ、静かに頷いただけだった。

 

「事実が分かれば、報告する」


 低く、重い声だった。


 それから父は、当主として密かに調査を進めてくれていたようだ。


 そして今、その結果が目の前にある。


 証拠を取り出した父は感情を一切表に出さない。ただ事実だけを見ている。冷徹なまでに冷静な目で、イザベラに突きつける。


 そして、俺に対しても——容赦がない雰囲気が、ひしひしと伝わってくる。そんな視線が、時折俺にも向けられる。


 俺は、イザベラの方を見た。


 彼女は震えている。血の気が引いた顔で、資料を見つめている。唇が震え、目が泳いでいる。汗が額に浮かんでいる。


 その姿を見て、俺の中で何かが弾けた。


「君の言っていたことは、嘘だった」


 声が震えている。抑えきれない怒りが、喉から溢れ出す。裏切られたという思い、騙されていたという屈辱、そして何より、自分の愚かさへの怒りが混ざり合って、胸の中で渦巻いている。


「こんな物が出てくるなんて」


 体をイザベラの方に向けて、俺は彼女を責める。一歩、また一歩と彼女に近づく。


「信じていたのに。君のことを、信じたかったのに」


 本当に、信じたかったんだ。これは嘘じゃない。君の涙を、君の言葉を、君の全てを受け入れて。セラフィナを責めてまで、君の味方になったのに。


 イザベラが顔を上げる。


「ち、違う! これは違うの!」


 彼女は必死に首を振った。


「誤解よ。これは、お姉様のものだけど——」

「内容を模倣して、アイデアを盗んだんだろう」


 彼女の言葉を遮り、言い放った。もう、彼女の言い訳を聞きたくなかった。どんな言葉も、もう信じられない。


「これは資料を参考にしただけで、模倣とか盗んだわけじゃない」


 声が裏返っている。完全にパニックだ。額の汗が、頬を伝って落ちる。


「お姉様が、貸してくれたの」

「嘘をつくな」


 イザベラの目を、じっと見つめる。やっぱり、信じられない。


「いえ、見せてくれただけで……その、参考にしても良いって……」


 イザベラの言葉が、どんどん支離滅裂になっていく。明らかに嘘をついている。その場しのぎの言い訳を、必死に繋ぎ合わせている。


 その言葉に、父からの補足が入る。


「アルトヴェール侯爵から、保管していた資料が無くなったという報告があった」


 父の声は、相変わらず低く、重い。


「資料が無くなったのは、君が実家の屋敷に戻った、その後のことらしいが」

「つまり、その時に資料を持ち出したのか」


 そう言うと、イザベラが一歩後ずさる。


「貸してくれたものなら、堂々と持っていればいい。隠していたのは、盗んだからだろう」


 違うか? 違うというなら、説明してみろ。なぜ隠していたんだ。イザベラは何も言えなくなった。ただ、唇を震わせている。


「俺は君を守ろうとした」


 胸の奥から、熱い感情が込み上げてくる。


「セラフィナを責めてまで、君の味方になった」


 あの日のことが、鮮明に蘇る。パーティーの真っ最中、大勢の招待客の前で、セラフィナを責め立てた。彼女の冷静な表情。「今は招待した皆様への配慮が」と言った、あの正しい言葉。それを無視して、俺は婚約破棄を強行した。


「なのに、君は俺を騙していたのか」


 がっかりだ。本当に、がっかりだ。こんなにも、人を信じて裏切られるというのは、こんなにも辛いものなのか。


「君は、そういう人間だったのか」


 俺が知っているイザベラは、どこに行ってしまったのか。


 可愛くて、素直で、俺に頼ってくれた——あの子は、最初から存在しなかった。ただ、俺を騙していただけだった。涙も、言葉も、全てが演技だった。


「私は……」


 イザベラが口を開きかけて、しかし何も言えず、口を閉ざす。言い訳を探しているのか。それとも、もう諦めたのか。


「ロデリック」


 その時、父がゆっくりと俺の名前を呼んだ。


「先程から、イザベラのことだけ責めているようだが。お前の罪が無くなったわけではない」


 父の厳しい視線が、俺にも向けられる。


「え……?」

「こうなった責任は、お前にもあるだろう」


 俺は、思わず父を見た。何を言っているんだ。俺の罪? 俺は、騙されていただけじゃないか。イザベラに、嘘をつかれて。


「ロデリック。お前も、この事態を招いた一人だ」


 何を、言っているんだ。俺の責任? この事態を招いた一人? そんなはずない。俺は被害者のはずだ。イザベラに騙されて、セラフィナとの婚約関係を失って、ヴァンデルディング家の名誉まで傷つけられて。

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